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かりゆし58 慈愛に満ちた、バンド”再生”のアルバム『変わり良し、代わりなし』に感じる強さ 

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
7thアルバム『変わり良し、代わりなし』(10/18発売)
7thアルバム『変わり良し、代わりなし』(10/18発売)

かりゆし58の3年ぶり、7枚目のオリジナルアルバム『変わり良し、代わりなし』が10月18日に発売され、好調だ。アルバムタイトルには深い意味が込められている。メンバーの病気をきっかけに、バンド、そして中心メンバーの前川真悟は、悩み、迷い、希望を失った。幸せを求めバンドを続けていたはずが、進んでいる方向を見失い始めた。そんな前川の心にひと筋の光が差し込んできて、霧が晴れた。その結果ができあがったのがこのアルバムだ。より自然体で作る事ができ、より人間味あふれる、熱い一枚が完成した。前川を、バンドを救ったひと筋の光とは?アルバムに込めた想いとは?前川に話を聞かせてもらった。

「メンバーの病気をきっかけに、自分達は幸せに向かって生きてきたはずなのに、本当に幸せに向かっているのか疑い始めた」

――この『変わり良し、代わりなし』というタイトルが秀逸で、色々な意味を想像させられますが、アルバムを作っているうちに、出てきた言葉なのでしょうか?

前川 アルバムの制作を始めた段階で出てきた言葉です。一昨年、デビュー10周年を迎え、24歳で同級生とバンドを組んで、気がつくと今年36歳になります。その時改めて、干支一周分音楽とメンバーと共に一緒に生きてきたんだなあと思ったり、メンバーの(中村)洋貴(ドラム)が病気で休んでいた事もあって、CDも売れなくなった状況の中で色々な不安が募ってきて、そんな時におまじないのように言っていた言葉です。変わっていく事をビビっていたらどうにもならなくなる、と。自分の代わりに責任や自分の人生を背負ってくれる人はいないのだから、変わるんだったらとことん変わるのもよし、と、ここ2年くらい考えていました。

――洋貴さんが休んでいた事が、バンドと、前川さんに、大きな影響を与えたという事ですよね。

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前川 そうですね、メンバー全員が感じている事ですが、4人の音楽隊の中の役割を担う人間の浮き沈みという事よりも、同じ年の同じ性別、同じ場所で生まれた人間が、幸せに向かって生きていたはずなのに、そうじゃない状況になって。それは自分達が向かっている方向が、本当に幸せに向かっているのかと、根本から疑うきっかけになる出来事でした。今一生懸命やっている事は誰のためなのかを考えるようになったり。洋貴の病気は誰がなっていてもおかしくない病気で、洋貴が俺達の代わりに背負てくれたんだという考え方にメンバーがなってしまって。特に3歳から一緒にいるギターの(新屋)行裕は、自分の中で、洋貴の存在の大きさに改めて気づいて、ギターを弾いていても楽しくないと言っていました。こんな気持ちで音楽をやって、人様からお金をもらうほど図太くはなれないから、ギターを置こうかという事も頭をよぎったようです。メンバー全員が同じ気持ちで、それを乗り越えてこのアルバムを作る事ができたという感じです。

「自然体でいようとしていた。変わらない自分達でいようとしたが、実は大きな変動の時期だった」

――この4人だからこそ成立していた音楽だし、バンドだということを、より強く感じた2年間だったんですね。

前川 そうですね、でもその分、実は目標がはっきりしていた2年間でもありました。洋貴と飲んだ時、それまでの感覚と違って、こんなに気を遣ったっけ?と思った事があって。他愛もない話は普通にできるのに、かりゆしの音楽、自分達の生業についての話になると、お互い言葉がつまるという感じで……ちょっと待てよと。もっと売れて、華やかな場所に立つ事を想像した時、それが洋貴にとっても俺たちにとっても、はたして幸せな事なのかと考えました。そうではなくて、俺達が沖縄にいつ帰ってきても、沖縄の人達が待ってたよって愛してくれて、俺たちももっと島を愛する気持ちに心をシフトすれば、洋貴は安心して待っていられると思いました。そういう風に考えられるようになってからは、メンバーで、沖縄に帰ってくるための下準備をするから、洋貴はのんびり休んでても大丈夫だよって自然に話せるようになりました。

