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地方百貨店は蘇るか~鹿児島の老舗百貨店「山形屋」の私的整理ADRとその後

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
鹿児島市の中心部に堂々たる建物を誇る山形屋(画像・筆者撮影)

・鹿児島の老舗百貨店が事業再生ADR制度を利用

 鹿児島市の老舗百貨店の山形屋が、5月28日に私的整理の一つである「事業再生ADR」の成立を発表した。鹿児島銀行を含む17の全ての金融機関が、事業再生計画案に合意し、今後5年間、計画に沿って再建が進められることになった。

 山形屋は経営不振から、360億円の負債を抱え、返済に行き詰ったため、グループ会社16社とともに、2023年12月に事業再生ADRを民間の第三者機関に申請し、2024年に入り、債権者会議を開催し、債権者である金融機関の合意を得た。

 2023年5月以降、メインバンクの鹿児島銀行を含む金融機関は山形屋とグループ会社の返済猶予を行い、再建計画を協議してきた。

 2024年6月13日には、定時株主総会で発表された再建計画によると、組織改編として関連会社を吸収合併、鹿児島銀行から取締役を受け入れるというものだ。また、今後、持ち株会社を設立し、役員には、鹿児島銀行から2名、投資ファンド会社から1名が就任するとされている。

 川内山形屋、国分山形屋、宮崎山形屋、日南山形屋などは組織統合は行うものの閉店もせず、従業員の早期退職やリストラなども行わない。さらに、創業家の岩元純吉会長と岩元修士社長は引き続き経営を担うと発表されている。

鹿児島市の商業地区天文館のシンボル的な建物でもある。(画像・筆者撮影)
鹿児島市の商業地区天文館のシンボル的な建物でもある。(画像・筆者撮影)

・地元での存在の大きさが、決め手

 山形屋は、出羽国山形出身の岩元源衛門が、紅花仲買と呉服行商として創業したのが始まりとされる。1917年に百貨店事業に進出し、その後、鹿児島県を中心に店舗を拡大、グループ企業に川内山形屋や山形屋ストアなど23社をもつ。

 鹿児島市の中心商業地域に位置する本館は1916年竣工、新館は1932年竣工の歴史ある建物で、1998年には外観改修され、ドーム屋根の塔屋が特徴的だ。

 それだけに地元への衝撃も大きく、鹿児島県の塩田康一知事も、5月17日の定例記者会見で、県としての支援にも触れた。鹿児島銀行を中心とする地元金融機関が足並みを揃えて、山形屋支援に協調したことも、地元にとって大きな存在であることが決め手になったと言える。

 店舗の廃止や従業員の解雇がひとまず避けられたことで、地元では安どの声が聞こえる。しかし、2023年以降、コロナ禍の影響が薄れ、九州内の各百貨店の売上げは増加傾向にあるとはいうものの、経営陣の続投や全ての店舗の継続などが、経営再建にどう影響するか、懸念する声も少なくない。

旧・熊本岩田屋。2002年9月・熊本市。2015年解体。(画像・筆者撮影)
旧・熊本岩田屋。2002年9月・熊本市。2015年解体。(画像・筆者撮影)

・地方百貨店の再興は難しい

 山形屋の今後の再建の道のりは、容易ではない。実は、これまでも地元資本や域外のファンドなどによる百貨店の再建が各地で試みられてきたが、最終的に廃業に終わっている。

 同じ九州では、熊本市の中心市街地にあったバスターミナルの交通センターにあった百貨店・熊本岩田屋が2003年に経営難から閉店。地元資本によって株式会社県民百貨店を設立し、くまもと阪神として経営を継続した。さらに、2011年に県民百貨店となった。しかし、再開発によって新たな投資での採算性確保は困難となり、経営継続を断念し、2015年に閉店した。再開発後の建物に出店するという案もあったようだが、新たに投資するだけの収益が見込めないことが最終的に廃業を選択させた。

