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30歳、入江陵介が劣等感から見出したもの。 「五輪の金メダルはなくても、今の自分を誇り、褒めたい」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
四度目の五輪を目指す入江陵介(写真は昨年のジャパンオープン)(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

「悪いことしか考えられない」初めての選考会

 精神力も、身体もギリギリだった。

 初めて経験した12年前の五輪。いや、その舞台に立つための選考会を入江陵介はそう振り返る。

「直前の合宿から調子が悪かったんです。200の前に100があったけれど、全然調子が上がらず3位で終わってしまった。しかもそのまま引きずっていたので200も予選から準決勝でタイムを落としてしまった。どうしよう、このままじゃオリンピックに行けない。宿舎にいる時は悪いことしか考えられない。ギリギリの状態でした」

 競泳日本代表を決める日本選手権。五輪の年は五輪出場への選考会も兼ねており、派遣標準記録を切り、かつ順位も2位以内に入らなければならない。会場で見守る観客やメディアを含む関係者は、レースの映像と共に派遣標準の目安となる線が示された大きな画面を食い入るように見ながら、2位以内に入ってくれ、しかも線より前にゴールを、と願う。

 派遣標準が切れなかった選手、切れても2位以内に入れなかった選手の落胆に、追い打ちをかけるようなため息。五輪本番での上位進出を視野に入れた厳しい設定で、この厳しい選考会を勝ち抜くからこそ競泳日本代表は強い。そう理解はできても、筆者も取材のたび、尋常ではない緊張感に胃が痛くなったこともあった。

初の五輪。5位でも「惨敗」

 そんな想像を絶する場所で、日本記録保持者として、なおかつ初めての五輪出場に向けたプレッシャーと戦う。

「今思い出しても、とにかく苦しかった。最後の最後は、この1本、これがダメだったら仕方ないと割り切って臨みました」

 記録、順位、ライバル。そして重圧。さまざまな、見えない敵と戦いながらようやくつかんだ五輪出場。同じ頃、競泳界を席巻した高速水着で一気にタイムも上がり、北京五輪の開幕が迫る頃には初出場にして金メダル候補。「憧れのオリンピックなのだから、気持ちよく、楽しく泳ごう」と臨み、結果は5位。決勝進出を目指した自身の中では、悔しさは残るものの、やるべきことは果たした。そう思っていたが、翌日の新聞やテレビでの報道、そして帰国後。敗れた時とは違う悔しさ、侘しさを味わった。

「メダルを期待してもらったのに、応えることができなかったのはすごく残念でした。でもそれよりずっと苦しかったのは、惨敗、と書かれたこと。メダル候補と言われ続けても獲れなかったらこんなに簡単に手のひらを返されるのか、と。空港に着けば、メダリストはその後挨拶やテレビ局を回るので、専用バスが用意されているけれど、それ以外の選手は、お疲れさまでした、で解散。(4年後の)ロンドン五輪では、絶対にメダリストになってやる、と思いましたね」

 北京からロンドンへの4年。その決意が入江を強くした、と言えばあまりに安易ではあるが、日本新記録、アジア新記録を連発し、09年、11年の世界選手権では銀、銅メダルを獲得。そして「精神面、肉体面ともに最高の状態で泳ぐことができた」と振り返る12年のロンドン五輪では100mで銅、200m背泳ぎと400mメドレーリレーでは銀メダルを獲得した。

 まさに有言実行なのだが、それでもなお抱き続けたのは“劣等感”だった。入江はそう振り返る。

弱い自分も受け入れる

 2020年9月に発売した自著『それでも、僕は泳ぎ続ける。 心を腐らせない54の習慣』(KADOKAWA)でも、露わにするのは強さよりも弱さ。

「ここぞ、というタイミングで金メダルを獲れなかった自分がいるのに対して、周りには金メダルをパッと獲れる選手もいる。悔しさもあるけれど、それより、何で自分はダメなんだろう、と思うことがすごく多いんです。大きな大会のポスターに載せていただいたり、事前に特集企画で露出していただいたり、それだけ期待をしてもらっているのに見合うような結果が出せない。変に自分を客観視して見すぎているせいか、いつもギャップに苦しめられて、ネガティブに受け止めてばかりいました」

 競技者としての夢を追うだけでなく、別に興味、関心があることもたくさんある。結果ばかりを求める世界で戦い続けるのではなく、引退して別の道に進んだほうがいいのではないか。そう思ったこともある。

 だが、コロナ禍で思うように競技や練習もできない現状。さらに言うならばそれは決してアスリートに限ったことではなく、想像もしない日々を過ごす今、劣等感を抱き、決して前向きになれないことがあってもいいのではないか。どんな状況も、受け入れることが自然にできるようになった。入江はそう言う。

「僕も無理している時は、自分の心に嘘をつきながらも笑顔でいようと思っていました。だからレース前に『調子がいい』と無理にアピールしている選手を見るとすぐわかった。僕も同じでしたから。でも、ふと考えた時に、ポジティブな人がいいと言われがちだけれど、それは根っからのポジティブなのか、演じているのかはわからない。自分の心に嘘をついてまで周りに見せなければいけないものじゃないと思ったんです。それならばうまくいかない時、苦しい時でも自分を無理矢理転換するのではなく、ゆっくり、ゆっくり前を向けばいいんじゃないかと思うようになりました」

頑張った自分を責めるのではなく褒める

 年齢や経験を重ね、変化するものばかり。東京五輪が近づけば活躍が期待される10代や20代前半の選手に注目が集まる現状に「またか、と思った」と笑うが、それも、長きに渡り日本代表へ入り続けてきたからこそ見えることで、感じるもので「誇れること」と語る一方で、続けることの価値、単発でも結果を出すことの価値はさまざま。1つの枠組みに当てはめることの息苦しさが見えたからこそ、今大切に思うのは、どうすべきか、ではなく、どうしたい、どうなりたいか。

「僕は継続することを大事にしてきたから、苦しい、つらい、辞めたいと思うことが多々あっても、少し我慢して、頑張ることによって自分に経験値がついた。でも同じように『頑張って続けろ』『今は我慢の時だ』と言っても、みんなが同じではないですよね。同じ言葉でも、無理しすぎて追い込まれる方もたくさんいます。ちょっと嫌なことがあるからといって、もう辞めた、というのは別として、苦しい時でも、もう少し頑張れると思えるなら継続する。そうやって今日、継続できた自分を褒めてあげてもいいんじゃないかと思いますね。たとえ結果的に辞めたとしても、その何週間、何か月を頑張ったと思えることが大事で、それが次の経験に生きてくる。まずは自分を褒めて次に進めることが大事だと思うし、僕自身もそう。毎日の練習で今日はここを踏ん張れた、頑張った、と積み重ねているから、達成感や満足感が得られると思うし、その先が、オリンピックで金メダルを獲ることだったら一番だけど、競泳選手として過ごす日々は、少しずつ少なくなっているのは確か。でもだからこそ、自分の心に嘘をつかず、人から愛される選手になりたいし、競泳界をもっともっと強くしていきたいです」

 抗うばかりでなく、弱さも葛藤も、劣等感も受け止める。10代の頃と変わらず、傷つきながらも貪欲に。30代の今も泳ぎ続ける。誰よりも速く、楽しく、と願いながら。

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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