――かりゆし58の音楽は今までもメロディも詞も、飾らない“自然体”という感じがしていましたが、『変わり良し~』は、より自然体になっているような気がします。

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前川 そう感じてもらえると嬉しいです。今まではきっと自然体でいようとしていたのだと思います。変わらないでいようとしていたんです。でもこの2年間というのは、僕の中では一番大きな変動の時期で、一人で色々な場所に出ていって、レゲエの先輩や、ヒップホップをやっている人たち、民謡をやっている人たちと一緒に歌いました。この間は南三陸で子供達と一緒にやったりして、その結果、自分の生まれた沖縄が大好きで、自分の居場所がある事の幸せを、洋貴のお陰で改めて体感できて。その感覚を持って、色々な街に行くと、その街でも手触りは違うけれど、同じような安らぎや愛おしさがあると信じて歌うと、そこにいる人達と魂を共にできると思います。音楽ってそういう時にとてもいいツールなんだとわかったぶん、さらに愛情を持って接することができて、だからより自然体でできているのかなと思う。俺たちが音楽をやっていくために一番大事な事というか、シンプルな答えは、音楽好きが増えればいいだけだと思っています。他のミュージシャンより秀でているとか、優れているという事を求めるのではなく、一人でも多く音楽好きが増えれば、きっとミュージシャンは死なないと思っていて。そう考えると、より自然に音楽と向き合えるようになりました。

「沖縄は人と音楽の距離が近い。呼吸と共に音楽がある。だから歌を難しく捉えず、いつ、どこででも歌おうと思った」

――以前インタビューした時も、沖縄の先輩ミュージシャン、後輩ミュージシャンとのつながりの強さ、絆を教えていただきました。沖縄という場所が、楽しくても、そして悲しくてもまず歌おうよという、音楽がすごく身近にある土地だからこその、ミュージシャン同士の絆の強さ、という気がします。

前川 正にそれです。それこそ先輩方と触れ合う中で印象的だったのが、戦争前、ロックやレゲエもまだ入ってきていない、純粋に島唄しか音楽がなかった時の歌は、本当に生活に密着した内容で、例えば奄美大島のシマ唄は、その集落=シマ事の歌ったものだし、生活の様子を切り取った歌が、溢れていました。これだ!と思って。飲んだらすぐ歌い始めるアクションの速さも沖縄の人の魅力だし、歌を難しく捉えない、音楽と人との距離が沖縄は近くて、それこそ音楽が呼吸と共にある感じがしていて。だから場所は考えずどこでも歌うようになりました。

――そういう、沖縄が教えてくれた事を残さなければいけない、伝えなければいけないという思いが大きくなった事を、今回のアルバムではタイトルも含めて感じました。

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前川 そう思ってもらえると嬉しいです。原点回帰に聞こえるかもしれませんが、逆なんです。今沖縄の若手ミュージシャン達と、音楽をどう広めていくか、伝えていくかという事について色々実験をしていて、先輩方が歌を暮らしの中に宿してきたように、それも根本だけど、俺たちがミュージシャンとして、世の中とつながっていく色々な形も一緒に模索しないといけないと時代だという思いからです。72歳の先輩ミュージシャンも新曲を書いています。ただそれをどう広めていくかは、僕たちと同じ戦いをしなければいけない。だからそれをみんなで実験して、面白かったら「先輩こんなのやりましょう、俺もやってみるので」という事が生まれるかもしれないし、それが沖縄の音楽シーンの歴史を紡いでいく事になると思います。

「苦しい時期が続いたけど、沖縄の先輩ミュージシャン達の”慈愛”に救われた」

――自然体というのは、原点ではあるけれど、精神的に強くなって、さらに進化した上での自然体という事、それがこのアルバムには感じる事ができます。かりゆし58の変わらない部分も、実は変わっているんだという。

前川 そう感じていただけると、最高です。たぶん僕自身が、32歳頃から2年前まで、ものすごく音楽と向き合うことが苦しかった時期がありました。ある日をきっかけにパッと気持ちが開けたわけではないのですが、数えきれないくらい色々なきっかけをいただいて。それがあって、ゆっくりと沼から這って出てきたというか、引き上げてもらった感じです。そのひとつが先ほど出た、先輩方の音楽との向き合い方で、明らかに自分と違っていたのが、“慈愛”という事でした。普段話をしている時も、音楽に対する姿勢も慈愛に満ちています。それを感じて、俺はなんでこんなに独り相撲をして、自分で負けた気になったり勝った気になったりしていたんだろう、と気づいた事が、その前とそれ以後の変化なような気がします。

