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日本の「自動運転」に見る現代における『赤旗法』

神田敏晶ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント
『赤旗法』時代、赤旗で先導する人がいないと自動車は市街地を走行できなかった(写真:Shutterstock/アフロ)

KNNポール神田です!

2018年、自動運転中のUBERによる死亡事故(3月19日)、TESLAドライバー本人の死亡事故(3月23日)が相次いで発生し、TOYOTAnVIDIAなども自動運転の実験を自粛している。

その一方で、米カリフォルニア州では、公道で完全無人の自動運転試験の申請受付を開始した。

カリフォルニア州は米国時間(2018年)4月2日、完全な無人車両による公道試験の申請受付を開始すると発表した。これは、安全を考えて人間のドライバーが運転席にいることが義務付けられていたこれまでの試験とは異なる。要件に含まれるのは、サイバー攻撃に備えた適切なセキュリティ対策や外部との双方向通信機能を備えていること、また、車両が特定の指定区域と条件の範囲外では自律運転で走行しないことなどだ。

出典:カリフォルニア州、公道で完全無人の自動運転試験を受け入れ

自動運転による死亡事故が発生していながらも、完全無人自動運転の申請受付を開始するところが米国のテクノロジーに対する考え方を標榜している。それでは、日本の自動運転に関しての取り組みはどうだろうか?

高速道路での自動運転走行は「65秒」以内

日経新聞によると、国土交通省による「自動運転」の安全基準の見解はこうだ

高速道路などを自動走行する際、ドライバーがハンドルから65秒以上手を離すと手動運転に切り替える仕組みを搭載することを義務付けた。2019年10月以降の自動運転機能を備えた新型車が対象。現在販売されている車種は21年4月から適用し、中古車は対象外とした。高速道の同一車線を自動走行できる機能を備えた車が普及し始めているのを踏まえ、手放し運転による事故防止につなげる狙い。

出典:自動運転、手離し65秒で手動に 国交省が初の基準

15秒以上手放しでの自動運転で警報が表示され、そのまま手放しでの運転を続けると、自動運転のシステムが停止し、50秒後つまり65秒経過すると自動運転が手動運転に切り替わるプログラムの搭載を義務づけている。他にも、自動駐車の際は時速10キロ以下という基準がある。これって、高速道路では65秒しか自動運転できないこととなる。2019年10月以降の日本を走る自動運転のクルマには、こんな自動で運転できない規制が義務づけられるのか?これでは、19世紀のイギリスの『赤旗法(1865年)』が現代に甦ってきたようなものだ。

車線維持支援機能に関する国際基準を導入します(国土交通省2017年10月10日)

http://www.mlit.go.jp/report/press/jidosha07_hh_000255.html

自動運転への取り組み (2018年3月)出典:国土交通省
自動運転への取り組み (2018年3月)出典:国土交通省

国土交通省の「自動運転の実現に向けた今後の国土交通省の取り組み(2018年3月)」の中にも、「全国4箇所において1名の遠隔監視・操作者が複数車両を担当する自動運転技術の検証や社会受容性の実験評価などを行う」とある…。これも3人いないと自動車が走れない『赤旗法』を想起させる。さらに…

現在、日本の道路交通法では、ドライバーが運転中の注意・監視の義務を負うとし、ハンドルから手を離し車に運転を委ねた時点で法律違反となる。これは国際法であるジュネーブ条約に準拠したもので、自動運転を認めるにはジュネーブ条約を改正する必要があるのだ。

出典:日本の道路交通法では 法律違反となってしまう問題点

アメリカは、州の権限において州法の整備を独自に進めています。いっぽうで、順法精神が強い日本では、きちんと規定するなり改正するなりして進めようとしていました。国際条約に対する解釈が日本とアメリカでは違うのです。(中略)法整備は今年(2017年)と来年(2018年)が大きな山場でしょう。2020年に向けて、自動運転技術を世界にアピールするため産官学挙げて取り組んでいます。国のストラテジーだからです。

