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「ナインイレブン」がアメリカを変えたもの

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
2016年の同時多発テロ記念式典(カリフォルニア州)(写真:ロイター/アフロ)

 同時多発テロの9月11日をアメリカは迎える。あの日を境に、アメリカの政治や社会をめぐる環境が根本から変わった部分も少なくない。16年目の節目に立って、あの日のこと、その後の変化を改めて考えてみたい。

(1)あの日

 筆者は2001年9月11日を、研究で滞在していたワシントン郊外で迎えた。火曜日の朝だった。アパートの窓を開けると抜けるような明るい初秋の空の青色が目に飛び込んできたのを覚えている。指導教員の家に行き、論文について議論する必要があったため、前の夜は準備で一睡もする時間がなかった。周りから流れてくる様々な情報に、その寝ぼけた頭が次第に正気に戻っていった。

 ナインイレブンの被害にあった都市として一般的に印象に残っているのはニューヨークだろう。これは、世界貿易ビルのツインタワーへの乗っ取り機の衝突映像そのものや、ビルから逃げ惑う人々などのショッキングな映像が残っているためだ。しかし、ワシントンとポトマック河をはさんで接する国防総省ビル(バージニア州アーリントン)も大きな被害にあっているほか、ペンシルバニア州に墜落した乗っ取り機がどこを目指していたかなどと考えると、テロリストたちの狙いは政府機能が集中するワシントンは明らかにもう一つのターゲットであった。

 その日、私はワシントン周辺を環状に囲む高速道路であるベルトウエーで車を走らせたが、向かってくる車はまばらだった。「ワシントン市内への車での乗り入れを避けるように」という電光掲示板の注意書きがまぶしく光っていた。穏やかな秋晴れが、逆に異様さを際立たせていた。

 車を走らせていくと、歩道橋という歩道橋に誰かが星条旗を掲げていたのに気が付いた。さらにいくと、次々と別の歩道橋にも掲げられていた。最初は何だかわからなかったが、それが有事の際に団結する愛国的な集団的な心情の発露であることにようやく気が付くと、何とも言えない気になった。

 ワシントン市内に入ったが、臨時に事務所を閉めるところも多かったため、市内の人通りは少なかった。

 混乱状態になると、デマが飛ぶ。友人からの携帯電話をとると、「いま近くで爆発が起こったようだ」と半泣きだった。しかし、その後わかったことだが、爆発はなかった。友人が爆発情報を得たのはワシントンの地方テレビ局のローカルニュースだった。「市役所近くで爆発音が聞こえたという声があるので、その周辺の通行は避けてほしい」というものだったが、噂話程度の情報がそのまま伝えられたケースのようだった。

 他に私が見聞きした中にも「(ワシントン市内北西地区の)ジョージタウンにある浄水場に毒が盛られたようだ」というものもあった。数年前まで、その浄水場からそんな遠くないところに住んでいたので、金網を乗り越えて、誰でも毒を盛ることができることは、十分知っていた。だが、こちらの方もデマだった。

(2)「能天気な時代」の終焉

 デマはデマとしてすぐに消える。しかし、ナインイレブンの時の見えない不安感は永続的に2017年まで続いている。

指導教員の家での話題は私の論文ではなく、「アメリカの今後」だった。ナインイレブンでアメリカが失ったのは、「なんとなく大丈夫」と思っていた安心感であったことで、先生と意見は一致した。

 真珠湾攻撃などを除けば、アメリカは外国によって攻撃された経験はほぼゼロである。冷戦中でも敵が攻めてくるという不安はあっても、実際にはなかった。それがいつの間にか、極めて目立つ形で、敵が自分たちを攻撃してきた。しかも、相手は外交的な交渉が効かないテロリストである。

 少なくない数のアメリカ人はそれまで「自分たちは世界で愛されている」とやや能天気に信じてきたはずである。「アメリカがナンバーワン」という例の周りが恥ずかしくなるような掛け声も、本音ではあった。そんな普通のアメリカ人にとっては、テロリストの戦いの源泉である反米感情は全く理解しにくいものだ。

 「テロとの戦い」という、相手もわかりにくく、先が見えにくい争いが続く。多くのアメリカ人は、ナインイレブンをきっかけに能天気な楽園から、引きずり落とされてしまった。

(3)生み出した政治的対立

 同時多発テロの直後の2001年10月、テロを起こしたアルカイダのビンラディン容疑者をタリバン政権が匿ったという理由から、アメリカはアフガニスタン戦争を始める。この戦争は2017年秋現在、いまだ続いており、アメリカにとっても最長の戦争となっている。2003年3月から始まったイラク戦争と合わせると米兵の死者の数は6000人を優に超え、4000人程度といわれる同時多発テロでの死亡者を大きく上回っている(もちろん、アフガニスタン、イラク側の死亡者の数はこれよりもずっと多い)。

 ナインイレブン後の後の「テロとの戦い」は、勇み足の空元気が原動力といったら言い過ぎかもしれないが、わからない相手に対するアメリカの焦りでもあった。

 ネオコン主導で大義ないままに介入していったイラク戦争に対し、リベラル側は猛反発していく。このリベラル側に対し、保守派の方は反作用のように共和党・ブッシュ政権を擁護しようとする。このように、少しずつ顕在化しつつあった「2つのアメリカ」という分極化現象が、ナインイレブン後のテロとの戦いの中で、一気に際立っていく。

 さらに、この2つの戦争はアメリカの予算を大きくひっ迫させる。「大きな政府」に変貌したブッシュ政権に対し、同じ共和党支持者でありながら、「小さな政府」を求める財政保守派は反旗を翻していった。これがその後のティーパーティ運動を生むだけでなく、現在の下院自由議連の動きにつながっていく。妥協を許さない下院自由議連所属の議員たちの動きで、予算や財政問題では常に共和党党内が分裂する状態がいま、続いている。その延長線上にトランプ政権の誕生がある。

 分極化と共和党内の分裂という、現在に至るアメリカ政治の病巣ともいえる現象が顕在化した一要因にこのナインイレブンがある。

(4)世界の変化の中で

 さらに、ナインイレブン後の世界は、中国とロシアが台頭した世界でもある。アメリカの覇権が揺らぎ、その後にどんな世界が来るのかという「アメリカ後の世界」(ザカリア)が頻繁に語られている。ナインイレブンが直接的にアメリカを弱体化させたわけではないかもしれないが、おそらく世界史的にはそのきっかけにみえるかもしれない。

 ナインイレブンを境に、アメリカの政治や社会をめぐる環境が大きく変わってしまったというのはおそらく間違いない。たまたまではあったが、この16年間、何度か9月11日前後のアメリカを訪ねている。定点観測的に見てきたつもりだが、毎年、政治的分断の言説は激しくなっている。それを象徴するのが、トランプ大統領である。

 あくまでも妄想だが、ナインイレブンがなかったら、トランプ氏は大統領になれなかったかもしれない。また、もしかしたら、前のオバマ氏も大統領になれたかどうかわからない。歴史に「もし」はありえないが、ナインイレブンがなかったアメリカはどんなものだっただろうか。考えはまとまらない。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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