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リオ五輪レスリング「金」登坂絵莉さん「無月経を見過ごさないで」医学生ら前に語る

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
リオ五輪レスリング女子48キロ級金メダリストの登坂絵莉さん(筆者撮影)

「リオデジャネイロ五輪前は1年半、無月経だった」。金メダリストの言葉は、医療を志す学生に衝撃を持って受け止められた。リオ五輪・レスリング女子48キロ級金メダリストの登坂絵莉さん(29)=富山県高岡市出身=は10月22日、医学・薬学部生が学ぶ富山大学杉谷キャンパスで開催されたシンポジウム「医療連携でスポーツを支える! 私たち1人ひとりにできること。」に登壇した。討論会ではトップアスリートを支える医療者と「スポーツと医療の連携」について意見交換、登坂さんは故障や女子選手の体調管理、メンタルケアなどさまざまな視点から体験を伝えた。

「医療連携でスポーツを支える! 私たち1人ひとりにできること。」と題したシンポジウム。討論会に参加した(左から)根塚さん、鮫島さん、登坂さん、吉田さん、荒木さん
「医療連携でスポーツを支える! 私たち1人ひとりにできること。」と題したシンポジウム。討論会に参加した(左から)根塚さん、鮫島さん、登坂さん、吉田さん、荒木さん

 シンポジウムは登坂さんの講演と、「スポーツ医療連携の可能性」と題した討論会の2部構成で行われた。討論会に参加したのは登坂さんのほか、サッカー年代別代表のチームドクターを務めた根塚武さん(富山大学出身、根塚整形外科・スポーツクリニック院長)、日本スポーツ協会公認ドクターの鮫島梓さん(同大学出身、現在は医学薬学研究部産婦人科教室)、一般社団法人「ドーピング0会」代表理事・薬剤師の吉田哲朗さん(同大学出身)、富山県内の独立リーグ野球チームのトレーナーで理学療法士の荒木祐介さん(高岡整志会病院リハビリテーション科)。

 登坂さんは現役時代、世界選手権を3連覇した時期を含む大学の4年間、左足の親指の付け根の痛みに、ずっと悩まされていたという。「痛みがない時期と、こらえていた時期は半々ぐらいだった」と明かし、原因について登壇者と話し合いながら当時の状況を伝えた。

「痛み止めを飲んだり、注射を打ったりしましたが、痛みはなかなか取れませんでした。1カ月ぐらい別メニューをこなしながら休養していると症状は良くなりましたが、(ほかの選手と同じ)練習を始めると、また痛みが出るのです。そして、休養する日数がどんどん長くなっていきました」

 これについて根塚さんは成長期の故障によるリスクを指摘し、「イタリアでは成長期の子どもは医師の診断があって初めて競技ができる」と話すなど、スポーツを始める段階でのメディカルチェックの重要性を訴えた。

“生き残る”ために自分の体に負荷をかけた

 登坂さんは、子どものころからストレッチの重要性などは理解しており、自分自身でも柔軟性の向上などに努めていたが「ほかの選手よりも多く練習せねばいけないという意識が強く、鍛えることが休息などに配慮する思いを上回っていた」と振り返った。

「自分はセンスがあるとは思えなかったので練習量でカバーしようとしました。高校・大学時代は厳しい環境で生き残るために『周りと同じことをしていてはダメだ』と。その意識の高さが結果につながると信じていました。『どれだけ練習しても大丈夫』と思い込み、自分の体に負荷をかけていたのです」

2015年2月、筆者が至学館大学を訪ねた際も登坂選手は黙々と別メニューをこなしていた
2015年2月、筆者が至学館大学を訪ねた際も登坂選手は黙々と別メニューをこなしていた

時折、マット上で練習するチームメイトの様子を眺める登坂選手(2015年2月)
時折、マット上で練習するチームメイトの様子を眺める登坂選手(2015年2月)

 人並み外れた練習量がリオ五輪での金メダル獲得につながったことは、真摯な口ぶりから伝わる。だからこそ、故障の多い競技人生を歩まざるをえなかった苦悩がにじんだ。

「大学時代は部員40人に対しトレーナーが1人しかいないなど、体のケアを十分にできる環境ではなかったので、社会人になってからは個人的にトレーナーを探してケアをお願いしていました。すると、セルフストレッチだけでは足りなかったということが分かりました」

