「乃が美」創業者・阪上雄司氏が踏み出した次の一歩と、根底に流れる芸人さんへのリスペクト
高級食パンブームを生んだ「乃が美」を一から築き上げた阪上雄司さん(54)。これまで数多の会社を経営してきましたが、6月からお芋スイーツ専門店「高級芋菓子しみず」という新たな一歩を踏み出しました。「子ども同然に育ててきた」という「乃が美」を2月に離れてのチャレンジ。常に前進を続ける根底にあるのは仕事の中で知り合った芸人さんたちへのリスペクトだといいます。
人生の集約としての「乃が美」
2013年10月2日、大阪・上本町の路地裏に「乃が美」の1号店をオープンしました。10月2日という日付は長男の誕生日でもあるんですけど、本当に子どものように大切に育ててきました。
もともと26歳で小さな居酒屋を始めまして、そこから焼肉店、ラーメン店などの飲食店を手がけてきたんです。いろいろな業態をやってきたんですけど、実は根底にあったのが「米を出せる店」ということでした。
というのは僕の実家が兵庫県西宮市で米屋をやっていまして。おじいさんの代からやっていて、もともと大きなお店だったんですけど、時代が変わりスーパーや量販店もたくさん出てきた中で、だんだん具合が思わしくなくなってきたんです。
なので、僕は店を継ぐという形ではなく、自分がやっている店におじいちゃんところから米を仕入れて、なんとかサポートができないかと。そう考えて、米を出せるお店をチェーン展開するということをやってきたんです。
ただ、残念ながら2010年頃に実家の米屋が廃業してしまいました。そこで、ふと思ったというか、お米の呪縛から解き放たれた感じになったんです。いったん、米から離れてフラットに考えてみようと。
それとね、ウチの長女がひどい卵アレルギーで食べる物に困っていたということもありまして。
さらに、飲食店をチェーン展開する中でエンタメ業界で多くの人に喜んでもらえたらと思って大阪プロレスの経営もしていたんですけど、レスラーが老人ホームの慰問に行かせてもらう時に、お年寄りが硬いものが苦手でパンの耳を残していたという光景がずっと心に残っていたんです。
米の呪縛がなくなった。娘のアレルギー。お年寄りがパンの耳を残している。いろいろなことが一つに重なって「これだ」と思ったのがパンだったんです。
値段は高いかもしれないけど、卵を使わずに耳まで柔らかいパンを作れないか。人生でのあらゆる思いが集約してできたのが「乃が美」だったんです。
新たな一歩の意味
そこから本当にありがたいことに6年目で47都道府県全てに店を出すことができて、今年2月で私が「乃が美」を卒業するまでに海外も含めて250店舗を出すことができました。
自分が作った「乃が美」を出る。高級食パンも飽和状態になってきてダメになってきたのかとか、トラブルがあったのかとか、いろいろな憶測の言葉が出たりもしました。
だけど、本当に、本当に、正味の話でお話をすると「自分がやりたいことを本気でやりにかかる」。そのための選択だったんです。
ただただありがたいことですけど、おかげさまで「乃が美」を大きな会社にしていただいた。ただ、これだけの規模になってくると、これ一つにしか力を使えなくなる。あれこれやっている余力がないといいますか。
自分ももうすぐ55歳になる。自分がやりたいこと、考えていることをやる時間がどれだけあるんだろう。そして、おこがましい話ですけど、手がけてきたパン以外で皆さんに喜んでいただいて、社会貢献になることがないのか。そんなことが重なって今年2月で「乃が美」を離れることにしたんです。
そして、これもまた「乃が美」に至った時の人生が集約する感覚というか、友人からさつま芋菓子の会社を引き継ぐ話がそのタイミングで来たんです。
健康増進だとか、さらにはさつま芋農家さんへの貢献、いろいろなテーマをこの会社なら貫くことができる。次に動くならこれだとまた思えたんです。
芸人さんのすさまじさ
また新しい商売をすることになりましたけど、ここまであらゆる商売をしてきました。あらゆる人とも会ってきました。その中で、本当に大きかったのが芸人さんとの出会いでした。
先ほどもお話をしたように、地元・関西のエンターテインメントを盛り上げたいという思いがあって、2007年から大阪プロレスを経営していたんです。当時は難波のど真ん中に専用会場があって、場所柄、いろいろな芸人さんがロケに来られたりもしました。さらに、その会場で芸人さんがイベントをされたり、あらゆる形でつながりができていったんです。
その中でも大きかったのがたむらけんじさんとの出会いでした。テレビ番組で共演したのがきっかけでグッと仲良くなり、そこから一気に芸人さんとの付き合いが濃く、深くなっていきました。
