【飯田市】国の登録有形文化財にもなっている柳田國男館を訪ねました【8月8日は秋の季語・國男忌】
今回は、飯田市美術博物館と長姫神社の間に位置する「柳田國男館」をご紹介します。平成28(2016)年に国の登録有形文化財にもなっている、歴史的価値の高いスポットです。
柳田國男館とは
元は東京都世田谷区に建てられていた柳田國男の書斎兼住居を、平成元(1989)年に飯田市に移築したもの。飯田市美術博物館から飯田城跡の堀を越えるために設けられた、苔むした緑の細い通路を抜けたところに、日夏耿之介記念館と並んで建っています。
柳田國男館は、モノトーンの町として知られるドイツのフロイデンベルクを思わせる端正な洋館。整備された芝生の庭と、濃い緑の森の中にあるその姿は、おとぎ話の中に出てくるようにどこか幻想的です。
・柳田國男館は無料で入館可能
1階には、柳田國男が完全なる書庫を目指して設けたという大書斎があります。
現在の書棚には、柳田國男や南信州の民俗にテーマをしぼった書籍がずらり。現代のものからかなり古いものまで網羅されています。柳田國男館が開館している間は自由に閲覧することができますよ。
2階には、柳田國男に関する年表をはじめ、柳田國男と伊那谷の関わりについての資料が展示されています。
柳田國男と飯田市
明治から昭和にかけて活躍した柳田國男の居宅が飯田市にある理由は、柳田國男が飯田市にゆかりのある人物だから。
柳田國男館内にも詳しい解説がありますが、柳田國男(旧姓松岡)の結婚相手の女性が飯田藩士・柳田氏の四女だったため、婿入りする形で結婚。飯田市に定住することこそなかったものの、柳田國男の本籍地は約40年間にわたって飯田市にあったのだそうです。
講演や墓参りのために、何度か伊那谷にも訪れていたのだとか。柳田國男館のすぐ近くにある長姫神社では、今でも柳田國男の名前が刻まれたの大きな石灯籠を見ることができます。
柳田國男ってどんなことをした人?
現在の兵庫県神崎郡福崎町出身の柳田國男は、明治8(1875)年7月31日に生まれて、昭和37(1962)年8月8日に亡くなるまでたくさんの功績を残した多彩な人物です。
肩書としては、民俗学者・官僚が主なところ。岩手県遠野市に伝わるちょっと不思議な話を集めた『遠野物語』や、方言周圏論でも知られる『蝸牛考』をはじめとした著作が有名です。
現在でも、兵庫県の福崎町立柳田國男・松岡家記念館が主催する柳田國男検定があったり、柳田國男の代表作『遠野物語』を軸にした展示を展開する遠野市立博物館があるなど、その功績や影響は偉大。また、柳田國男が亡くなった8月8日は國男忌(柳叟忌)という秋の季語にもなっているんだそうですよ。
柳田國男館を写真で紹介
紹介しきれなかった柳田國男館を写した写真の数々をご紹介していきます。
レトロでおしゃれな柳田國男館であなたは何をする?
柳田國男自らが喜談書屋(きたんしょおく)と名付け、民俗学を志す研究者たちと共に談義したという大書斎で、どっぷり本の世界に浸ってみるのも良いですね。
また、もうすぐ築100年にもなる歴史ある建物とその庭は、結婚式の前撮りスポットとしても使われるなど、ロケーションも最高。思い出の1枚を撮影するために訪れてみるのも良いかもしれません。
さらにディープな魅力に浸りたいなら、民間の研究団体「柳田國男記念伊那民俗学研究所」の活動を覗いてみるのもおすすめですよ。
柳田國男館(飯田市美術博物館別館)
住所/飯田市追手町2-655-7
電話番号/0265-22-8118
観覧料/無料
営業時間/9:30~17:00(入館~16:30)
休館日/月曜日(月曜日が祝日の場合は開館、翌日休)、祝日の翌日(日曜日と重なる日は開館)、年末年始、そのほか臨時休館の場合あり
駐車場/あり
※公式ホームページはこちら
※ヤフー地図はこちら
※営業日時などにつきましては、訪問される前に最新情報をご確認されることをおすすめします。
最後までお読みいただきありがとうございます。今後も、飯田市・豊丘村の情報を月に10本程度のペースで発信していく予定です。ご興味のある方は、FUNEのプロフィールからフォローしていただけるとうれしいです。