月曜ジャズ通信 2014年5月19日 “さつきばれ”はアウトだけど“ごがつばれ”ならセーフだってよ号
もくじ
♪今週のスタンダード〜ベサメ・ムーチョ
♪今週のヴォーカル〜ジョニー・ハートマン
♪今週の気になる2枚〜ミカ・ストルツマン『イフ・ユー・ビリーヴ』/遠藤律子 with Funky Ritsuco Version ! 『WILL YOU LOVE ME TOMORROW ?』
♪執筆後記〜弘田三枝子「オン・ア・クリア・デイ」
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♪今週のスタンダード〜
「ベサメ・ムーチョ」は、1940年にメキシコの作曲家でピアニストのコンスエロ・ベラスケスが作った曲。
タイトルはスペイン語で「私にもっとキスをして」という意味ですが、作った本人は当時まだハイティーンの少女で、キスをしたことがなかったというエピソードが残っています。
1944年にサニー・スカイラーが英語詞を書いて発表、ジミー・ドーシー楽団が取り上げてヒットさせています。ジミーはトミー・ドーシーのお兄さんです。
♪CONSUELO VELAZQUEZ Besame Mucho
原曲作者自身の演奏です。
♪Art Pepper Quartet
アート・ペッパー・クァルテットによる1956年の作品から。アート・ペッパーはチャーリー・パーカー派のアルト・サックス奏者としてシーンに登場、甘いマスクと抜群のテクニックでアイドル的な人気を博しますが、麻薬禍でしばしば活動を中断。1956年当時も収容所から出たばかりですが、ウエストコースト・ジャズの中心人物としてふさわしいニュアンス豊かな演奏でこのラテン調の名曲に彩りを添えています。
♪Art Pepper- Besame mucho
もう1つもアート・ペッパーで。こちらは1978年制作『再会(Among Friends)』収録のものです。1960年代後半から薬物治療のために収容所に入所して引退状態だったペッパーでしたが、1970年代半ばに復帰。その陰には日本のファンの応援があったと言われています。当時、「アート・ペッパーは1950年代と1970年代のどちらがスゴいか?」という論争がありましたが、聴き比べてアナタはどう思いますか?
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♪今週のヴォーカル〜ジョニー・ハートマン
1963年に制作、リリースされた『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』というアルバムによって、ジャズ史にその名を残すことになったと言っても過言ではないのが、ジョニー・ハートマン(1923〜1983)。
日本版Wikipediaなどには米ルイジアナ州ホーマ生まれとありますが、アメリカの資料では米イリノイ州シカゴ生まれとなっているものが多いようです。
幼少期から歌がうまかったようで、奨学生としてシカゴ・ミュージック・カレッジに入学する前に、教会の合唱隊や高校のグリー・クラブで活躍、陸軍の慰問団などでも歌っていたようです。
第2次世界大戦に従軍した後、“ジャズ・ピアノの父”と呼ばれるアール・ハインズが主宰したコンテストで認められ、彼の楽団で歌うことになります。
1947年にはビバップの創始者のひとりであるディジー・ガレスピーの楽団に移り、当時の先進的なサウンドにも対応できるヴォーカリストとして注目を浴びるようになりました。
1949年にガレスピー楽団を退くと、ピアノのエロル・ガーナーのトリオと一緒に活動を始めましたが、これは2カ月ほどで解消。
1950年代はソロ・シンガーとして活動し、アルバムもリリースしましたが、注目には至りませんでした。
アール・ハインズ楽団の先輩であるビリー・エクスタインや、クルーナーとして全国的な人気を博していたビング・クロスビー、フランク・シナトラに勝るとも劣らない実力がありながら冷や飯を食わざるを得なかったのは、チャンスに恵まれなかったことはもちろんですが、1950年当時の公民権運動の盛り上がりによってアフリカン・アメリカンのポジションが変化したことが影響していると言われています。
