マイケル・ジョーダンが1994年にMLBデビューできていた? アスレチックス前GMが衝撃事実を告白
【アスレチックス前GMが真相を激白】
1994年にMLB挑戦しながらメジャー昇格を果たせないままNBAに復帰したマイケル・ジョーダン選手が、実はMLBデビューできていた、という衝撃的な事実が明らかになった。
現在アスレチックスでシニアアドバイザーを務め、1994年当時に同チームのGMだったサンディ・アルダーソン氏が、ESPNのバスター・オルニー記者がホストを務める『Baseball Tonight』のポッドキャストにゲストとして登場した。
インタビュー中「まだメディアに知られていない、契約目前だった選手は?」と聞かれ、アルダーソン氏は、ジョーダン選手に25人の出場ロースター入りを確約するメジャー契約をオファーしていたことを明かしたのだ。
【アルダーソン氏「実現しなかったが、真剣だった」】
アルダーソン氏が語った主な内容は、以下のようなものだ。
「(ジョーダン選手が野球に挑戦することを)聞きつけ、すぐに彼のエージェントに連絡をとった。
そしてエージェントに、『たぶん彼は2Aに回ることになるかもしれないが、我々のメジャーのチームは、まだ25番目の選手が決まっていない。今なら彼と契約してメジャーのロースターに入れられる。明日から25人の出場ロースターの選手になれるだろう』と説明した。
残念ながら(契約合意は)実現しなかったが、全くもって真剣だった」
アルレチックスはジョーダン選手の実力は度外視して、最初からメジャー契約で彼を迎え入れようとしていたというのだ。
【ホワイトソックスから連絡を受ける】
だがその後アルダーソン氏の元にホワイトソックスから連絡が入り、同選手がホワイトソックスの一員になることを知らされ、さらにアルダーソン氏の行為がタンパリングになるとの警告を受けたという。
結果としてジョーダン選手は、ブルズのオーナーを務めるジェリー・レインズドルフ氏が所有するホワイトソックスとマイナー契約で合意することになった。
【結果を残せないままNBA復帰】
ホワイトソックス入りが決まったジョーダン選手は1994年のスプリングトレーニングでは招待選手としてメジャーキャンプに参加したものの、シーズン開幕と同時に2Aに配属。そのシーズンは最後まで2Aに留まり、127試合に出場し打率.202、3本塁打、51打点に終わった。
翌シーズンもホワイトソックスに残ると思われていたが、1995年のスプリングトレーニングは選手会のストライキにより実施が延期され、またジョーダン選手も代替選手としてメジャーの試合に出る意思もなかったことから、その年の3月にブルズ復帰を決めている。
それ以降野球界に戻ってくることはなく、残念ながらMLBデビューの夢を実現することはできなかった。
【もしジョーダンがMLBデビューを飾っていたら…】
もしジョーダン選手がアスレチックス入りし、1994年にシーズン開幕から出場ロースター入りしMLBデビューを飾っていたとしたら、果たして彼は1995年にNBA復帰をしていただろうか。
ただ彼が1995年もMLBに残っていたとしたら、逆に1996年から2度目のNBA3連覇はなかったし、彼のアスリート人生はまったく違ったものになっていただろう。
すべては虚しい仮想でしかないが、実に興味深い歴史の悪戯だったような気がしてならない。