大宅壮一文庫を経営危機に陥らせたのはインターネットか?──なぜか報道されない国会図書館の存在

原因はインターネット?
昨年末から、大宅壮一文庫が苦境を迎えているとさかんに報じられています。大宅文庫とは、ジャーナリスト・大宅壮一が1971年に開いた有料の雑誌図書館。ここが一躍注目されたのは、1974年に立花隆を中心とした『文藝春秋』の取材班が田中角栄首相の金脈問題の調査に使い、最終的には辞職にまで追い込んだからです。その後、長い間マスコミや卒論を書く学生に重宝されてきた場所でした。
しかし、近年は利用者数が減り、経営危機に陥っていると報じられています。
- 『NHK NEWS WEB』「『大宅壮一文庫』が存続の危機に」(2016年6月25日)
- 朝日新聞デジタル「大宅壮一文庫、赤字続く マスコミ利用『雑誌の図書館』」(2016年5月30日)
- 毎日新聞「大宅壮一文庫 ネットで苦境」(2016年1月25日)
- 産経新聞「大宅壮一文庫が利用者減で存亡の危機に陥っていた! 『雑誌にこそ人間のドロドロした本性がある』との思いを後世に…」(2015年12月6日)
これらの記事によると、ピークだった2000年には8万6000人いた利用者は、2014年には3万8000人にまで落ち込んでいるそうです。赤字は年間4000万円ほどになり、内部留保の底もあと数年でつくそうです。
このような苦境に陥っている理由も、これらの記事でさまざまに説明されています。具体的に列挙すると、以下になります。
- インターネット検索の普及
- “第二次一億総白痴化”
- ジャーナリズムの衰退
- 活躍の場が減りライターの利用が減った
- 大きな事件が減少した
ざっくりまとめると、ネット検索の普及と雑誌媒体の衰退が主要因として挙げられています。しかし、果たして本当にそれだけなのでしょうか?
無視された国会図書館の存在
インターネットの普及と雑誌の衰退は、たしかに大宅文庫衰退の要因かもしれません。現在は、ネット検索でそれなりの情報を得ることができます(※1)。また、紙の雑誌は衰退し、その代わりにネットメディアが増えましたが、ネット媒体の制作予算は紙よりも極めて低いところが多く、かつ編集者が書き手に丸投げするようなケースが目立ちます。それらの仕事では図書館まで行く余裕はないでしょうし、そもそも深掘りが必要な企画自体が避けられる傾向もあるでしょう。
ただ、それ以上に重大な影響を及ぼしたはずの存在について、先に挙げた記事ではいっさい触れられていません。そう、そこではなぜか国会図書館の存在が無視されているのです。大宅文庫の利用者数が減った最大の要因は、おそらく国会図書館です。
大宅文庫にしろ国会図書館にしろ、この20年ほどは作業のコンピュータ化が進みました。しかし、すべてを紙で手続きしていた90年代後半頃までは、大宅文庫は国会図書館よりも使い勝手が良いところでした。というよりも、むかしは国会図書館の使い勝手が悪すぎたのです。
国会図書館はそのあたりの公立図書館と違い、利用者が図書を自由に閲覧することはできず、閲覧したい本を申し込まなければなりません。図書館はそのオーダーに従って書庫から本を取り出して、窓口で利用者に渡すという手続きになります。日本の出版物をすべて所蔵しているので(※2)、当然時間はかかります。紙で作業をしていた90年代は、とにかく時間がかかりました。90年代は、利用者がまず索引から出版物の請求記号を探し、それを記した紙を窓口に渡して本や雑誌が出てくるのを待っていました。ものにもよりますが、当時は1時間ほどかかったと記憶します。そこからさらに複写(コピー)などの手続きをしなければなりません。当時は丸一日を潰す覚悟が必要でした。
しかし2000年前後から、国会図書館はコンピュータ処理が進みました。出版物の請求記号はコンピュータで検索でき、そのまま申し込み請求もできるようになりました。書庫でも自動化が進んでいるようです。それによって、図書が出てくるまでの時間もかなり短縮されました。現在は15分ほどでだいたい出てきます。
さらに最近では、デジタル化も進んでいます。これは本や雑誌などをスキャンしたものです。劣化が激しい古い出版物が優先されていますが、最近はそれほど古くない図書のデジタル化も進みつつあります。デジタル化資料は、パソコンからそのまま閲覧し、さらにそのままプリントアウトの申し込みもできます。これによって、90年代までは請求からコピー(印刷)まで数時間かかっていた作業が、最短15分ほどで可能となりました。この国会図書館の利便性の向上は、おそらく大宅文庫に大きなダメージとなっているはずです。
激増した国会図書館利用者
