加計問題等の本質:公文書管理や政治主導・幹部人事のあり方を再考する
今回の加計学園を含む一連の事件は、綺麗ごとでは済まされない、少なくとも3つの大きな問題を“浮き彫り”にした。第1は「公文書管理のあり方に関する問題」、第2は「岩盤規制を打ち砕く政治主導のあり方に関する問題」、第3は「内閣人事局のあり方に関する問題」であり、我が国の統治機構のあり方や行く末において、これらの問題は互い深く関連する。
今回の事件につき、小職は政治的に中立な立場で与野党を含む如何なる立場も支持するつもりはないが、我が国の統治機構の将来を左右する大きな問題に深く関係するところ、順番に問題を提起したい。
まず、議論の前提だが、1988年のリクルート事件や1989年のバブル崩壊以降、政治腐敗の是正や、山積する政策課題の解決を目指し、首相や官邸の政治的リーダーシップを強化する観点から、我が国は度重なる選挙制度改革や統治機構改革を断行してきた。
その象徴が、二大政党制を目指す目的で実現させた小選挙区比例代表制の導入(1994年に法案可決)や、経済財政諮問会議の創設等で内閣機能の強化を目指して行った2001年の中央省庁再編などである。
そもそも、我が国の統治機構の根幹を担う議院内閣制は、大統領制等と比較して、首相や官邸が強い権力をもつ可能性が高い仕組みだが、以前の中選挙区制では与党内の「派閥」や「族議員」が強い政治力をもち、財政・社会保障の抜本改革を含む改革が進まず、首相や官邸は政治的なリーダーシップを図ることは難しかった。
このような状況の中、首相の政治的なリーダーシップを強化し、「決めらない政治」を打破するためには、選挙制度や統治機構の改革が不可欠であるという議論が影響力をもち、首相や官邸に対する「権力集中」を進め、山積する政策課題の解決を目指してきた。
その結果、議院内閣制と小選挙区比例代表制の導入などが融合することで、首相や官邸は絶大な権力を手にした。最も解決が必要な財政・社会保障の抜本改革の進捗が現政権では遅いことは大きな問題と考えるが、私見として、権力の集中を進める方向性は間違っておらず、正しかったと思う。
しかし、『自由の歴史』や『フランス革命講義』等の著者でイギリスの歴史・思想家でもあるジョン=アクトン卿が「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」という格言を残すように、権力が腐敗する可能性も前提とし、権力をどう制御するかという「ガバナンス」も大きな課題であり、その制御を担うのは最終的に我が国の主権者である国民、すなわち我々である。
というのは、議院内閣制の下では、内閣は国会で多数を占める与党が「数の力」で実質的に支配するが、国会議員は選挙で国民が選ぶため、我が国の最終的な主権者は国民であるためである。主権者である我々国民が選挙によって政治を正すためには、政策形成プロセスを含む情報の量や質が重要な鍵を握る。
この情報の量や質に深く関係するのが、第1の「公文書管理のあり方に関する問題」である。そもそも、現行の公文書管理法は、我が国の歴史的な歩みを将来の資産とすることを目的に制定されたもので、極めて重要な法律である。この法律の制定を主導したのは、自民党の福田康夫元首相であり、2009年に制定され、2011年に全面施行となった。
なぜ、公文書管理法が重要なのか。それは、公文書管理法第1条(目的)にも記載があるが、国民主権の理念に則り、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である我々国民が正しい情報を得て民主主義的な判断を行うためである。
また、陸上自衛隊の南スーダンPKO派遣部隊の日報を含め、外交や安全保障などの公文書は、我が国の歴史的な歩みを現在及び将来の国民が把握するための貴重な資産となる。
しかしながら、公文書管理法第7条では、行政文書の保存に関する行政官の負荷を軽減するため、1年未満保存の行政文書を行政文書ファイル管理簿に登録しなくても構わない例外としており、この例外ルールを利用すれば、同法第8条や第21条・第22条の規定において、廃棄を各行政機関の判断で行い、審査請求を回避することもできる法構成となっている。
すなわち、1年未満保存の行政文書に恣意的に位置付けてしまうと、その作成や廃棄も外部からは全く分からない「ブラックボックス」とできるという「法の抜け穴」を利用し、貴重な資産(公文書)の一部が廃棄されつつある。
このため、例えば週刊文春(2017年6月15日号)では、福田元首相は「安倍政権の公文書管理はなっていない。森友の件も加計の件もそうだ。保存のために作った法律を廃棄の根拠にしている。官僚もどこを向いて仕事をしているのか。国民のことを蔑ろにしているのではないか」旨の発言をしている。
また、公文書管理法は、1999年に制定された行政機関情報公開法と「対」を成すもので、公文書管理が形骸化し、重要な公文書が廃棄されてしまうと、国民主権や民主主義の基盤の一つである情報公開法の意義も低下することになる。
