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キャリア自律の時代に組織と個人はどうあるべきか【江夏幾多郎氏インタビュー】(後編)

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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近年「キャリア自律」ということが盛んに言われるようになってきました。キャリア自律とは変化する環境において、個人が主体的に学習やキャリア構築に取り組むことを指します。こういうことが言われるようになってきた背景には、企業が年功主義的な一律待遇を放棄しようとしていること、人材育成に積極的に投資できなくなってきたということが考えられます。先の見えない時代に、個人や人事として何をすべきか、江夏先生に伺いました。

<ポイント>

・今の時代は人材育成モデルの定義が難しい

・高齢者雇用制度はどのように運営していくべきか

・労働組合がやるべきギルト的な役割とは?

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■キャリア自律の第一歩

江夏:曲がりなりにも昔は人的資本を形成するという役割を企業が担っていたわけです。特にブルーカラーの場合はそうだと思います。大企業の製造業が主ですが、中卒で採用した社員に、昼間は働いてもらい、定時の後は企業内学校で一般教育や職業教育を受けさせ、最終的に高卒資格を付与する、ということもありました。OJTやクオリティー・サークルなど、職場内での体系的な能力開発にも、多くの企業が力を入れてきました。

倉重:公的な機能を一部民間が担っていたようなものですよね。

江夏:そのような人材育成機能が、近年弱くなっています。あるいは、多くの企業がこれまでのやり方に確信が持てず、試行錯誤しています。「自律型キャリア」と企業が言うようになったのは、ある意味で「人材育成の責任を担えません」というメッセージでもあるのです。

では、どこで技能や技術・スキルの形成をすればいいのかというと、学校というわけにはいきません。職業能力の形成の基本は、あくまで実際の職務経験になります。実際の経験の傍、周りを観察したり周りからフィードバックをもらって成長していくのは、ホワイトカラーでもブルーカラーでも同じです。学校などの職場外の学びは、経験からの学びを促進するものであっても、代替するものではありません。

人的資本を職務経験の中で蓄積する仕組みが不十分な中で、労働市場だけ流動化することになっても、企業と労働者、双方にとって益になることはないと思います。

倉重:失業者が増えるだけになるかもしれません。

江夏:従業員の能力を企業が活用するというとき、2つの方向性があると思います。第一に、戦略や業務システムから見て必要な能力について、企業が投資したり、活用したりすることです。これはPDCAが回しやすいし、費用対効果の見通しも立てやすい。けれども、予想の範囲を超える大きな成果は出てきません。

第二に、企業が当初期待していなかったけれども、従業員のある能力が事業の創出や成長に結果としてものすごく貢献する、というパターンです。従業員が職業キャリアを積み出す前、あるいは仕事の傍らで学習してきたことが、仕事の中でも活かされる、ということです。PDCAの立てようがないことですし、無駄を許容することになるので計算上の費用対効果もあまり良くない。けれどもこうした能力を評価・活用しなかったら、大きな変革も生まれにくくなる。

どちらも大事なのですが、近年は前者に傾斜しがちだと思います。企業側が従業員や学生に対して、それまでの経験がこれからにどう役立つかを考えさせようとしている。けれども会社を大きく変え、非線形的な成長に導くのは、それを活かすことの効果を企業も従業員自身も予想がつかないような能力です。そういう意味では、基礎学問や人文知的なものが、企業のみならず社会全体でもあまり重視されなくなっているのは憂慮すべき事態です。

一部では「教養ブーム」もありますが、「役に立つ知識」という側面を押し出しすぎると、その本質が捻じ曲げられます。役に立つかどうかわからない能力に対し、企業がもっと寛容になり、かつその活かし方を従業員と一緒に考えるようになっていいでしょう。

複雑で不確実な今のような時代、企業や社会が「これをやっておけ」と安直に定義できてしまうような経験を人々が積むだけでは、彼らもいいキャリアを築けると言いにくいですし、企業や社会の成長にもつながりにくいという部分があります。コンピューターの使い方や論理的思考などの最低限のことはともかく、そこから上のレベルに関しては定義できなくなってきています。役に立つかどうかわからない知識や能力は、自由な、新しい時代を切り開く可能性がある知識や能力でもあります。可能性はあくまで可能性でしかないのですが、それを許容しないような企業や社会は縮小均衡を繰り返すだけになります。

