元騎手の、1度は引退を撤回させた先輩の助言と、そこから繋がる調教師像とは?
競馬学校教官に言われ目が醒めたひと言
昨年暮れ、1人の騎手が引退をした。
嘉藤貴行。
騎手生活22年でJRA通算157勝。重賞勝ちはなく、昨年はとうとう未勝利で終わった。数字だけなら決して一流とは言えないが、長らく騎手を続けられたのは「多くの人の助けがあったから」(本人)。そして、笑顔を絶やさぬ本人の性格と、1人の先輩騎手のアドバイスに助けられたせいだった。
1981年11月、東京の大森で生まれた。現在40歳の彼の、競馬の入り口は中学の時にやったゲームだった。家が大井競馬場の近くだった事もあり、実際に観戦しに行くと「騎手になりたい」と思うようになった。そこで、中学卒業を前にJRA競馬学校を受験した。
「馬に乗った事がなかったし、合否を報せる封筒があまりに薄かったから不合格だと思いました」
ところが開封すると“合格”の文字が目に飛び込んだ。
「嬉しかったです。ただ、親元を離れるのも馬に乗るのも初めてで、学校生活は不安しかありませんでした」
入学後、僅か1ケ月で落馬して骨折。復帰後も経験者に何とか追くのに必死で、眉間に皺のよる日々が続いた。そんなある時、教官に言われた。
『やりたくてこの世界に入って来たのに何故、険しい表情をしているんだ? 笑いなさい!!』
目が醒めた思いがした。
「好きな事をしているのだから笑顔を忘れないようにしようと考え直しました」
引退を撤回させた先輩騎手のアドバイス
2000年、美浦・田中清隆厩舎からデビュー。初年度に19勝をあげると、2、3年目も18、19勝。それなりにやっていけると手応えを感じた。しかし、勝負の世界はそう甘くなかった。
「減量の特典がなくなると年間二桁勝つのがはるか遠くになりました」
10年にはとうとう年間を通して1勝しか出来ず、引退を考えた。
「鹿戸雄一先生が調教助手として雇ってくださる事になり、事務手続きなど面倒な段取りを全てやっていただきました」
しかし、後ろ髪を引かれる思いもあった嘉藤は、ある日、1人の先輩に相談をした。
「雲の上の存在だったので、それまでは話しかけるのも恐れ多い感じだったのですが、中山競馬の帰りに同じタクシーに乗ったので、思い切って相談しました」
相手は横山典弘だった。すると……。
「『少しでも乗りたい気持ちがあるなら続けて、それでどうしてもダメなら辞めれば良い』と言われました」
この助言に後押しされ、現役続行を決意。鹿戸に頭を下げると、理解して受け入れてくれた。
「続ける限りはこれまでと同じではいけないと、心構えから入れ替え、トレーニングも強化しました」
16年目で初のダービー騎乗
そんな姿勢と、どんなに苦しくても笑顔を絶やさない姿を師匠の田中や高橋義博(廃業)といった調教師達が見てくれていた。
「他にも多くの調教師やオーナーが助けてくださいました」
すると14年、1頭の牡馬の背中を任され続けた。2戦目に2歳未勝利を勝つと5戦目には当時GⅡだったホープフルSで2着したコメートだった。
「明けて3歳になるとクラシックレースを目指す事になりました。GⅠ戦線なんて自分とは別世界の話だと思っていただけに、騎手を続けていて良かったと心底思いました」
皐月賞(GⅠ)10着後、日本ダービー(GⅠ)に臨んだ。嘉藤にとってデビュー16年目での嬉しい初の大舞台だった。
「『有力馬に迷惑をかけたらどうしよう』とか考えて緊張したけど、人気薄(18頭立て16番人気)だった事もあり、レース自体は楽しんで乗れました」
最後の直線で内にモタれる場面こそあったもののロスなく立ち回って直線では馬券圏内もあるか?と思える競馬。結果5着だったものの充分に評価出来る手綱捌きを披露した。
「初めて参加してみて、こういう舞台に常に騎乗出来るような騎手にならないといけないと痛感しました」
先輩騎手の助言から続く目指すべき調教師像
2年後の17年。嘉藤が個人的に衝撃を受け、その後の人生に影響を与える出来事があった。
「後輩騎手の田中博康君が調教師試験に合格しました。それを耳にした時に『調教師という道も他人事ではない、具体的に考えなければいけない』と思うようになりました」
そこで騎手を継続しながらも少しずつ準備を整えると、20年に初めて受験。21年、2度目の受験で難関を突破してみせた。
「手応えは終始なかったです。でも、師匠の田中先生が22年には定年で厩舎を解散しなくてならないので『引き継ぐためには21年に受からなければ……』と考え、勉強を続けました」
結果、田中からバトンを継げるタイミングで合格出来た事が何よりも嬉しいと続けた。
通常なら1年間の技術調教師期間を経て、その後、開業となるが、今回に関してはこの3月にすぐ開業だ。助走期間が短い事を踏まえ、嘉藤は2月を待たず、昨年の暮れで鞭を置く事を決意。12月28日の中山競馬場でラストライドを終えた。
「最後はもっと感傷的になるかと思ったけど、泣く事もなく、考えていた以上に楽しく乗れました」
そんな最後の騎乗を前に、横山が声をかけて来たと言う。
「ノリさん1人だったから出来るわけがないのですが『よし、胴上げしよう!!』と言って来てくださいました。その後『まだ少し早いか』と言って去って行ったけど、ラストランという事で緊張しそうだった僕の心がほぐれました」
10年前に相談して以来、この関東のトップジョッキーとたびたび言葉をかわすようになったという新調教師は、開業後の調教師像について、次のように語った。
「ノリさんと話していると、レースでの騎乗を見ているだけでは理解出来ない様々な事を奥深く考えているのが良く分かりました。だから自分が開業した暁には騎手達が本音をぶつけてくれるような調教師になりたいと考えています」
聞く耳を持った船長が舵を握る嘉藤丸の船出は2ケ月後。どんな航海が待っているのか。楽しみにしたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)