教委改革は政治と行政の権限争い
大事なことは子ども第一に考えることである。教育委員会(教委)制度の見直し論が急展開しそうな状況で、「教委権限、首長に移行案」という見出しの記事を9月25日付『朝日新聞』が朝刊の1面トップに掲げた。
教委制度の見直しを検討している中央教育審議会(中教審)分科会の中間まとめ案についてのスクープ記事で、現行の教委から自治体の長(首長)に替える案を「国民の期待に応える最も抜本的な改革案として中教審分科会は強く打ち出す予定だという。
今年4月に政府の教育再生実行会議が「首長が責任を果たせる体制にする必要がある」が提言した、それを踏襲するような中教審分科会の中間まとめ案になりそうだ。政府の言うまま、というところだろうか。
そもそも、教委制度見直しの議論は、一連のいじめ問題に端を発している。教委や学校によるいじめの判断が遅れたために、いじめがエスカレートしたとして、教委の権限を首長に移せ、と教育再生実行会議は主張している。
しかし、首長が権限を握ったからといって、いじめ問題への対応が迅速にいくものなのだろうか。政治家である首長が役人と違って「責任をはたせる」とは、とてもおもえない。
教育における政治の権限が強まるだけのことでしかない。そのあたりは、中教審分科会も気にしているところで、『朝日新聞』によれば、中間まとめ案では、首長を執行機関とする案と現行と同じく教委を執行機関とする案の2案が併記されることになるという。
ただし、両案ともに教委の事務執行責任者である教育長を任命・罷免する権限を首長がもつようにする。どちらにせよ、教育長は首長のコントロール下に置かれることになり、首長が権限を握ることになる。
教委の権限を握るのは教育委員とされているが、実際には形式にすぎず、実態は行政が動かしているのは周知の事実である。その責任者である教育長をコントロールできるということは、どちらの案にしても、首長が教委の権限を握ることになることにちがいはない。
つまり、教育における権限を行政主体から政治主体に、というのが中教審分科会の中間まとめ案なのだ。繰りかえすが、それは政府の教育再生実行会議の方針でもある。
そうなれば、静岡県の川勝平太知事が全国学力テストの成績下位校を公表しようとしたようなことは簡単にやれてしまうことになる。君が代斉唱をしない教員を厳しくチェックさせるようなことも、簡単にやれてしまう。
そうした政治による監視体制の強まった学校が、はたして子どものためになるのだろうか。政治主体の教育が、ほんとうに子どものためになるのだろうか。
かといって、行政主導の現在の教育体制が子どものためになっているかといえば、とても肯定はできない。子どもより、大人の組織を守ることだけが優先されすぎている。
教育の改革を語るなら、まず子ども第一に考えるべきである。それを忘れて、政治と行政の権限争いになってはいないだろうか。冷静な目で、これからの議論を注視していく必要がある。