「月経がない方が楽」という思い

 登坂さんは2021年3月、女性アスリートのコンディショニングについて考えるオンラインイベントで現役時代の月経と体重管理について、かなり詳細に体験を語っている。「次世代の選手のために」とあえて声を上げた。今回、医学・薬学部生が学ぶキャンパスでの催しだったことから、男子学生の質問にも包み隠さず答えた。

「リオ五輪の前は1年半も無月経が続いていました。厳しいトレーニングをするには『月経がない方が楽』という思いもありました。もっと敏感になり、早い段階で無月経が問題だと気づくべきでした」

2016年リオ五輪のレスリング 女子48キロ級決勝。登坂選手は金メダルを獲得した
2016年リオ五輪のレスリング 女子48キロ級決勝。登坂選手は金メダルを獲得した写真:ロイター/アフロ

 身長152センチで、48キロ級の選手だった登坂さんは、試合前の1カ月で7キロも体重を落とすことがあった。減量中は脂質を控え、計量の数日前からは水分も抑え、極限まで体を絞り込んだ。一般の女性でも過度なダイエットから無月経になることもある。登坂さんは当時、婦人科を受診したものの血液検査の数値に問題はなく、はっきりした原因は分からなかった。「減量よりは心理的な部分が大きい」と診断されたという。

「無月経の原因は、エネルギー不足や心因性などさまざまです。病気の場合もあるので月経がない時点で早めに婦人科を受診することが大事です」

 プライベートでは2020年8月に総合格闘家の倉本一真さんと結婚、2021年8月に第一子を出産した。

「子どものころから五輪で金メダルを取り、家庭を持つことが夢でした。しかし私の周りのレスリング経験者には不妊で悩む人が多く『将来、子どもができるのだろうか』という不安がずっとありました」

競技人生を語る登坂さん
競技人生を語る登坂さん

 鮫島さんによると、現在でも中学・高校の強豪校の指導者の中には、いまだに「月経がなくなるほど練習してやっと一人前という考え方の指導者もいるそうだ。しかし、無月経の状態を放置してはいけない」と、産婦人科医の視点から無月経が将来の妊娠・出産に影響を及ぼすリスクについて伝えた。また、根塚さんは整形外科医の立場から「無月経によって疲労骨折などの故障が起こりやすい」と強調した。

薬の服用は、自ら薬剤師会に問い合わせ

 続いてドーピングの問題に話が及んだ。薬剤師の吉田さんは、登坂さんの先輩である吉田沙保里さんが引退後「現役時代はドーピング検査に引っかかるため、市販の薬を服用したのは20年ぶりだった」とする報道を取り上げ、「アスリートにとって薬剤師は一番遠い存在かもしれないが、もっと身近に感じてほしい。そのために自分たちは発信する必要がある」と話した。登坂さんも薬の服用について自身の経験を語った。

「何か薬を服用する必要がある場合は、薬剤師会に電話をして確認してもらってから飲んでいました。アスリートを支えるチームがいろんな職種と連携していると、さまざまな悩みについて早く解決策が見つかるのではないでしょうか」

 登坂さんは手術・リハビリ・投薬などさまざまな場面で、その道の専門家に助言を求めていた。しかし、選手が抱える困難によっては、自発的に情報を求めて行動できないケースもあるかもしれない。荒木さんは理学療法士として選手の悩みを多く耳にしてきた経験から、複数の職種が関わることでアスリートが抱える課題を見落とさないようにできるとの見解を述べた。「例えば野球の球数制限などがルール化されれば、故障を防ぐしくみになる」と選手の健康に配慮したスポーツのあり方にも言及した。

メンタル面でのケアも重要

 登坂さんは2017年1月、古傷の左足親指の手術を受けた。人生で初めての経験であり、思ったように回復が進まず、精神的に追い込まれて眠れなくなったり、急に泣き出してしまったりすることもあった。「現実を受け入れるのは大変だった」と話し、メンタル面でのケアについても語った。

「リオ五輪で(競技者としては)一番いい景色を見ました。しかし、手術後は回復が遅く苦しい状況でも五輪チャンピオンと見られて怖さと孤独を知りました。もっとメンタルケアについての知識があり、そういった部分もケアしていたら違っていたかもしれないと思います。でも、どんな時も応援してくれる人がいたので、自分の身の上に起きたことをしっかり受け止めることができました」

