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追悼 ドイツ屈指のストライカー

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:アフロ)

 7月21日、ドイツサッカー史に名を刻んだ名選手、ウーヴェ・ゼーラーが永眠した。享年85。

 1966年のワールドカップではキャプテンとして西ドイツを牽引。決勝まで勝ち上がったが、開催国であるイングランドに2-4で敗れた。

ゼーラーは、1936年11月5日に誕生した
ゼーラーは、1936年11月5日に誕生した写真:ロイター/アフロ

 ゼーラーの死は、1953年から1972年まで彼が在籍したハンブルガーSVによって伝えられた。21日に公になったが、死因は公表されていない。ローカル新聞は、自宅で亡くなったと報じている。

 身長170センチと小柄ながら鋭いゴール嗅覚を持ち、ブンデスリーガで137ゴールを挙げた。彼のオーバーヘッドを記憶するファンも多い。謙虚かつ品行方正な人としても知られ、とかくハンブルガーを愛した。スペインやイタリア(インテル)からオファーを受けても、拒み続けた。

写真:アフロ

 旧西ドイツ代表としては72キャップで43ゴール。16年間、白と黒の代表チームのユニフォームを纏って4度のワールドカップに出場した(1958年スウェーデン大会で4位、1962年チリ大会でベスト8、1970年のメキシコ大会では3位)。

 「4度出場したが、ワールドカップではツキが無かった。でも、全てが素晴らしい経験だった。後悔は何一つ無い」という言葉を残している。

写真:アフロ

  1960年、1964年、1970年とドイツ年間最優秀選手に輝き、あのペレからも「彼のボール扱いはパーフェクトだ。シュートも正確。そして、何と言ってもあのヘディングの強さに驚かされる」と絶賛された。

写真:REX/アフロ

 60年以上連れ添ったイルカ夫人との間に3人の娘がおり、孫のレヴィン・エズトゥナリ(26)はウニオン・ベルリンでMFとしてプレーしている。

 Legendは旅立ってしまった。彼が遺したものは大きい。合掌。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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