あらゆる芸人さんとご飯に行ったり、話をする中で痛感するのが、信じられないほどの能力値の高さです。
僕も社長をやってますから、人事だとか社員の教育ということを常に考えています。しかも、お客さんに来ていただく商売をやってきているので、コミュニケーションの取り方や言葉の使い方、空気の読み方、そういうことを常に考えています。
そんな意識を持ち続けて暮らしている中で、ふと気づいたんです。芸人さんらと一緒にいると、ウソみたいに居心地がいい。みんなが空気をしっかり読んで、その中で適切な動き方をされている。これはなんなんだと。
そもそも、芸人さんは空気を読むのがお仕事。その上であえて逆に出たり、意表を突いたりして笑いを作る。なので、普通では考えられないくらい正確に空気を読んでいる。ここはね、言葉足らずですけど「すごい」としか言いようがない(笑)。
それとね、義理堅さも本当にすごい。これも本当にありがたいことなんですけど、10月13日の“さつまいもの日”に東京で記者の皆さんも招いてウチの会社のPRイベントをするんですけど、そこにスペシャルゲストとして「かまいたち」の二人が来てくれることになりました。
今から5年ほど前。二人とも結婚した頃で、当時はまだ大阪で仕事をしていたんですけど、もちろん今ほど収入があるわけではない。そこで、たむけんから「祝儀代わりに何か仕事を入れてあげてください」と言われて、大阪プロレスの試合前アトラクションで漫才をしてもらう仕事をしてもらっていたんです。
そこから東京に行って、ものすごい勢いで売れていきましたけど(笑)、大阪時代にそんなご縁があったことを今でもすごく意気に感じてくれていて、今回も「絶対にやらせてもらいます」と時間を作ってくれて。
言わずもがな、今、日本で一番くらい忙しいはずなのに、なんとしても来てくれる。山内君も先日、東京・新大久保のうちのお店がオープンしたんですけど、その日の午前中にすぐ行ってくれたみたいですし、なんというのか、本当にありがたいという思いしかないです。
人の気持ちを大切にする。お客さんに来ていただく仕事をしてきた身ですけど、芸人さんの根底に流れるこの姿勢に衝撃を受けましたし、少しでもそのエッセンスを自分にも、会社にも取り入れられたらと思っているんです。
なので、今年の夏から実際に芸人さんにアンバサダーとして会社に入ってもらって研修などをやってもらう制度を作ったんです。
芸人さんが持ってらっしゃるノウハウはお笑いの世界だけではなく、こういう世界でも値打ちがある。心底そう思いますし、本当に厳しい世界でもありますから、もし芸人さんからのセカンドキャリアや、芸人は続けたいけど今は収入が少ない。そんな芸人さんも何かの形でウチの会社に関わってもらう。それも考えています。
こちらが金銭的に芸人さんをサポートする。その一面もあるのかもしれませんけど、何より、僕が思っているのは芸人さんのすさまじい能力をお借りしたい。純粋に人材として魅力があるので一緒に働きたい。それが根本にあるものなんです。
たむけんも、来年で引退してアメリカに行くと話しています。もちろん、本人もいろいろ考えているとは聞きますが、これまで彼が築いてきた「炭火焼肉たむら」というブランドをしっかりしたコンテンツに仕上げていく。ビジネスの世界で生きてきたものとして、それを一緒にやっていくことが、僕がたむけんや芸人さんからいろいろな学びを得たことへの恩返しになれば。そんなことを考えてもいます。
正直、付き合うまでたむけんがなんでこんな売れてるんやろとも思っていたんです(笑)。もっと言えば、なぜこんなに必要とされるんだろうと思っていました。
人見知りで決して人付き合いが得意ではないのに、なぜ求められ続けているのか。なかなか明文化できない領域ですけど、付き合ってきた中で分かった気がします。
ただ、YouTubeチャンネルも一生懸命やってるのに、そこは200回くらいしか再生されないとか、そんなかわいげもありますけど(笑)。
学ばせてもらったことを糧に僕自身もなんとか頑張って、互いに良い刺激を与えあえる。そんな関係を続けていけたらなと思っています。
(撮影・中西正男)
■阪上雄司(さかがみ・ゆうじ)
1968年生まれ。兵庫県出身。高校卒業後にダイエーに入社し飲食部門の責任者を務める。26歳で飲食店を開業。実家が米穀店であったため、米を使う飲食店を中心に約20年、手広く飲食店を経営する。2007年に大阪プロレス代表取締役会長に就任。13年に高級『生』食パン専門店「乃が美」を創業。5年で全国展開し、1日5万本売れるパンに育て上げる。今年「乃が美」の次の挑戦として「人にも、農家にも、環境にも優しい」をテーマにお芋スイーツ専門店「高級芋菓子しみず」の経営に乗り出す。