出典:ジュネーブ条約の独自解釈へ自動運転の風向きが変わった…明治大学教授 中山幸二

19世紀の『赤旗法』で遅れをとったイギリス自動車業界

自動車が蒸気機関で動いていた19世紀後半のイギリス。自動車は必ず運転手、機関士、赤旗を振り、先導する人らの3人が揃って初めて市街地を走行することができた。また自動車は人の歩行速度以下(時速3km)で運行しなければならなかった。それが1865年に施行された『赤旗法(Red Flag Act,Locomotive Act)』であった。赤旗法は、蒸気自動車の普及を恐れた馬車業界の圧力が成立させたのだ。

貴族の子弟として生まれたチャールズ・スチュアート・ロールズは、1896年にパリへ旅行した折にプジョーを手に入れる。新しもの好きの学生だった彼は自動車の魅力にとりつかれたが、祖国イギリスでは満足に走らせることができなかった。自動車の未来に希望を抱いていたロールズは、仲間とともに赤旗法撤廃に向けて運動を起こす。制限速度を無視し、ロンドン市内をハイスピードで走り回ったのだ。わざと捕まって、裁判で赤旗法の不条理を訴えようとしたのである。しかし、上流階級の彼らを拘束すれば面倒なことになるため、警官は見て見ぬふりをした。さすがにこのばかばかしい法律は廃止されることになり、ロールズは大手を振ってクルマを走らせることができるようになったのである。(中略)赤旗法が撤廃されて以降、イギリスでは急速にモータースポーツが発展した。1907年には世界初の常設サーキットであるブルックランズが完成している。裕福な家庭の子弟にとって、自動車のスピードは何よりの楽しみだった。

出典:ロールス・ロイスとベントレー(1906年)

1896年に31年続いたイギリスの『赤旗法』はついに廃止された。しかし、同様に20世紀初頭まで米国でも必ず誰か一人が赤い旗を持って自動車の十数ヤード先を歩かなければならないという法律は残った。

このチャールズ・スチュアート・ロールズこそ、1906年にフレデリック・ヘンリー・ロイスと組み、「ロールス・ロイス40/50HPシルバーゴースト」を誕生させた「ロールスロイス」だった。赤旗法への不満がドイツ、フランスに遅れをとっていたイギリスに「世界最高の自動車」をもたらした。

自動で走れない『自動車』に意味はない

日本において、テクノロジー的や問題や法的な縛りもあるかもしれないが「特区」であったり、「特例」をもうけてでも「自動運転」に関するイニシアティブを官民を総動員してでも作り上げるべきだ。「AI」や「ドローン」「自動運転」は、次の元号を迎えた時には、三種の神器、いや融合した形態で、新たな「モビリティ・テクノロジー」として未来のニッポンの起爆剤となっていることだろう。1日も早く、現在における日本の『赤旗法』を撤廃し、2020年、東京オリンピックという明確なゴールを目標の前に、すべての叡智を結集させなければならない。自動で走れない『自動車』に意味はないということを、真剣に考えるべきだ。

大砲を運ぶために生まれた蒸気で走るニコラ=ジョゼフ・キュニョーの砲車(1769年)から249年経過、カール・ベンツのガソリン自動車(1886年)から132年経過…。自動運転はそれらのパラダイム・シフトに近い革命を見せてくれるはずだ。ハンドルのない自動車が登場してはじめて『自動車』といえるのではないだろうか?

ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

1961年神戸市生まれ。ワインのマーケティング業を経て、コンピュータ雑誌の出版とDTP普及に携わる。1995年よりビデオストリーミングによる個人放送「KandaNewsNetwork」を運営開始。世界全体を取材対象に駆け回る。ITに関わるSNS、経済、ファイナンスなども取材対象。早稲田大学大学院、関西大学総合情報学部、サイバー大学で非常勤講師を歴任。著書に『Web2.0でビジネスが変わる』『YouTube革命』『Twiter革命』『Web3.0型社会』等。2020年よりクアラルンプールから沖縄県やんばるへ移住。メディア出演、コンサル、取材、執筆、書評の依頼 などは0980-59-5058まで

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