賛成しかねる「イチローを球宴に」
メジャーの球宴は、7月12日(火)にサンディエゴのペトコ・パークで開催される。ここに来て「イチローを球宴に!」という声が現地でも上がっているようだ。日本のメディアも報じている。
すでにファン投票は締め切られており、その結果は5日に発表される。これに関しては、全く望みなしだろう。投票はネットのみに限定されているが、もともと候補者としてノミネートされていない選手が入り込む余地は限りなく皆無だからだ。実際、最終の中販発表でも15位以内に入っていない。
したがって、「イチローを球宴に」というのは、選手間投票や監督推薦に望みを託して、となる。しかし、ぼくはそれを望まない。
彼が、今季限りでの引退を表明しているというのならまた話は別だが、まだまだ現役続行に意欲を燃やしている。そうであるなら、あくまで公平に、言い換えれば今季の実績本位で判断されるべきで、それが彼へのリスペクトだろう。いかにマイルストーンに到達したからと言って、規定打席に遠く及ばない彼を選出するべきではない。特別扱いされるのは、ある意味では「爺や」と見なされるということだ。
別の視点からもイチロー選出は感心しない。メジャーの球宴は1試合のみであるにも関わらず、「全球団から最低1人」のルールにしばられることもあり、両軍とも30人を超す選手が名を連ねることになる。そうなると、1打席のみでの交代やワンポイントリリーフのオンパレードで、監督も勝利を目指すより公平な選手起用に気を揉むことになる。従って、近年の球宴はパレードやフェスタ、試合前のセレモニーのみが過剰にショーアップされ、プレーボールの瞬間がそのピークで、そこから先は顔見世興行となっている。これが、人気低迷の要因になっている。
かつては、ア・ナ両リーグが運営団体としても別物だったため、その対抗意識はすさまじかった。70年代あたりでは、現在と異なりア・リーグはどうしてもナ・リーグに勝てない時期があった。その頃は、ア・リーグ会長が各球団に「球宴前の公式戦にエース級を投げさせるな!彼らを球宴で使いナ・リーグを倒せ!」と通達を出したことすらあった。それが今や「セレモニーには参加するけど、投げるのは勘弁して下さい」と言い出す選手がいる始末だ。
オールスターがかつて輝きを取り戻すには、どれだけ真剣勝負の部分を取り戻せるかにかかっていると思う。「イチローを球宴に」という動きは、そのあるべき方向性に逆行するものだと思う。