YOASOBIヒットの舞台裏、ソニーミュージックの仕掛け人が明かす秘訣
2019年の結成以来、驚くべきスピードでヒットを生み出し、2020年のNHK紅白歌合戦にも出場したYOASOBI。
2023年4月12日に配信リリースした「アイドル」は、Billboard Global Excl. USという米国を除くグローバルチャートで日本語曲初の1位を獲得するなど、瞬く間にグローバルで活躍する存在へとなった。そこで今回、YOASOBIの舞台裏を支えるソニー・ミュージックエンタテインメントの山本氏と屋代氏にプロジェクトのはじまりと、デビュー曲「夜に駆ける」のヒットまでの道のりについて詳しく聞いた。
YOASOBIプロジェクトのはじまり
徳力 まずはYOASOBIの成り立ちからお聞きしたいと思います。いまや誰もが知る存在となったYOASOBIの始まりは、どこからだったのでしょうか。
屋代 社内の新規事業として2017年10月に小説投稿サイト「monogatary.com(モノガタリードットコム)」を立ち上げたことがきっかけです。このサイトは、毎日更新されるお題に対して、ユーザーが小説・エッセイ・ポエム・俳句などを自由な形式で投稿し、それに対してコメントや挿絵などでリアクションができる投稿サイトです。
個人的には、投稿してもらった物語を書籍化したり、漫画化したりして、ゆくゆくはアニメ化されてヒット作品が出ればいいなと考えて運営していました。ただ、なかなか思うようにスケールできず、2年ほど運営した後に「小説から音楽をつくる」という企画を考えました。
そんなとき、たまたま同期で集まって飲む機会があり、その場で山本に「monogatary.comの小説から音楽をつくりたい」と構想を話したところ、すぐに「面白そうだ」と言ってくれました。そこから生まれたのが「YOASOBI」です。
徳力 屋代さんが、新規事業をスケールさせるためにソニー・ミュージックエンタテインメントのリソースである音楽を使おうと考えた背景はわかりました。そのとき、相談を持ちかけられた山本さんは、どのように感じたのでしょうか。
山本 私の部署は「新人を見つけてヒットさせる」が命題です。とはいえ、何の実績もないアーティストに対して、会社から予算を引っ張ってくることはかなりの労力がかかります。一方で今回のプロジェクトは、ソニー・ミュージックエンタテインメントとして曲とミュージックビデオを制作するという建付けがあり、予算も充てられるということだったので、ある程度のクオリティの作品が実現できると思いました。そのため、断る理由はなかったですね。
徳力 屋代さんと山本さんが仲良しの同期だったからうまくいったということでもなく、2人の仕事の方向性とニーズがマッチしたので、とりあえず挑戦してみたという感じですか。
屋代 そうですね。当社は同期に限らず、誰にでもラフに相談してまずやってみるというカルチャーがあると思います。プロジェクトがスタートした当初も、本当にとりあえず始めただけで、ボーカルも決まっておらず、「新人を起用して何かやろう」ぐらいの感じでした。
徳力 Web上の記事で、山本さんがコンポーザー(作曲家)のAyaseさんに声をかけ、そしてAyaseさんがボーカルのikuraさんにInstagram経由で声をかけてYOASOBIが結成されたという記事を読みました。
屋代 そうですね。最初は続けるかどうかも決まっていませんでした。monogatary.comから小説2作品を大賞として選んで、それぞれ1曲ずつ制作するというプロジェクトでした。そのため、イラストもボーカルも曲ごとに変えてもいいというスタンスだったんです。そこでYOASOBIプロジェクトとして1曲目に完成したのが「夜に駆ける」です。
実際に曲をつくってみて1カ月くらい経ったところである程度いい成果が出たこともあり、Ayaseとikuraに今後のプランについて話していく中で、それぞれ「続けていこう」という心が決まったのだと思います。
徳力 「夜に駆ける」は、最初から大ヒットしたのですか。
山本 いえ、最初からではないですね。2019年11月に出して、ミュージックビデオは1カ月で100万回再生されたので、「これはいい感じかも」というくらいの感覚でした。その後、2020年の年明けに突然Spotifyのバイラルチャート(※)で1位になりました。これは、こちらから何かを仕掛けたわけではなく、急にランクインしましたね。
その後、SNSを中心に口コミで徐々に拡散されていって、2曲目「あの夢をなぞって」、3曲目「ハルジオン」と出していく中で、YouTubeの人気チャンネル「THE FIRST TAKE」に「夜に駆ける」で出演しました。その動画が大きく話題になり、その後、Billboard Japan Top Streaming Songsのチャートでも総再生回数1億回を突破しました。
屋代 Spotifyのバイラルチャートで1位になったことにより、僕らもプロモーションのアクセルを踏める武器を持ったような感覚でした。徐々にメディアも取り上げはじめたことで、「今SNS上で、若い人たちが盛り上がっているアーティストはYOASOBIだ」という空気感ができました。
このタイミングはコロナ禍になった頃で、エンタメ領域に大きな話題がない中でYOASOBIに注目が集まっていった状況でした。「小説を曲にする」というコンセプトが、年齢層の高いメディアから見ても面白いと捉えてもらえたのも良かったです。
※バイラルチャート(バイラルランキング):定額制音楽配信サービス「Spotify」で使われている言葉。SpotifyからSNSやメッセージアプリでシェア、そこから再生された回数などをもとに、Spotifyが独自に指標化したランキングのこと。
徹底して意識した「ファンの心理」
徳力 2人は謙遜して「タイミングがよかった」と言っていますが、当時は必死にいろいろ考えて動いていたんですよね?