そうした人材育成に対して、今はそこまで官民が投資しきれなく、長い目線で見守れなくなっています。今のような時代こそ必要だし、若干の成功例がその他大多数の失敗を十分にリカバーできるのに。様々な能力をそれぞれの方法で活かしきれていない中、労働市場を流動化させて労使のマッチングをするというのは、重要な政策目標とされてもいますが、残念ながら時期尚早な部分もあると思います。

つまり、長期的目線とゆとりを備えた人的資本の投資や活用が回り出してから労働市場の流動化をするほうがいいということです。企業としては、それでは株主や顧客などに対して説明責任が果たせない、ということなのかもしれませんが、役に立つかどうかわからない知識や、それに熱を上げている個人が活きそうな場所を見定める、作り出すといった、ある意味での度量、リスクを取る姿勢がもっとあってもいいのでしょう。

能力の開発投資する、あるいは従業員が勝手に伸びるのを邪魔しない、そして既存の職務やポストにその能力を当てはめるだけでなく、活かせそうな職務やポストをつくる。そうやって個人が伸びだすと、ある程度の確率で離職が出るのは仕方がないけれども、「この会社にいると能力が深まり、活かせる」ということが呼び水になって、労働市場から人が来る流れが見えてきます。

 企業の内外で従業員が育んでいる能力の実態を理解した上で企業として価値を置く職務遂行能力を定義し、しなおし続けることと、それに見合った機会と報酬を与えることは人事管理の基本です。

倉重:根本的にどのような人に育ってほしいとか、このような人に賃金を多く払いたいというのは企業の思想ですから、そこがブレては駄目だと思います。

コンサルにお願いして立派なものを作ってもらうことがいいわけではなく、会社がどうしたいのかというところが本当は先にあるはずなのです。

改めて、キャリア自律を意識するとしたら、何を勉強しなければいけないのでしょうか。例えば若い人から「将来が不安ですが、何を勉強したらいいですか」と聞かれたら、何と答えますか?

江夏:当たり前じゃないかと怒られそうですが、それができていないことが多いということであえて言うと、今の仕事をきちんとやるために学ぶべきことを洗い出すことに尽きると思います。

今の仕事で達成すべき本当の成果,そのために必要なこととは何か、上司から言われたことをこなすだけでいいのか、といったことを追求し、試行錯誤して、結果が出るまで周囲からフィードバックを仰いで、一定の結果が出たら次のことを考えればよいのではないでしょうか。

それをきちんとすれば、次の機会を会社が与えてくれたり、自分で見つけやすくなるでしょう。転職エージェントに登録するときも「こういう理由で今の仕事や会社は私にフィットしていません」と説明しやすいでしょう。常に学び続けるという習慣にもなるでしょう。

限度を超えている時には見栄を張りすぎずに上司に伝えて一歩下がる。そういうことも含めて、目の前のことをやることが大事だと思います。目の前のことを考えられないのに、「5年後、10年後にこれをやりたい」と言っても妄想のようではありませんか。

倉重:確かにそのとおりです。本質だと思います。

江夏:目の前のことをきちんとしている人が語る未来のほうが、雇用主に対しても、転職エージェントに対しても説得力が出てくるのだろうと思います。

■定年制の問題

倉重:将来が不安という意味では、年金が減っていつから支給されるのかわからないという方も増えています。年金と切っても切り離せないのが定年制の問題です。

日本における定年制の起源は、海軍省火薬製造所が明治20年に55歳定年を設定したところから始まっています。定年制は民間企業にも普及し、55歳定年から60歳定年になり、今は65歳までの再雇用義務から70歳まで就労確保の努力義務となっています。年金政策との兼ね合いでいろいろと変わってきたため、最初に導入された趣旨とは異なっているところがあるかもしれません。

江夏:定年制というのは確かに変わってきている部分もあって、複数の意味合いがあると思います。最初期などはリテンション策の部分があり、「優秀な人材にとどまって働いてもらいたい。もっと貢献してもらいたい」という意図がありました。特に熟練という意味では、定年制が経営戦略的にも合理的な部分はあるだろうと思います。