この問題を解決するためには、行政文書の保存に関する行政官の負荷を高めてしまうが、例えば、行政文書の作成や破棄が把握できない1年未満の保存期間は原則廃止するか、あるいは1年未満保存の行政文書の指定要件を法的に厳格化し、必要があれば一定数以上の議員の発議で、政治的に独立した組織が公文書管理の外部チェックを行うことができる組織を創設する試みも必要ではないか。
次に、第2の「岩盤規制を打ち砕く政治主導のあり方に関する問題」である。現在の我が国が直面している最も強固な岩盤は、年金・医療などの社会保障関係の岩盤であるが、いま問題となっているのは、学校法人「加計学園」の獣医学部新設を国家戦略特区で認めるに至った政策決定プロセスに関する経緯で、この問題は極めて個別性の強い事案である。
これは、国家戦略特区という枠組みが、地域限定で大胆な規制改革を行い、経済成長の起爆剤とするという制度の目的上、仕方がない面もあるが、強力な権力を手にした首相や官邸は、個別プロジェクトの決定には可能な限り関与せず、省庁横断的な政策調整を含め、骨太でより一般性の高い政策決定に関与することが望ましい。
すなわち、「広域的に獣医学部のない地域に限り新設を認める」という条件の下、事実上、加計学園の獣医学部の新設を自動的に認め、それに関与してしまうのではなく、獣医学部の新設基準(注)の中身そのものを見直す戦略をとる方が筋が良い(注:厳密には「大学、大学院、短期大学及ひ高等専門学校の設置等に係る認可の基準」(文科省告示第45号)をいう)。
例えば、2015年6月下旬に閣議決定された「日本再興戦略 改訂2015」では、国家戦略特区における獣医学部の新設の検討として、「現在の提案主体による既存獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき具体的需要が明らかになり、かつ、既存の大学・学部では対応困難な場合には、近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う」旨の文章が盛り込まれている。
このため、この「具体的需要」に関する基準などの議論を行いつつ、獣医学部の新設を望む様々な利害関係者に公平で、時代のニーズに沿ったものとなるよう、新設基準のあり方そのものを見直す戦略をとる方が賢明であったのではないか。
そうでなく、国家戦略特区の担当部局が新設の判断を「実質的に」行う戦略をとるのであれば、それは文科省の既得権が特区担当部局に移っただけの話になってしまう。つまり、具体的需要などに関するデータに基づき、正々堂々の議論を行い、新設基準の見直しや明確化を文科省に迫るのが望ましかった。
最後に、第3の「内閣人事局のあり方に関する問題」である。今回の加計学園の問題をさらに複雑にしているのは、獣医学部の新設に慎重な姿勢をとる文科省を含め、官邸の意向に従わない各省庁の幹部に対し、官邸が内閣人事局の権限を利用して、政権側の意に沿うように官僚側に「忖度」を促したのではないかという印象を国民に与えてしまったことである。
内閣人事局は、「国家公務員法等の一部を改正する法律」(2014年法律第22号)の内閣法改正に基づき、2014年5月に内閣官房に設置された組織であるが、それにより、各省庁の審議官級以上の幹部人事(約600人)は、官房長官が適確性を審査した上で、内閣人事局が幹部候補名簿を作成し、首相と官房長官が協議して決める仕組みが完成した。
すなわち、従来、「霞ヶ関の人事には政治を介入させない」旨の不文律が存在したが、政権を担う政治家が各省庁幹部の人事を握ることになった。この変更は首相や官邸の政治的リーダーシップを強化するために行ったものだが、今回の事件を契機に、各省庁の幹部の一部が官邸の顔色を伺う「イエスマン」の集まりに変わってしまったのではないかという懸念が広がりつつある。
この点で重要なのは、政官の役割分担の下、官僚の専門性や業績をどう評価するかという視点である。あまり知られていないが、イギリスやニュージーランド等の公務員制度では、政権を担う政治家に実質的な人事権はない。例えば、イギリスでは、課長以上の上級公務員(Senior Civil Service)は基本的に公募が奨励されており、そのうち次官等のトップ200人は専門の各選考委員会(採用省庁の次官や外部有識者ら数名で構成)が検討を行っている。
オーストラリアでも、上級管理職(次官を除く審議官以上)は原則的に公募が義務付けられており、第三者委員会が審査を行う。また、ニュージーランドも同様で、次官を含む公募の審査を専門の選考委員会が行い、内閣に推薦を行うことになっており、もし内閣が推薦者を拒否する場合、公募をやり直すことが例外的にあるが、拒否理由を官報に掲載しなければならない仕組みとなっている。
以上のとおり、「決められない政治」を打破するため、首相や官邸を中心に権力の集中を進める方向性は間違っておらず、正しいが、権力をどう制御するかという「ガバナンス」のあり方も重要な課題である。
国民主権の理念に則り、主権者である我々国民が正しい情報を得て民主主義的な判断を行うためには何が必要かといった視点を含め、今回の事件を契機として、諸外国の仕組みも参考に、公文書管理や政治主導・幹部人事のあり方について、建設的かつ冷静な議論が進むことを期待したい。