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専門職の外国人労働者ビザ「H1b」厳格化から見る「閉ざすアメリカ」

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
就労ビザ厳格化の大統領令署名に関するトランプ大統領演説(2017年4月)(写真:ロイター/アフロ)

 競争力を生むと信じられてきた、専門職外国人向けのビザ「H1b」の発給が厳しくなっている。背景には米国人雇用を優先するトランプ政権の狙いがあるが、有能な人物を潜在的に排除することになるため、賛否がある。

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 きざな言い方をすれば、私にとっても、それは光る未来のようにみえた――。

 それとは、アメリカに留学中、結婚を機に学生ビザから書き換えることになった「H1b(エイチ・ワン・ビー)」という就労ビザのことだ。

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 H1bビザは、高度な技能を持つ専門職の外国人労働者を対象とする。3年の有期だが、1度更新可能であり、その6年の間、熱心に働き、実績を積めば、スポンサーとなる企業が永住権(グリーンカード)の世話をしてくれることも一般的だ。その申請中には滞在が延長されていく仕組みであり、さらに希望すればアメリカ国籍にもつながっていく。

 単純な労働力ではなく、高度な技能という部分がポイントであり、シリコンバレーの各企業にとってはここ20年間、ソフトウエアの著作権保護、ハイテク企業に対する株主訴訟の制限強化、研究開発費に対する優遇税制の延長などとともに、H1Bビザ拡充は政治に対するロビーの重点項目だった。

 「エイチ・ワン・ビー」という言葉そのものがアメリカンドリームを可能とする魔法の言葉でもある。というのも、H1Bビザを弾みにし、永住権を取ったら、それまでのスポンサー企業だけでなく、今度はどの雇用主の下でも働くことができる。事業を自分で興し、自分の努力次第で成長させていくこともできる。実際、H1Bビザの取得から努力を続け、ハイテク企業を生み出すケースも少なくない。そのため、H1Bビザは移民を集めて、多様性を技術や産業発展の核にするアメリカの原動力そのものと考えられてきた。ハイテク産業振興のため、アメリカのH1Bビザを模倣しようという動きの国も少なくない。

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 私の場合、日本の大学を卒業し、約5年の社会人生活後に留学したこともあって、日本に帰っても大学の職があるかどうかは全く期待できなかった。日本での学会も入っていなかったし、学術的な師匠は日本にはいなかった。

 修士課程を終えるころ、博士課程進学とほぼ同時にワシントンの調査会社がH1Bビザのスポンサーとなってくれた。私の専門は工学や医学ではなく、政治学であるため、「高度な技能を持つ」という条件には程遠い気もしたが、何とかビザを取得することができた。

 ビザをきっかけにアメリカの大学への就職を夢見ることができるようになった。毎日のフルタイムの仕事と大学での研究の両立は想像以上につらかったが、それでも眠い目をこすりながら、行き詰まるとパスポートにシールで張られたH1Bビザを何度も見つめた。

 更新を経て、ビザがほぼ満期の6年目に差し掛かり、永住権申請を検討しているときに、幸運にも日本の大学から誘いがあった。この間、このビザは、先行きが全く見えない外国人の私には希望そのものだった。あれだけ真剣に物事に取り組んだ6年は私にはなかった。

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 このH1Bビザにトランプ政権は大きなメスを入れつつある。外国人よりもアメリカ人の雇用を重視するためだ。年間8万5000人程度(学部卒6万5000人、大学院卒2万人)だった発行数はいまのところ、変わっていないが、今後大きく減らされていく可能性が指摘されている。

 2017年4月、トランプ大統領は「バイアメリカン・ハイヤーアメリカン(アメリカ製品を購入し、アメリカ国民を雇う」名目の大統領令に署名し、H1Bビザの発給厳格化を決めた。一部の職種を対象外にしたほかすでに、追加書類の要求や、更新の時間も以前よりもかかるようになっている。同年8月には、国務省のビザ申請手続きマニュアルに「米国人労働者を保護する」との文言が追加され、審査がさらに厳格化している。

 2016年の大統領選挙中にはトランプ氏は高度な技能を持つ専門職の外国人労働者の受け入れを容認すると発言し、H1Bビザの発給に好意的だった。「有能な人物」をアメリカに入れるのは得策と判断したようだった。しかし、政権発足後はその逆の方向に動きつつある。この変化の背景には、選挙戦の統括者で、政権発足後は主席戦略官を務めたバノン氏の強い意向もあったといわれている。

 非合法移民対策はトランプ氏の支持者の雇用対策にとっては重要かもしれない。ただ、総計1200万人といわれる非合法移民に比べると、わずかな数のH1Bビザ制限の効果はどう考えても大きいとは思えない。経済効果だけを考えれば、アメリカだけでなく、世界の技術革新にとっても損失であろう。H1Bビザが欠かせないシリコンバレーの企業はすでに猛反発している。さらにH1Bビザ取得者の約7割を輩出してきたインドとの間では外交上の争点になってきた。対象者を高度技能者に限る動きもある。

 排外主義はアメリカの過去の歴史に何度もあったが、それでも基本的にはアメリカは新しい血や多様性に寛容だった。「多様の中の統一(エ・プルリブス・ウヌム)」は貨幣などに刻まれている国是であり、新しいダイナミズムが生まれてくるという理念である。

 2018年11月の中間選挙を経てもトランプ氏の動きはあまり変化は望めないかもしれない。トランプ政権発足からあと2カ月ほどで2年となる。トランプ氏はアメリカ自身が築き上げてきたこれまでの秩序をぶっ潰す「壊し屋」である。トランプ氏の破天荒な政策にアメリカだけでなく、世界が大きく揺さぶられている。この変化の中でもアメリカ・メキシコ国境の壁やイスラム諸国の入国制限など、「閉ざすアメリカ」というベクトルへの転換が顕著だ。

 外国人が夢をつかむ第一歩であると考えられてきたH1Bビザ厳格化は言うまでもなく、この動きの象徴のようにみえる。

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 私のようにこのビザで人生が変わる思いを体験する人が減るのは間違いない。今回の厳格化で、アメリカの根幹を支えてきた多様性の包摂という理念も「閉ざす」ことになるのではないかと危惧する。

本稿は前嶋和弘「トランプの国に思う:専門職就労ビザ見直し:「閉ざすアメリカ」」(『東京新聞』2017年12月12日夕刊)を基に改訂したものです。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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