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【河内長野市】河内長野の西の果てには何がある?河内・和泉・紀伊の三国の接点、三国山に行ってみました

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

西遊記に代表されるように、仏教で登場する極楽浄土・天竺と言えば、西方浄土(中国に対するインド)ともいわれますね。これは西の果てには素晴らしい何かがあるという意味だと思います。では、河内長野の西の果てには何があるのでしょう?

反転しているのが河内長野市の地図です。この中でもっとも左(西側)にあるのが、西の果て(最西端)です。

その場所はこちらです。画像中央三国山(みくにやま)が河内長野最西端です。三国というのは見てもわかるように旧和泉国(現和泉市)。旧紀伊国(現かつらぎ町)そして、旧河内国(現河内長野市)の三つの国が交わる場所だから三国山との名前がついています。

似たような場所として東側に行者杉があります。こちらは河内(河内長野)、紀伊(橋本)、大和(五條)の3国が交わる点です。

ということで、河内長野の西の果てがどんな所か行ってみることにしました。とはいえ、実は河内長野側からこの西の果てに直接行くのは基本的に困難です。

和泉側なら槇尾山施福寺からの山道という選択肢もあるようです。もっとも行きやすいのは紀伊側の串柿の里四郷側から行くことです。

訪問した11月下旬にはちょうど干し柿のタイミングでした。ちなみに画像の場所は串柿の里四郷 大久保地区です。私が訪問した時は日曜日だったので、以下の方法は使えませんでしたが、平日ならJR和歌山線の笠田駅から事前予約制のデマンド型乗合タクシー(外部リンク)を使えばここまで行けます。

デマンド型タクシーの大久保の目の前にあるのが定福寺です。公共交通ならここから三国山へのスタート地点となります。車なら舗装された道があるので、直接三国山まで行けます。

定福寺のすぐの横にある八坂神社です。

八坂神社から三国山まで上りの道のりが続きます。三国山の標高は885メートルあります。岩湧山の標高が897メートルなので、ほぼ同じくらいの高さに匹敵します。

結論を言えば三国山まではこのような舗装された道が続いています。その理由は三国山には航空路監視レーダーの設備があるためです。

スタート地点の大久保が標高580メートルほどあるので、三国山までは300メートル以上の標高差があります。

山道ではなく、緩やかな舗装された道路だったこともあり歩きやすかったです。300メートルの高低と言えば、富田林最高峰金胎寺山に登る感覚なんだと想いながら登ることで、気持が萎えないようにしました。

途中に石碑があります。

上りきったところで、道が二手に分かれています。

ここは、右側の道を歩くと三国山に行けることは、地図のアプリで確認済みです。ちなみに左側の道を歩くと、鍋谷峠に行けます。

引き続き登りながら三国山を目指します。

道の横にある電柱にも「三国山」と書いてあります。

施設がある理由はあるとはいえ、三国山への舗装された道はある程度広く、車でも行きやすいと思いました。

やがて、左手に石碑と小さな広場のようなところが見えます。

石碑の内容です。驚いたことにかつてここには茶屋があったというのです。当時はとても重要な道だったわけですね。そして廃止後も石碑を設置することで、かつての歴史を後世に残しています。以下、石碑の内容を引用します。

七越峠茶所跡
七越峠は、紀州と泉州の国境にあって、西国観音霊場や高野山への参詣道、また紀泉領国と結ぶ生活道の要衝であった。
この峠に茶所がいつごろ置かれたかは明らかでないが、嘉永二年(一八四九)の記録に「竜宿山七越峠、泉紀国境に常接待」「七越茶わかし」とみえることから、江戸時代には置かれていたことがわかる。茶所は、昭和前期まで、地域住民や茶所世話人衆によって維持され、旅人の憩いの場として親しまれてきた。
 しかし、その後、交通手段の急速な発達に伴い、利用者が減少し、ついに廃止され、今日に至った。
 ここに、往時の茶所をしのんで、碑を建立する。 七越茶所世話人衆

一九九二年九月吉日 門阪文左衛門 太下義昭 的場孝至 前岡儀右衛門

茶屋の跡地の広場にはベンチがあったので、少し休憩できました。

一体のお地蔵さんがあります。

そしてここは七越峠と呼ばれるところです。三国山への舗装されたルートのほか、和泉市の父鬼と蔵王峠方面の山道との交差している地点でもあります。

ただ父鬼方面の道は事実上閉鎖されているようで、登山の中・上級者などのスキルが高い人しか利用できないようです。

休憩が終わって再び三国山方面をめざします。

突然このような塔があらわれました。三国山に到着したのでしょうか?

実はまだ三国山ではありません。こちらの施設は国土交通省・大阪航空局の施設です。

またこのようなものを発見しました。七代龍王に行ける石碑です。

さらに、龍宿山の金剛童子というものが安置されています。

こちらが龍宿山の金剛童子です。

拡大しました。お堂の中は見えませんが、花が活けられているのがわかります。

まだ、三国山ではありません。引き続き歩きます。

しばらく歩くと、道しるべのようなものが見えます。

このように、三国山の道しるべを発見しました。

こちらです。和歌山側から歩いてきましたが、河内長野の西の果てに到着しました。

方角的にはこちらの林から遠くが河内長野です。滝畑地区になります。

と思ったのですが、まだ上りになっており、地図のアプリで見る限り、三国山航空塔はさらに先にあるようです。

河内長野側と思われる方向を眺めます。道はありませんが、スクっと伸びた木々がそびえたっています。

さて、開けたところに出てきました。

こちらにも三国山の標識があります。先ほどの地点よりも高くピーク地点のようなので、ここが三国山なのでしょう。標高が明記されていました。

スマホの位置情報を見るとこのようになっていました。

拡大すると、河内長野の最も西の果て(最西端)にいることがわかります。

あらためて標識の地点から河内長野側を見ている画像です。道らしきものにも見えますが、情報がなく不明です。

石碑には運輸省(現:国土交通省)用地と書いてありました。河内長野の西の果てにあるのは国の所有のようです。

反対方向を振り返ると、白い建物らしきものが見えます。

建物の正体はこちらです。三国山の上にあるという航空路監視レーダーです。

舗装された道はこの後も下りで続いています。左が和泉で右が河内です。続いていますが、道は途中で途切れているように見え、あったとしてもその先は山道と推測できます。そのまま山道を進めば施福寺方面に抜けられると考えられます。

ということで河内長野の西の果てをご紹介しました。舗装された道が続いているので車ならすぐ近くまで行けないことはないです。興味があればぜひ。

三国山(河内長野の西の果て)

住所:大阪府河内長野市滝畑

アクセス:大久保地区から1時間半程度

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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