――その“気づき”は大きいですし、大切な事ですよね。

前川 本当に大きかった。そのタイミングで洋貴のことがあって、足りなかったのは慈愛だと思えるし、曲に対する愛情だと思いました。

――「慈愛」ってたった二文字だけど、とてつもなく大きいものだし、人によって捉え方も違うので難しいこのですし、つかみどころがない、心の中のものじゃないですか。だからこそ音楽にできるのかもしれないですね。

前川 そうなんです、ちょっとその匂いをかげるのが音楽なんです(笑)。先輩からはもちろん慈愛という言葉を言われたことはありませんが、音楽を通して色々な場所で色々な人と触れ合っていると、自然に心の交差が生まれてきます。それは、譜面上いい演奏かどうかというところとは別の次元にある、音楽への愛情を共有できた瞬間でした。お互いが相手への、音楽への慈愛に満ちた中で音楽を鳴らすんです。

「かりゆし58は長いトンネルから抜けた。その証拠がこのアルバム」

――今回のアルバムに入っている曲は、ここ3年ぐらいで書いた曲ですか?

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前川 この春までやっていたツアーで、かりゆし58は2年間出られなかったトンネルから抜けたと思っていて。ライヴで、それぞれの躍動感がすごくて、のびのびやっていてライヴに救われていった感じでした。だからサウンドと目的地としては、ライヴで完全燃焼できるようなアルバムを作りたいね、という話はみんなでしました。歌う事については、みんなでテーマやキーワードを持ち寄って、例えば「居酒屋で誕生日になるとドリカムが流れるけど、沖縄の居酒屋で自分達の曲が流れたら嬉しいね」と行裕が言った事がきっかけで「Happy birthday song」ができたり、「みんなでカラオケで歌える歌」とか、「七夕の歌」を書きたいとか、「お葬式でも流せる曲」とか、そういうざっくりとしたテーマを20コくらい挙げて、そこから選んでいきました。

「「流星タイムマシン」は”全員”が参加、”活躍”した推し曲。MVを是非観て欲しい」

――本当に色々なテーマ、情景が描かれています。

前川 そうですね、不思議な事があって、「さらば太陽」という曲を書き終わったくらい に、親友のET-KINGのイトキン(肺腺癌で闘病中である事を公表)の病気の事がわかって、急いで大阪に行きました。それで二人で散歩に行った時、彼の背中を見ると、首の後ろに「太陽」という文字のタトゥーが彫られていて。それを見て、元々曲というものは、そこにあるべきもの、あったものを蘇生させる作業だと沖縄の先輩に教えられてきたので、もしかしたらそれが少しはできているのかもしれない、と思える作品でもあります。

――今書くべきというか出すべき、聴いてもらうべき曲が揃っているという事ですよね。それはもしかしたら当たり前の事かもしれないけれど、当たり前って偶然が重なる事かもしれませんよね。

前川 少なくとも、偶然に愛されるくらいは、そういう姿勢で今までやってこれたのかなと。洋貴が休んでいる状態で、新しい曲を作る事に疑問を感じていたので、3年間アルバムを出せなかったのですが、そのトンネルから抜け出して最初にできたのが「ホームゲーム」という曲です。それでこの曲を洋貴に飲み屋で聴かせて、友達も一緒にセッションして、洋貴に「アルバムを作ろうと思うんだけど」って話をすると「やった方がいい」と言ってくれて。そんな中で、世の中的にいうリード曲をどうしようかと悩んだ時に、「流星タイムマシン」は(宮平)直樹(ギター)が作った曲で、行裕と僕がツインボーカルというスタイルで、洋貴にも、彼はバンドに参加できない事を非常に悔やんでいるので、MUSIC VIDEOの中に登場するジオラマを作ってもらいました。一切嘘がないMVにしたくて、シチュエーション、ロケーションがはっきりしている歌詞だったので、町の背景を洋貴が作って、ジオラマの世界で展開していくものしようと言いました。そうしたら、あいつものすごいものを作ってきて(笑)。3年ぶりのオリジナルアルバムで、4人全員が活躍している曲が推し曲になるといいかなと思いました。