つまり、シナトラばりの美声で歌うアフリカ系歌手は安く見られてしまったということになるでしょうか。そういえば、ナット・キング・コールも1956年に“ジャズ回帰”と呼ばれたピアノ・トリオによる『アフター・ミッドナイト』を発表しているので、ポピュラー音楽における潮目が変わりつつあったのかもしれません。
ハートマンの状況が一変したのは1963年。きっかけは、冒頭で紹介したコルトレーンとのコラボレーション作品『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』の制作でした。
ハートマンとコルトレーンはガレスピー楽団時代からの知り合い。
1960年代に入って自己クァルテットを結成し、独自のスピリチュアルでインプロヴィゼーショナルなジャズを展開していたコルトレーンですが、さらなる表現力の追求と、アルバムの売上げをアップすることで活動の自由度を広げる意図をもって、ヴォーカル・アルバムを制作しようとしました。そこで白羽の矢が立ったのが、旧知のジョニー・ハートマン。
テクニックも表現力も文句なし。とはいえ、最も重要なのはスケジュールも押さえやすく、ギャラも高くなさそうなこと……だったのではないかと推測します。
かくして出来上がったアルバムは、コルトレーンの目論見どおりヒットしただけでなく、20世紀を代表する男性ジャズ・ヴォーカル・アルバムとして歴史に残るものになりました。
♪john coltrane & johnny hartman / "my one and only love"
5分弱の曲の2分以上をコルトレーンが吹くというところに、このアルバムの異様さが表われているのではないでしょうか。だからこそ、ジャズ・ヴォーカルとスピリチュアル・ジャズが融合したこの名作が生まれたわけなのですが。
♪Johnny Hartman sings Lush Life
亡くなる年に出演したテレビ番組の映像のようです。往年の声の張りはありませんが、豊かな表現力は健在ですね。
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♪今週の気になる2枚(その1)〜ミカ・ストルツマン『イフ・ユー・ビリーヴ』
世界を舞台に活動するマリンバ奏者ミカ・ストルツマンが2013年秋にリリースした3年ぶりのアルバムです。
1964年に北海道で生まれた吉田ミカは、すぐに熊本県本渡市へ移って育ちました。1991年に世界的なパーカッショニストであるツトム・ヤマシタ(1947〜)と出逢うことで演奏家としてのキャリアをスタート。トロント大学に留学し、帰国後は熊本・天草を拠点に活動しましたが、2008年にはニューヨークへ活動拠点を移しました。
2012年にクラリネットの巨匠リチャード・ストルツマンと結婚して、ミカ・ストルツマンに改名しています。
本作は、2010年にスティーヴ・ガッドのプロデュースで制作した『ミカリンバ』の続編と位置づけられるもの。
大型の木琴であるマリンバは、原始的な構造と素朴で深遠な音色でファンは多いものの、弾きこなす人材がきわめて乏しいというのも事実。
そんな現状を「ぜひ打破したい」と、本作のインタビュー取材時にも語っていたミカ・ストルツマンですが、そのきっかけが『ミカリンバ』だったのです。
原始的ではあるものの、楽器として完成したのは19世紀後半という“新参者”であるため、「マリンバのための楽曲って、現代音楽のようなコムズカシイものが多いんですよ」と笑っていたミカ・ストルツマン。
彼女自身がフュージョン好きだったこともあって、エディ・ゴメスやスティーヴ・ガッド、そして夫君となるリチャード・ストルツマンらを招聘してステージを重ねているなかで、彼女の意を酌んだエディ・ゴメスがプロデュースにも手腕を発揮していた盟友のスティーヴ・ガッドに「ミカのアルバムを作るべきだよ」と進言したことから始まったというシリーズなのです。
マリンバを身近にという大きな目的があるため、楽曲も超絶テクニックを“ぎゅう詰め”にしたようなタイプのものは避け、ジャンル的にも偏りを感じさせないという配慮がなされています。
スティーヴ・ガッドといえば、1970年代後半から80年代にかけてのキレのあるドラミングで、ポップスとジャズ、R&Bのボーダーを溶かしていった名手として知られていますが、ジム・ホール『アランフェス協奏曲』(1975年)に代表されるように“クラシックの要素をジャズに融合させる”ことに関しても抜群のセンスを発揮したアーティストです。
