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日本にはない「森への立ち入り権」を考える

田中淳夫森林ジャーナリスト
ヨーロッパでは、林業地でも市民は気軽に立ち入り、楽しむことができる。

金剛山は、大阪と奈良の境にある標高1100mほどの山だ。登山客は多い。山頂に転法輪寺があり、ここでは回数を記録するカードも販売していて(登るたびに判子を押してもらえる)、なかには100回200回、いや1000回登ったと自慢する強者もいる。

さて、その登山道で見かけた看板にあった言葉。

「金剛登山の皆様へ 

木、山野草は全て個人の財産です。

採取は禁止します。」

言わずもがな、の話なのだが、「個人の財産」とあえて看板に記すのは、必ずしもそう思っていない人がいるということだろう。

事実、ある町の意識調査アンケートで、山は誰のものでしょうか、という問いかけに「みんなものもの」「誰のものでもない」と思っている人が7割に達したと聞いたことがある。そういう意識だから、山に入ったり草木を採取するのに許可はいらないと考える。

実際、山菜や草花の採取どころか、ときには勝手に山の木々まで引き抜いて持って行ってしまう。他人の庭の草木を勝手に取ったら犯罪だと誰でも思うはずだが、山ではそのように感じないのだ。

日本の国に「誰のものでもない」土地はない。仮に国有地・公有地であっても、道路などから一歩外れると、自由に立ち入ったり草木を採取していいわけではない。

ところが、ヨーロッパの多くの国には「市民が森を自由に歩き回る」権利があるそうだ。森の自由権、森の立ち入り権、万人権、自然享受権などというが、ドイツやスイスなど中欧諸国をはじめ、北欧ではちゃんと法律で定められている。自然保護法や森林法のほか、スウェーデンのように憲法で謳っているケースもある。市民は、土地の所有者や生態系に損害を与えないという条件つきではあるが、誰の森であろうと自由に立ち入る権利を有し、さらに山菜やキノコ、ベリーなど果実の採取も認められているという。樹木の伐採や狩猟などは除かれるが、ハイキングやスキー、水浴、釣り、野営などはかまわないのだ。

ドイツの場合、それが定められたのは、1852年。今から160年以上も前である。その過程を追うと、人と自然の厳しいせめぎ合いの末に勝ち取ったことがわかってきた。

18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパは、産業革命が広がり、発展・開発を望む人間社会と、自然保護との相剋が始まった時代だった。森林を中心とする自然は、木材需要の増大と石炭や金属資源を求める鉱工業的な開発の波に洗われた。ところが、それらの職場では過酷な労働環境の中でレクリエーションを求める声が高まっていく。それらが後押しするように自然に対する憧れが高まり、アルプスなどの登山や観光が人気を呼び始めた。文学や絵画の世界でも、自然は大きなテーマとなった。

そうした世相の中で、ドイツやスイスなどに郷土保護連盟が結成され、市民層が風景や自然の生態系を守る意識を高めていった。数々の組織や人々が、森を市民の手にとりもどす運動に邁進するのである。しかし、領主は無断で森に入り木を伐る庶民に厳罰をもって臨んだ。

ドイツの民俗学者リールは「農地や牧場や庭とは対象的に、誰しも森にある種の権利を持つ。その本質は、誰もが好きなように森の中を歩き回ることである」と記して、農村の貧民層が森で落葉落枝を集めたり家畜を放つ権利を擁護した。

さらに「我々文化人に、警察の監督に触れない個人の自由という夢を享受させてくれるのは森だけ」と都会の市民層のレクリエーションの地としても森は開放されていると唱えた。

そんこの問題は、紆余曲折を経て激しい論争の末に、とうとうドイツ森林法で保証された権利になったのだ。北欧諸国でも、慣習的に立ち入りは認められていたが、戦後相次いで法的に認めるようになる。

日本では、私的な所有権が強く、基本的に他者の土地への立入や採取は、宅地や農地はもちろん、山林でも禁止である。とはいえ、了解を得ずして入る人は少なくないだろう。私も、よく道からそれて山の中を歩くが、厳密に言えば違法行為である……。

ただ通常は、日本でも通行するくらいなら黙認されている。江戸時代より、森林所有とは別に、立ち入りのほか落葉落枝や草の採取は認める慣習「入会(いりあい)」はあった。

ある地方で、見事な巨樹のある山を所有する山主が、侵入者に悩まされている話を取材したことがあるが、私道を通行禁止にしていなかった。その点について問うと「山は先祖からの預かり物であり、巨樹を見たい人を拒否するのはよくない」とおっしゃった。そこには昔からの心が息づいている。

ところが、近年はやむを得ず禁止したり、通行止めにするケースも増えてきた。慣習が廃れ、所有の意識が高まった点もあるか、市民側の責任もある。あまりに野放図な振る舞いが目に余るからだ。

山菜を根こそぎ収奪する。次の年のことを考えないのである。貴重な草花も堀り取っていく。巨樹に登ったり、枝を折ったり、落書きする者まで現れた。さらに山林に隣接した畑まで荒らしたり、ゴミの放置も目立つ。そして家庭ゴミや産廃の不法投棄などが相次ぐ。注意しても開き直る。

ヨーロッパの森では、そうしたことはほとんど起きないという。両者の市民の意識の差は、残念ながら大きい。それは「森の立ち入り権」を戦って勝ち取ったヨーロッパの市民との歴史の差でもあるのだろうか。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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