大宅文庫と国会図書館は、料金面でも大きな差があります。大宅文庫は、一回の入館料300円で10冊までしか閲覧することができません。一回100円の「再入館」手続き(9回まで)をすれば、最大で100冊まで閲覧可能ですが、それだけで1200円が必要となります。しかし、国会図書館は国立なので入館料は無料です。
またコピー料金(モノクロ)でも差があります。大宅文庫は1枚54円ですが、国会図書館はA4が25.92円、A3が51.84円、デジタル化資料の印刷は15.12円です。この点でも、国会図書館にアドバンテージがあります。
さらに立地でも、国会図書館のほうが有利です。国会図書館が東京のど真ん中の永田町駅から徒歩5分のところにあるのに対し、大宅文庫は京王線で新宿から15分ほどの八幡山駅からさらに徒歩10分ほどかかります。複数の地下鉄が乗り入れている永田町と、京王線の特急も止まらない八幡山では、やはり利便性には大きな差があることは否めません。
かように、大宅文庫の利用者数の減少は、国会図書館の利便性が高まったからだと想定されるのです。これは、雑誌記事検索を必要とするマスコミ人の多くの実感でもあるはずです。
利便性の高まりは、国会図書館の利用者数のデータからも見て取れます。2004年には約年間35万人だった東京本館の来館者は、2014年には約53万人にまで増えています(グラフ参照)。10年で18万人も増えたのです。それは大宅文庫が失った年間5万人弱の利用者を優に上回る数字です。この激増の背景には、大幅に開館日数が増えたこともありますが、一日平均の利用者数も2004年からずっと右肩上がりです(※3)。このことからも、大宅文庫の利用者が国会図書館に流れたことがうかがえます。

大宅文庫にあって国会図書館にないものは、残念ながら現在はほとんどありません。ただ唯一あるとすれば、雑誌記事索引の検索データベース「Web OYA-bunko」でしょう。多くの雑誌記事タイトルや執筆者名をまとめたこのデータベースは、現在もかなり重宝できるものです。
このデータベースは、大宅文庫に赴かなくとも個人で契約することができます。年会費1万円+検索1回につき10円の従量課金制です。ただ、国会図書館や公立図書館も個別に契約しており、それらの端末からも利用可能です。よって、たとえば国会図書館でお金をかけず「Web OYA-bunko」で記事検索をし、目当ての記事が載った雑誌をそのまま国会図書館に請求し、そしてコピーするといった使い方ができます。
つまり、国会図書館に行けば大宅文庫の機能は完全に代替でき、さらに使い勝手も大宅文庫よりも良いのです(※4)。
再編された映画館状況
ここまでを踏まえると、大宅文庫が窮地に陥るのは、なかば必然のように思えるはずです。しかし、先に挙げた4つの記事ではいっさいそのことについて触れられていません。
どんな記事でも切り口や紙幅(記事のサイズ)がありますから、すべてのことを書くことはできません。なので、「○○が書いていない」という批判は本来的には慎重にすべきですが、4媒体とも国会図書館の存在に触れていないのは、明らかに不自然です。記者たちは、ふだん国会図書館に行って調べ物をしないのでしょうか。
個人的には、それらの記事の姿勢からひとつ連想することがありました。それは2000年代の映画館状況に対しての報道です。
2000年代以降、日本の映画館地図は大きく変わりました。古くからある街中の映画館がなくなる一方で、郊外を中心に多くのスクリーンを持つシネマ・コンプレックス(複合型映画館)がどんどん増えました。2000年には全スクリーンの約44%ほどだったシネコンは、2015年には約87%のシェアを占めるほどになりました。
それは、作品選択の多様性だけでなく、座席のネット予約や会員制、割引など、シネコンの利便性も多くのユーザーに支持された結果です。また、段差のあるスタジアム・シートや音響など、ハード面もユーザーに強く訴求しました。
しかし、この既存館からシネコンへの変化は、映画の合理的な“消費”としてさまざまに批判されました。従来の映画文化を壊すものとして、否定的に語られることも少なくなかったです(※5)。
加えて、そうした批判は概してシネコンの利便性を無視していました。そうした中には、シネコンのネット予約の仕方がわからず、窓口でチケットを買うために並んでいたら映画が始まってしまい、その不満をぶちまけていたベテランの映画ジャーナリストもいました。それは一般ユーザーの感覚とはかけ離れていました。
2000年代に生じたこうした映画状況の変化が、大宅文庫の苦境を見る上でどれほど適切な比喩かはわかりません。規制緩和の産物であるシネコンと国立図書館は異なるからです。ただ、いずれも強敵であることには変わりません。新たな対策を打たないほうが、相対的に弱くなるだけです。