両者のコラボレートの結果、本作は前作にも増してマリンバが醸し出す“空気感”を表現したものになっています。
余談ながら、ドラムにはスティーヴ・ガッドの子息であるデューク・ガッドも参加。すでにミカ・ストルツマンのツアーにも同行してその実力を発揮していただけでなく、プロデューサーである父からもお墨付きをもらっていたプレイは、ぜひアルバムを聴いて確かめてください。
♪MARIKA GROOVE- A Small Portion of a Big Piece of Music for Marimba
チック・コリアがミカ・ストルツマンのこのプロジェクトのために作曲したオリジナル「ミカ・グルーヴ」です。
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♪今週の気になる2枚(その2)〜遠藤律子 with Funky Ritsuco Version ! 『WILL YOU LOVE ME TOMORROW ?』
数々のユニットやプロジェクトを運営するほか、社会人向けの“楽しい音楽”を演出するプロデュース活動を展開するピアニスト&キーボーディストの遠藤律子が率いるラテン・ファンク・フュージョン・バンドが“ファンキー・リツコ・ヴァージョン!(FRV!)”です。
ボクがこのノリノリのサウンドに最初に触れたのは10年ほど前。2002年リリースの『家族』のレビューをした後にライヴを観たくなって、STB139へ向かうと、アルバムでも熱かった演奏がさらにパワフルにグレード・アップしているのを目の当たりにし、圧倒されてしまったのです。
本作はFRV!の通算5作目で、FRV!らしさあふれるヴァラエティ豊かな内容。
ジャニス・ジョプリンに始まり、クリーム、レッド・ツェッペリンと、これまであまりフュージョンにはなじまないと思われてきたブリティッシュ系ロック・ナンバーに積極的に取り組んでいる点がまずユニークです。
こうした曲は、単にラテン・フュージョンのアレンジ処理でなんとでもしてしまうという“力技”だけではBGMレヴェルの完成度にしか至らないことが過去の例で証明されているわけですが、FRV!のアレンジがそうならないのは、メンバーの技量の高さもさることながら、遠藤律子が表現しようとしているサウンドに“時代性”が濃く含まれていることが関係しているのではないか、と推測しています。
要するに、彼女が自分で(ブリティッシュ・ロックなのに)踊れるのか否かーー。
その軸がブレないからこそ、FRV!のサウンドは常に観衆を熱く燃え立たせてくれるわけです。
♪frv mvvr 131023
これはおもしろい動画ですね〜。FRV!のメンバーであるドラムの岩瀬立飛が、ドラム・パートの録音時を撮影したものと思われます。ほかのパートはすでに録音済みだったのでしょう。レコーディングではテンポをクリックで決めていることも多いので、このようにパートごとにメンバーごとのスケジュールを調整しながら録音するということも少なくありません。いずれにしても、流れているサウンドはほぼアルバムと同じものと言えるので、FRV!の“味見”をしてみてください。
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♪執筆後記
“さつきばれ”というのは「梅雨の合間のまるで5月のような爽やかな晴れ間」を指す言葉なので、これを5月の晴れた日に用いるのは"誤用”なんだそうです。
そのまま“ごがつばれ”と読むのであれば問題ないという見解をNHKは示しているようですが、5月にことさら“ごがつ”と付け加えて晴れを表現しようというのは、ちょっといただけませんよね?
♪on a clear day/弘田三枝子
“晴れ”というキーワードで検索してみたら、「晴れた日に」という曲を発見しました。歌うのは弘田三枝子。“ポップスの女王”と呼ばれるほどの歌唱力を誇る彼女ですが、ジャズを歌わせてもすばらしいですね。まさに雲ひとつない“五月晴れ”かな?
富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/