 登坂さんは、「困難も含めて、この道を歩んできてよかった」と話した。

「勝ったら喜んでくれるから頑張ってきた」

 討論会に先立ち、登坂さんは「私のレスリング人生~栄光と挫折~」と題し、学園祭実行委員長で司会の高井勇希さんの質問に答えながら競技人生を振り返った。家族への感謝やリラックス法、レスリングへの思いなどを語った。

「家族や周囲の人が勝ったら喜んでくれるからレスリングを頑張ってきました。レスリングの競技者だった父の影響が大きいですし、大会では動画を撮影してくれて黙って見守り、背中を押してくれた母にも感謝しています」

2013年レスリング世界選手権の女子48キロ級で初優勝した登坂選手
2013年レスリング世界選手権の女子48キロ級で初優勝した登坂選手写真:アフロ

 2012年に初めて出場した世界選手権については「ライバルが国内大会を棄権していたから、本当の意味で日本一になって出場したわけではなかった」と話す。しかし、「立場が人を作る、と思った」と言う通り、挑戦の機会が与えられたことで実力が伴っていったと感じている。2013年以降は3連覇を果たした。

 聴講した学生が「印象深い」と話したのは次のエピソードだった。

「『流れ星に願いをかけると夢が叶う』と言われますけれど、それは流れ星がすぐに消えてしまうから。ずっと思い続けていて見えた瞬間、すぐに祈らなくてはいけないのだと思います」

今後は競技の普及に携わりたい

 このほか、色紙に「真面目が一番」と書くのは中学時代の恩師に贈られた言葉であることや、大事な試合の前にはホテルで20分間リラックスして西野カナさんの恋愛ソングを歌ってから出発するなど、人柄が伝わるエピソードを披露した。最後に競技の第一線を退いた今の思いを次のように伝えた。

シンポジウムを終え、記念撮影する登壇者の皆さん
シンポジウムを終え、記念撮影する登壇者の皆さん

「レスリングの選手の多くは運動能力が高いと思います。体には柔軟性があり、対人競技なのでさまざまな状況に、臨機応変に対応できる能力を培うことができます。レスリング競技を極める選手はもちろん、将来的にほかの競技に進むことになってもレスリングによって学んだことは生かされると思うので、今後は幅広く競技の普及に携わっていきたいと思います」

 講演後は学生から多くの質問やエールの言葉が寄せられた。参加者は金メダリストならではの言葉の重みを受け止め、アスリートを医療の面で支える意義に理解を深めた。

2011年レスリング全日本選手権。2回戦で現役復帰の山本美憂選手を下した登坂選手(右)
2011年レスリング全日本選手権。2回戦で現役復帰の山本美憂選手を下した登坂選手(右)写真:YUTAKA/アフロスポーツ

2014年レスリングW杯表彰式での登坂選手(右端)
2014年レスリングW杯表彰式での登坂選手(右端)写真:YUTAKA/アフロスポーツ

2016年リオ五輪レスリング女子48kg級の表彰式に臨む登坂選手
2016年リオ五輪レスリング女子48kg級の表彰式に臨む登坂選手写真:アフロスポーツ

富山大学の関係者を前に講演する登坂さん
富山大学の関係者を前に講演する登坂さん

登坂 絵莉(とうさか・えり) 1993年8月生まれ、富山県高岡市出身。高岡ジュニアレスリング教室で9歳から競技を始め、南星中3年で全国中学生選手権優勝、至学館高校(愛知)時代は全国高校女子選手権2連覇。至学館大学を経て2016年に同大学大学院に進学、同時期に東新住建にも入社し、2022年3月末まで所属。この間、国際舞台での活躍は(すべて48キロ級)、世界選手権が2012年準優勝、2013年から3連覇を果たした。2013年ユニバーシアード優勝、2014年アジア大会優勝、2016年リオデジャネイロ五輪で金メダル獲得。2022年3月末で東新住建を退社し、4月に自身のSNSで競技の一線を退くことを表明した。

※クレジットに撮影者のない写真は筆者撮影

※登坂選手についてはこんな記事を書いています。

・「逆転」金メダル・登坂絵莉 熱血漢の父と歩んだ“レスリング道”(AERA dot.2016年8月18日)

https://dot.asahi.com/dot/2016081800014.html?page=1

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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