――確かに、4人が“出演”していて、嘘がないですよね

前川 この曲が今回のアルバム全体、今の僕らのテンションを象徴していると思います。

「沖縄をもっと愛し、沖縄の人にもっと愛されるバンドになりたいという思いを「ユクイウタ」に込めた」

――そういう意味でもこのアルバムは、これからも続く活動の中でも、意味のある、大きな存在になりそうですね。

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前川 そう思います。「流星タイムマシン」もたくさんの人に聴いて欲しいのですが、「ユクイウタ」という、大好きな曲があって、10年前に出した「ウクイウタ」というのは沖縄の言葉で「贈る、送る」歌という意味で、ユクイというのは休むという意味です。沖縄から送り出した人達が沖縄に帰ってくる時に、迎えたいという気持ちで作りました。僕が育った街では、色々な事情で4年に1回くらいしかお祭りがなくて、その時に花火が上がって、それをみんなが楽しみにしています。このお祭りを毎年開催できれば、沖縄を離れて都会に行っている人も、帰ってくる理由、きっかけになると思いました。それで町の役場に勤める先輩や色々な人を巻き込んで、実現に向け動き出しました。その時に、その先輩から「そのキャンペーンソングを書いてくれないか」と言われたので、「今、かりゆしでアルバムを作っているから、そこに入れる」と書いたのが「ユクイウタ」です。これも自分達がいつか、沖縄に帰って来てほしいと思ってもらえるような人間になるために、何ができるのかを考えたことのひとつで、とはいえ地元密着だけを武器にしているのは、ある意味音楽としては邪道な部分もあると思うので、「流星タイムマシン」のような、自分たちの中の音楽性で作った曲も、リード曲として出していこうという事です。

--極めて近くの人に向けて歌っていても、やはり全ての人の心に向かっていきますよね。

前川 無理なくトピックスをどこかから引っ張ってきて、これだったら多くの人に感動してもらえると思って作った曲は一つもなくて、この人に楽しんでもらいたい、聴いて欲しいという明確なものがあります。

「色々な人との出会いが自分を強くしてくれた。相手の懐に飛び込めば、飛び込んで来てくれる。信頼の積み重ねが大きな力になっている」

――この2年間は色々とインプットができた時間で、それをアルバムに熱として反映する事ができたように思いました。

前川 作っていてとにかく楽しかったアルバムです。色々な出会いがあって、お互い惹かれあって、こっちのフィールドに来てもらうこともあれば、もちろんあっちのフィールドにお邪魔することもありますが、結局どちらでもやることは同じで、みんな同じところに向かっているんだなという事を実感できました。前までは、こういう状態で得られるものは自信だと思っていました。でも今は世の中を信頼、人を信頼できるようになって、その人を変に警戒したり、駆け引きするのではなく、懐に飛び込んでしまえば、きっと楽しいことがあると思えて、実際そうでした。みんなも飛び込んで来てくれるし、散々人に甘えて、楽しいと言いながらやっていたら喜んでくれる人がいて、いい状態で活動ができています。

「いっぱい楽しんで、悩んで、決して苦しみから逃げない」

――今、クリエイティヴな部分でも、精神的にも一番いい状態なのではないでしょうか。

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前川 人生で一番いい時だと思います。でも今の僕があるのも苦しい時期があったからで、これからもまたその苦しい時期はやってくると思っていて、でもそれが覚悟できたので、今の状態でいられます。苦しんだ時期の事は、決してノーダメージではなくて。だからその分、自分が楽しめる状況のうちに、いっぱい楽しんで、悩む状況になった死ぬほど悩んで、またフルスイングすればいい。苦しみを避けると、その分、縮こまったスイングになるし、悩み始めてその悩みを人に見せないようにしたら、また悩む事が下手になったり、楽しむ事が下手になると思うので、それだけは避けたいです。

――このアルバムを引っ提げてのツアー「ハイサイロード2017-18~変わり良し、代わりなし~」が11月からスタートします。

前川 アルバムの曲は、ライヴでやるための曲達なので、レコーディングに関してもある程度の自分たちのベストプレイは目指しましたが、ライヴでどれだけ育っているかが大切だと思っていて。だからレコーディング中、自分の拙さに凹んでいるよりは、今日はこれが俺たちのベストプレイだ、次行こう、と言いながらできあがったアルバムだったりします。だからそれこそ現場=ライヴに向かっている、最初の一歩でしかない記録、曲とのファーストキスがアルバムだと思っています。そして10年という数字を、もう一回ゼロに戻る時だとおまじないのようにずっと言ってきましたが、実はゴールだったんです。ただ、そのゴールテープを洋貴の事もあってきれいに切れなかった分、このアルバムを作る事ができて、最高のリスタートを切れたと僕は感じています。

かりゆし58オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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