捜査当局の強力な武器となるのか 日本版司法取引制度の概要と留意点
いよいよ6月からわが国でも司法取引制度がスタートした。捜査当局の強力な武器となるのか。この機会に、その概要や留意点などを示したい。
【司法取引制度のメリット】
諸外国で導入されている司法取引制度は、次の2つのパターンに分けられる。
(1) 自らの犯罪の解明に協力するもの
厳密に言うと自首には当たらないが、自らの犯罪についてその経緯や状況などを積極的に供述するなどし、真相解明に協力した場合、その見返りとして軽い犯罪での起訴や求刑引下げなどを行う。
(2) 捜査当局に他人を売るもの
捜査当局と被疑者・被告人側が交渉をし、組織の幹部など共犯者の関与状況に関する供述をしたり、物証を提供するなどして当局の協力者となった場合、その見返りとして不起訴や求刑引下げ、起訴取消しなどを行う。
こうした制度は、捜査や裁判に要する時間と費用、労力を節約し、限られた人員や予算をより重要な犯罪の捜査や裁判対応に注力させることができるという点で、経済的合理性を追求したものと言える。
組織犯罪や企業犯罪で処罰されるべき主犯の幹部を検挙することで、「トカゲの尻尾切り」に陥る事態を回避することもできる。
捜査当局が全く把握していなかった様々な情報を得られ、談合や贈収賄のような水面下の犯罪を掘り起こし、新たな検挙につなげることも可能となる。
【古典的で職人気質的な取調べからの脱却】
もっとも、これまでわが国の法律には、こうした制度に関する規定がなかった。
そのため、被疑者の身柄を長期間拘束し、取調べ室という密室の中で取調べ官が被疑者と早朝から深夜まで濃密な時間を共に過ごし、人間関係を構築し、情理を尽くして粘り強く説得し、時には大声で怒鳴ったりなだめたりしてきた。
果ては、「こちらにも考えがある」などといった言い方をし、余罪の立件見送りや早期保釈、軽い求刑などをチラつかせ、被疑者を「あきらめ」の心境に陥らせるとともに損得計算をさせ、共犯者の関与状況など事件の全貌(らしきもの)を語らせてきた。
英米などで司法取引制度を垣間見てきた海外留学組の検察官は数多く、それら留学組が主要な幹部ポストを占める法務検察内部では、そうした古典的で職人気質的な取調べ手法から早く脱却し、わが国にも司法取引制度を導入すべきだといった声が多かった。
犯罪の性質の変化や人権意識の高まり、活発な弁護活動などにより、必ずしもそうした手法が通用する被疑者ばかりではなくなってきた、という事情も挙げられた。
1997年に法務省が組織犯罪対策法案の方向性を示した際にも、何とかこの制度の導入を盛り込もうとした。
この時は時期尚早であるとして刑法学会などから反対意見が強く、最終的には法案から外される結果となった。
ただ、1988年、検察は、地下鉄サリン事件の実行役として起訴した元医師の男に対し、こうした制度の趣旨を先取りし、死刑ではなく、異例の無期懲役求刑を行った。
本来であれば死刑相当であるものの、逮捕後の全面的な自白は自首に相当し、組織犯罪の解明に協力するなど真摯な反省の情も見られると評価したからだ。
裁判所も無期懲役刑を選択し、そのまま一審で確定したが、その他の実行犯はいずれも死刑求刑、死刑判決であり、命運が分かれた。
【効果的だったリーニエンシー制度】
また、2006年の独占禁止法改正では、談合やカルテルを自主的に申告して公正取引委員会の調査に協力すれば課徴金の減免が受けられ、特に最初の申請会社は刑事告発の対象から除外される「リーニエンシー」と呼ばれる制度が導入された。
2007年に名古屋地検特捜部と公取委が摘発し、池井戸潤の小説「鉄の骨」のモデルともなった名古屋市営地下鉄談合事件など、この制度が発覚の端緒となった事件は数多く、成功を収めた。
以後、法務検察は、司法取引制度導入の機会を虎視眈々と狙っていた。
そうした中、2010年から刑事司法制度の抜本改革に向けた議論が進められ、取調べの録音録画を一部で導入するバーターとして、ついに刑事訴訟法の改正により、正面から司法取引制度が導入されるに至った。
被疑者や参考人がカメラを意識して供述しにくくなり、あるいは事実を矮小化して話す可能性が出てきて、組織を背景とする犯罪や物証が乏しい犯罪では立件そのものが困難となる、といった可視化の弊害論を強調した結果だ。
【導入された司法取引制度の中身】
ただ、国家が犯罪者と取引を行うこと自体、国民の素朴な正義感に反するのではないか、といった疑念も残った。
そこで、わが国では、先ほど挙げた(2)、すなわち「トカゲの尻尾切り」に陥らせないようにするパターンの司法取引制度だけが採用され、(1)の導入は見送られた。