 宮崎山形屋が唯一の百貨店となった宮崎市には、地元資本の橘百貨店が存在した。1950年代から1960年代には興隆したが、1970年代以降、橘百貨店は、宮崎山形屋や次々と進出してきたスーパーなどとの競争に敗れ、1975年に倒産する。その後、ジャスコ(現イオン)の支援によって営業を継続し、1988年にはボンベルタ橘と名称を変更した。しかし、2007年になるとイオンが株式を投資顧問会社に売却し、百貨店経営から離脱。地元経済界で、橘百貨店の地元回帰運動が起こり、地元企業が出資して設立した橘ホールディングスが、全株式を買収し、県民百貨店として経営を行うようになった。しかし、2020年2月にPPIH傘下のドン・キホーテが橘ホールディングスを買収、百貨店としての営業は終結した。

 岩手県盛岡市では、中三盛岡店が2011年に閉店した後、企業再生ファンドが100%出資して、2012年に百貨店Nanakが開業した。しかし、赤字経営が続き、さらに親会社のファンド会社の経営難、さらには耐震補強工事の必要性などから、2019年に閉店している。

 同様に、百貨店建て直しを試みたが、最終的に閉店した事例は、愛知県豊橋市のほの国百貨店(旧・豊橋丸栄)、兵庫県姫路市のヤマトヤシキ姫路店などもある。また、2020年に閉店した山形県の百貨店大沼の場合は、再生ファンドが名乗り出たもののトラブルが相次ぎ、結局頓挫した。

旧・百貨店Nanak(ななっく)。2019年9月・盛岡市。2020年解体。(画像・筆者撮影)
旧・百貨店Nanak(ななっく)。2019年9月・盛岡市。2020年解体。(画像・筆者撮影)

・百貨店経営を圧迫する複合的要因

 各地で百貨店の廃業が相次ぎ、さらに再建の試みがなかなか軌道に乗らないのには、複合的な原因がある。

①老朽化した建物

 地方百貨店の多くは、1980年代までに建築された建物を利用している。2013年の耐震改修促進法の改正によって、1985年5月31日以前に旧耐震基準に基づいて建てられた大型店舗等は、耐震診断を実施し、一定の条件以上に該当する場合は、耐震改修が必要となった。

 このことは、巨額の耐震改修費用が必要になったことを意味する。山形屋も、2015年から本店、川内店、宮崎店の耐震改修と店舗の大規模改修を行い、それらは総額90億円を超す費用となり、経営を圧迫する原因となった。

②流通業界の構造変化

 鹿児島では、2004年の九州新幹線の開業に合わせて、鹿児島中央駅にJR九州が、九州最大級の駅ビル・アミュプラザ鹿児島が開業した。JR九州は、収益確保のために、自社駅舎に直結した商業施設の開設を進めており、博多駅、鹿児島駅、宮崎駅、長崎駅などに大型商業施設を設置している。

 次いで、2007年には山形屋から南に車で約15分程度のところに約200店舗を有するイオンモール鹿児島が開業している。県内には、イオン隼人国分ショッピングセンター(霧島市)、イオンタウン姶良(姶良市)といった大型商業施設がある。さらに、隣県の宮崎県には九州最大の約240店舗を有するイオンモール宮崎がある。

 鹿児島市内は再開発も進んでいる。2021年6月には鹿児島中央駅前に県内で最も高い鹿児島中央タワーが完成し、1階から7階に大型商業施設「Li-Ka1920」が開業した。2022年には、天文館地区の再開発事業として複合商業施設「センテラス天文館」が開業した。今後、さらに鹿児島中央駅と天文館地区の中間にあたる加治屋町1番街区でも複合商業施設の建設が計画され、鹿児島中央駅西口地区の再開発も進むなど、商業施設が増加しており、競争は一層激化する見込みだ。

 こうした激しい競争の中で、いかにして百貨店に消費者の関心を集めるか、流通業界の構造変化の中で、百貨店がいかに変化するか注目される。

鹿児島市概略図(各種資料より、筆者作成)
鹿児島市概略図(各種資料より、筆者作成)

③消費行動の変化

 インターネットショッピングを利用する人が増加し、コロナ禍以降も定着している。総務省の「令和3年版情報通信白書」によれば、ネット通販を利用する世帯の割合は、2020年3月以降に急速に増加し、その後は二人以上の世帯の約半数以上が利用するまでになっている。