山本 いろいろ考えはしますが、実はやれることはそんなにないんですよ。何か仕込んでおいたとか、狙い通りにこれがうまくいったということはありません。ただ、ひとつ意識していたことは、たとえば「バイラルチャートで1位になりました」「○○のプレイリストに入りました」といったニュースをTwitter(現X)で細かく発信していましたね。
屋代 それはたしかに意識していましたね。当時を振り返ってみると、本当に大量に投稿しているんです(笑)。
徳力 役割分担としては、どんな形で動いていたんですか。
山本 私は音楽周りやその他クリエイティブを担当しています。SNSや小説に関する出版社とのやり取りは屋代が担当し、プロモーションは2人で一緒に考えています。
徳力 2人からすると当たり前かもしれませんが、海外チャートをウォッチしている知人が私に「YOASOBIはよくチャートを見て、それをきちんとSNSで紹介している」と言っていました。
屋代 はい、日本だけではなく、海外のチャートも意識して見ています。順位が良くないチャートも紹介していましたし、「皆さんの力を借りて1位になりたい」と発信したこともありました。また、地方のラジオ局で流れたことや、ある学校の給食時間に放送されたということも投稿していましたね。
バイラルチャートで1位を獲得すると、ファンの人たちが「1位だから聴いてみて」と自信をもって発信できるんです。そういう意味では、何かしらのチャートで1位を取るというのは我々にとっては武器を得ることになります。そのようなファンの心理をかなり意識していますね。
徳力 ソニーミュージックは、インターネットが普及する前から成功しているレーベルで、ヒットの方程式を持っていると思います。一方で、そういう小さな成果もできるだけ紹介してファンに武器を与え、応援してもらうという取り組みもしているんですね。
屋代 会社として「こうやりましょう」「成功法はこうあるべきだ」といったことは、いい意味で教わらないんです。それぞれ個々に感覚を持っていますし、アーティストによってやり方が違うことが当たり前なんです。
私は入社してから3年間「着うた」や音楽ダウンロードサービスに携わっていて、それこそiTunesランキングで「いま2位だから、あとちょっとで1位です」みたいな内容を当時出始めたばかりのTwitterでつぶやいたら、次の日に本当に1位になったということを体感しました。コロナ禍ではTwitter やTikTokなどSNSを見ている時間がとても長くなっていたので、投稿すればいつも以上に見てもらえました。なるべくユーザーの生活の中に浸透させようと思って、投稿の数にはこだわっていましたね。
徳力 もしかしたら他の人が見ると少し引くくらいの量の投稿をしていたと思いますが、屋代さんの中では大した数ではなかったと。
屋代 そうですね。さまざまなバイラルチャートでの動向をずっと見ている人は、私たち以外に誰もいないわけです。そのため、多くの人に教えてあげないといけないという気持ちでした。
山本 私はアーティスト担当をしている中で、ファンがまだまだ少ない新人でも、すごい熱量を持って投稿するとTikTokなどで話題になっていく現象を何度か見てきました。Ayaseやikuraなどアーティスト自身と我々がきちんとファンに情報を提供して、巻き込んで広めてもらう。仮にファンの人数が100人であっても、その100人それぞれに100人のフォロワーがいたとしたら、倍々で広がっていく可能性がある。そのため、100人しか見ていないから意味がないといった考え方はしません。
YOASOBIの強みは、圧倒的なスピード感
徳力 YOASOBIプロジェクトがここまで成功した理由を1つだけ教えてくださいと言われたら、何がその要因だったと答えますか。
山本 プロジェクトのメンバーが4人と少なかったことは、大きな要因だったと思います。従来であれば、アーティストがいて、マネジメント会社があり、レコード会社があり、その中にまたいろいろなセクションの人がいて物事が決まっていきます。
一方で、YOASOBIは基本的に屋代と私の2人で始めたプロジェクトです。アーティストの意見はもちろん加味されますが、我々が比較的ハンドリングしやすい範囲にあります。「やると決めたことは、5分後には取り組んでいる」というスピード感なので機会損失がありません。それが1年経つ頃には、大きな差になっていたのではないかと思います。
徳力 PDCAを回すスピード感ですね。
屋代 はい。当時を振り返ると、特に1曲目の「夜に駆ける」のときは圧倒的に頑張っていたと思います。ほとんど精神論ですが、4人で無邪気に手探りの中で活発に意見交換していたことがヒットにつながったと思います。
徳力 屋代さんは音楽業界からも遠かったので、まさに手探りだったんですよね。
屋代 そうですね。一つひとつのことに対して、「そういう考え方なんだ」と学びながら取り組んでいました。私は違う文脈でモノを見てきたので、その視点で意見を言ったりしていましたね。また、先ほども述べましたが、4人で意見を交わした時間は本当に長かったです。それがいまも曲の強度につながっていると思います。
徳力 YOASOBIは新しいチャレンジだったのですね。試してダメでも、また試せばいいというスタンスで、いろいろ取り組んだ結果、時代のトレンドに乗ったという現象だったということがわかりました。
ありがとうございました。
※この記事は、徳力基彦とアジェンダノートの共同企画として実施されたインタビュー記事を転載したものです。