また、司法取引の対象となる犯罪も絞り込まれ、贈収賄、談合、脱税、詐欺、横領、文書偽造、薬物犯罪や銃器犯罪などは含まれるものの、窃盗や強盗のほか、殺人、傷害致死、暴行、傷害、業務上過失致死傷、性犯罪といった人身事件は対象から外された。
JR福知山線脱線事故や福島第一原発事故のようなケースはもちろん、記憶に新しい日大アメフト部のタックル事件のようなケースについても、末端や中間に位置する関係者と司法取引を行ってトップの刑事責任を追及することは許されない。
さらに、取引に応じる被疑者・被告人の弁護人が同意をし、合意書まで作成しなければならないとされた。
正式名称は「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」というもので、諸外国の司法取引制度とやや趣を異にすることから、俗に「日本版司法取引制度」と呼ばれる。
【他方で大きなリスク】
ただ、この制度には問題点も多い。
刑事責任を軽くするため、自分の行為を共犯者がやったことだと嘘をついたり、全く無関係の者に罪を被せて引きずり込むなど、えん罪の温床となり得る。
また、最初に司法取引に応じた者の供述によって事件の方向性が組み立てられ、固められるので、かえって流動的な捜査がしにくくなるし、真相から遠くなるおそれもある。
弁護人も、全体の証拠を見ていない段階であるにもかかわらず、依頼者の求めを踏まえ、その利益のために取引に同意するというリスクを負うことになる。
取調べの全面可視化による取引過程の透明化すら全く図られていないにもかかわらずだ。
もしこの依頼者の証言が事実に反するものであれば、取引に同意した弁護人も間違って捜査・訴追された「えん罪被害者」らから槍玉に挙げられる。
実に危うい話であり、どれだけの弁護人が取引に同意するか未知数だ。
【本当に強力な武器となるのか】
他方、実際問題として、検察官がどのような供述内容のレベルで取引に応じるのか、信用性の判断が困難な場面もあるはずだが、その基準が明らかでない。
取引によって得られた供述の信用性の吟味も、慎重の上にも慎重を期す必要がある。
現に、最高検が3月に明らかにした運用指針では、次のような留意点が示された。
(a) 制度利用に値するだけの重要な証拠が得られ、供述の信用性を裏付ける十分な証拠がなければ、取引に合意しない。
(b) 処分を軽減しても国民の理解が得られる場合に限る。
(c) 取引の開始や成立に際しては、高検の指揮に基づき、最高検と協議する。
実務的にはごく限られた事案が前提となる上、地検、高検、最高検と何重もの幹部決裁を要するわけで、諸外国のように現場の検察官だけの判断でフットワーク軽く使えなくなってしまった。
武器どころか、重すぎて抜くに抜けない刀に成り下がってしまったとも評価できる。
これでは、今までどおり密室の取調べ室で被疑者に利益供与をほのめかし、供述を得たほうが手軽だ、という方向に流されるおそれが高い。
【司法取引と正義の実現】
最後に、司法取引制度の先進国であるカナダの例を挙げておこう。
1991年から92年にかけ、夫婦で2人の少女を次々と誘拐監禁し、レイプし、拷問した挙句、殺害し、遺体をバラバラにして湖に捨てたり、全裸のまま排水路に捨てるなどした連続殺人事件。
夫の暴力に耐えかねて警察に逃げ込んだ妻から夫の関与に関する供述を得るのと引き換えに、妻をより軽い犯罪で起訴するといった司法取引が行われた。
しかし、この妻が懲役12年を言い渡されて確定した後になって、夫婦で嬉々として猟奇的犯行に及ぶ状況が撮影されたホームビデオの存在が明らかとなり、悪魔との取引などやるべきではなかったといった批判の声が上がった。
カナダは死刑廃止国のため夫は終身刑となったが、この事件は死刑復活論が再燃する契機ともなった。
カナダの検察官に「妻との司法取引は正義に反するのではないか」と尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「真実は神のみぞ知る。我々無力な人間にできることは、様々な知恵を絞って少しでも真実らしさに近づくことだ。当時、我々には何の証拠もなく、もし妻と司法取引をしていなければ、妻はもちろん、主犯である夫を起訴することなどできなかった。証拠のビデオテープが出てきたのも、妻と取引を行い、事態が進展したからだ。その限度では、正義が実現されたと言えるのではなかろうか」
今後の司法取引制度の運用や成果次第では、使い勝手をよくするため、将来、わが国でも対象となる犯罪が広がり、要件が緩和される可能性もある。
「正義とは何か」といった古くて新しい問題について、改めて考え直す機会ともなるだろう。(了)