 ネット通販の影響は、電気製品、食品、衣料品など幅広く及んでいる。高級品市場にもネット通販は拡大しており、百貨店にも大きな影響を及ぼしている。

 また、新幹線の新規開業や地方空港へのLCC(格安航空会社)の就航によって、東京などへの女性向けのショッピングツアーの売り込みも盛んとなった。鹿児島からは、新幹線利用による博多、航空機利用による東京のツアーが販売されており、ネット通販に加えて、女性の買い物客の流出を招いている。

④地域経済の低迷

 最後に地域経済の低迷が大きく影響を及ぼしていることも指摘される。店頭での販売以外に富裕客を対象にした販売である外商が、百貨店の売上げのかなりの割合を占めてきたと言われる。一般的には、20%程度と言われるが、バブル経済期などは、30%や40%といった百貨店もあったようだ。

 ところが、地方部において地域経済の低迷によって、富裕層が減少し、外商の売上げが減少した。特に従来、百貨店の強みとされ、外商での重要部門であった呉服、芸術品、贈答品などの売上げがバブル経済崩壊以降、急減してしまった。外商の低迷が、百貨店経営を難しくしている。

 また、外部のコンサルタント会社やファンド会社が百貨店の立て直しに乗り出しても、経営再興が軌道に乗らない理由として、新規の出資に応ずる地元企業が少ないことがある。

 百貨店が廃業するとなると、市民はもちろん地元首長などからも存続への要望が出される。しかし、現実には、地元から充分な資金を調達することが難しい。地方金融機関の経営も、低金利時代の長期化と、地域経済の低迷の影響で、盤石とはいえない状況がある。

 こうした百貨店を取り巻く状況が厳しいのは、鹿児島県でも同様である。今回、鹿児島銀行をはじめとする地元金融機関は、総額約360億円の債権を株式化するなどの山形屋救済策に同意し、5年間で事業再生を目指すとしている。今後も百貨店を取り巻く経営環境は、より厳しくなると考えられる。懸念する声も多いことは理解できる。

・事業再生ADR制度を利用した山形屋は、百貨店再興の試金石

 百貨店の低迷は、地方部だけに限らず大都市圏においても、淘汰が進みつつある。地方部では、徳島県、山形県、島根県ですでに百貨店が無くなった。さらに2024年7月末には、岐阜高島屋が閉店を予定しており、百貨店のない県は、4つになる見込みだ。また、2024年8月には、埼玉県東松山市の丸広百貨店東松山店、2025年2月には長野県松本市の松本パルコ、3月には同じ松本市の井上百貨店の閉店が決まっている。

 そんな中で、地元金融機関である山形銀行などが経営継続に対して全面支援を行い、事業再生ADR制度を利用した山形屋は、これまでになかった事例となる。

 ただ、事業再生ADRによって、深刻な資金不足からは脱する見込みだが、今後の収益性改善などには、多くの課題が残っている。例えば、山形屋本店のJRアミュプラザ鹿児島、イオンモール鹿児島などとの競合関係は、宮崎山形屋におけるJRアミュプラザ宮崎、イオンモール宮崎とほぼ同じだ。

 こうした中、従来からの百貨店である山形屋が、どういった形で生き残っていくのか、新たな顧客開拓が重要となる。例えば山形屋本店の位置する天文館地区は、宿泊施設や飲食店などが多く、内外からの観光客が多く訪問、滞在している。本店は歴史的な建物でもあり、大食堂などは昭和の雰囲気が残り、観光資源として利用することも可能だろう。

 従来の中高齢の富裕者層だけではなく、若い世代やインバウンド観光客をいかに取り込めるか、山形屋本店の立地する天文館地区全体での相乗効果を生み出せるかどうかに、今後の成否がかかっている。それには地域の商業者、事業者の連携と協調が重要であるし、県内経済界の広範な協力が必要だろう。

 いずれにしても、地元金融機関の全面的な協力の下で事業再生ADRによる百貨店再興策の行方は、地元鹿児島だけではなく、同様の問題を抱える他道府県からも注目される。

桜島と鹿児島市中心部。(画像・筆者撮影)
桜島と鹿児島市中心部。(画像・筆者撮影)

神戸国際大学経済学部教授

1964年生。上智大学卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、京都府の公設試の在り方検討委員会委員、東京都北区産業活性化ビジョン策定委員会委員、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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