大宅文庫についての一連の記事は、国会図書館の存在を無視する以上は、やはり非常に素朴な保守性が感じられます。もちろんそれは、報道することによって大宅文庫の支援者を募り、一日でも長く存続するという姿勢なのかもしれません。しかし、現実的に機能のほとんどを国会図書館が代替できるわけですから、根本的な解決には繋がりません。現状、大宅文庫を便利だと感じるのは、京王線沿線の住人くらいでしょう。
存続に必要なことは
それでも大宅文庫を存続させる必要があるのならば(あるいは存続させたいならば)、より具体的な解決策を考えなければならないでしょう。ここでも、映画館をモデルにその可能性を探ってみたいと思います。
広島市の中心部には、サロンシネマや八丁座など序破急社が運営する独特のミニシアターがあります。他の都市と同様、広島の繁華街からも多くの映画館は郊外にできたシネコンによって消えていきましたが、序破急社の映画館だけが生き残っています。
その要因はシネコンに負けないどころか、それ以上のサービスを提供しているからです。座席予約や会員サービスはもちろんのこと、ハード面でも観客に強く支持されています。まるでソファのように広くて心地良い座席を備えることで、シネコンを上回る環境を提供しているのです。

それを踏まえると、大宅文庫が生き残る道も見えてきます。国会図書館を上回るサービスや、あるいは独自のサービスを開拓することにしかありません。
そのひとつの可能性として提案したいのは、バックヤード(書庫)の限定開放です。一定料金で登録した会員はそこに出入りでき、雑誌をなるべく自由に閲覧できるようにするのです。それは国会図書館にはない利便性であり、同時にヘビーユーザーの囲い込みにも繋がるでしょう。もちろん雑誌の損傷や重複利用が難しくなるなどリスクも生じますが、書庫に割いていた人員を他の業務に回すメリットもあります。加えて、国会図書館同様にデジタル化を進めることも必須でしょう。
もちろんこれは素人考えのアイディアにしか過ぎません。しかし、現状を大きく変えることがないのであれば、事態の打開はかなり難しいと思われます。
窮状を訴える記事ばかりなのを見ると、もしかしたら現状を恒久的に維持できる大口の出資者を探しているのかもしれません。たとえば明治大学は、コミックマーケットの発起人である故・米沢嘉博氏の蔵書の一部を引き取り、地上7階建ての米沢嘉博記念図書館を2009年に開きました。ただ、それが可能だったのはマンガを中心とするサブカルチャーの活況が続いているからです。一般向けの雑誌文化は、昨年もマーケットがマイナス8.4%と大幅に落ち込んだように、そろそろ終わりに近づいています。雑誌の明るい未来は、おそらく望めません。
この15年ほどは、日本経済の低迷とインターネットおよびデジタル化による情報社会化のさらなる浸透によって、さまざまな文化産業が大きな変化を余儀なくされています。音楽業界などはその典型でしょう。民間の図書館である大宅壮一文庫も、その流れの中で岐路に立たされているのです。
変化を避けてゆっくりと死に向かうか、逆に再生の可能性に足を踏み出すかは、大宅文庫だけでなく、日本社会のさまざまな局面で問われ続けています。
※1……これは大宅文庫のケースとは異なりますが、公立図書館の利用とインターネット利用には、負の相関があるという研究結果もあります。つまり、ネットをよく使うひとは公立図書館をあまり使わないということです。ただ、他の研究では逆に正の相関があるとの調査結果もあり、両者の関係にはさらなる研究が必要です。詳しくは、長谷川幸代「人々の情報収集における態度とメディア選択──情報収集の状況と個人的な経験・環境による影響をふくめた分析」(「情報プロフェッショナルシンポジウム予稿集」2013年/国立研究開発法人科学技術振興機構)。
※2……国立国会図書館法によって、日本で出版された書籍や雑誌はすべて納本する義務があります。罰則規定もありますが、実際には納入されていない出版物もあります。
※3……開館日数は2004年が年間245日、2005年以降は278~280日ほどなので、約35日も増えた。ただ一日の平均利用者数も、2004年が約1417人に対し、2014年には約1909人にまで増えている(『国立国会図書館年報』昭和62年度~平成26年度より)。
※4……2012年、筆者は膨大な雑誌資料を調査して、372ページの分厚さの単著を上梓しました。このときは国会図書館に足繁く通いましたが、大宅文庫に行ったのは1回きりでした。なぜなら、調査に必要な資料はほとんど国会図書館でカバーできたからです。
※5……たとえば、朝日新聞2011年8月12日「〈争論〉シネコンは映画を滅ぼすか」の寺脇研氏の意見。
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