国の社会保障関連にも定年制に関する規定があるため、複数の性格があるのです。ある種の福祉的雇用で、「面倒を見ないといけない人だから支える」ということ。そして人材活用という意味で、「この人にずっととどまってもらいたい」という部分の両面です。

この両方を考えながらシニアの雇用を考えていかないといけません。今日の企業を見ていますと、福祉的雇用の色彩が強すぎるのではないかと思います。平たく言いますと、シニアのポテンシャルを生かせていないのです。

本来年を取れば取るほど、その人の個性はどんどん出てきます。会社への貢献度や業績というのは、年齢をへるごとに世代内のばらつきは大きくなるはずなのです。

とくにシニアになってきますと、できる人は相当できるし、やる気のない人もいます。シニアの社員ほど、ある意味で業績主義的な管理でもいいのではないかと思います。福祉的な意味合いで年金までのつなぎというレベルは確保しつつ、もう少し彼らの個性や、一部の人の「もっとやりたい」という意欲に応えられるような両面性を備えた雇用制度を導入する。そのことによって中堅や若手のキャリアの考え方も変わってくると思うのです。

場合によっては定年や再雇用の上限の年齢が一律ではないこともあり得えます。例えば一般的には再雇用の上限が70歳だとしても、人によってはそれ以降も働ける、条件については個別に決定という道を明確に用意するのです。

倉重:今、実務では高齢者雇用は割とジョブ型ではないかと思います。人によってかなり個別に定めていますし、仕事ごとに条件が違ったりしています。非正規と高齢者は、ジョブ型に向いているのかなと思います。

高年法の再雇用でも、複数の制度を設ける企業も増えてきています。ある程度できる層と、法律上義務だから再雇用しているグループと分けた上で待遇差を設けることは既にしていますから、これを現役まで押し広げることも不可能ではないと思います。

江夏:おっしゃるような事例もありますが、定年とともに一律的に待遇が悪化する、悪いジョブ型の企業も多いでしょう。結局、おっしゃったような制度を社内に実装するためには、人事担当者の見識が問われてくると思います。理論的な思考、あるいは「これが正しいのだ」という信念で、経営者や労働組合など周りを説得するわけです。

倉重:相当な抵抗もありますから、よほど情熱を持った人事担当者が長い期間継続して担当しないと根付かないでしょうね。

江夏:日本企業は職務給を一回入れようとして断念しました。そして職能資格制度、職務遂行能力という概念を発明したのです。当時の人事の見識で、ジャパンオリジナルを作ったのです。そのようなことが今新たに制度を導入する時に必要になってくるのではないかと思っています。

1969年に『能力主義管理』というものすごく影響力のある報告書を出した日経連能力主義管理研究会のメンバーに、40年ほど後になって研究者たちが聞き取りをした内容をまとめた本があります。読んでいて面白かったのは「学者の意見は参考にはするけれども、彼らは実務を知っているわけではないから、自分たちで制度を作るしかない」ということを語っていることです。使える知識と使えない知識を見定めながら職務遂行能力という概念を作り出していった過程がものすごくリアルに書いてあり、すごいなと思いました。

倉重:それは民間企業の人事から聞いた話ですか?

江夏:日本鋼管、石川島播磨重工業、ソニーなど、有力企業の人事担当者がその研究会のメンバーでした。日本の雇用制度の歴史や日本社会、経済状況を理解して、そこに関する仮説や見解に基づいて制度を構築していくところが今も必要です。

米中対立や人口減少社会といったざっくりとした紋切り型の時代認識ではなく、「われわれはどのようにして人々と一緒に価値を作っていくべきなのだろうか」という雇用関係や経営プロセスに関する前提を各社の人事担当者が自分たちの頭で考えることが必要だと思います。

倉重:最終的に、どのロジック、どのストーリーであれば一番納得感があるかという話ですね。

江夏:「Z世代」のようないい加減なことを言っていては駄目なのです。

倉重:一人ひとりを見ないと駄目ですね。今の課題というのはまさにそこにあります。正解がない時代とよく言われますが、自分の会社に正解があるはずなのです。

江夏:数年間の正解をその都度作り直していくということが必要です。アップデートする時に貫かれる基本的な価値観があると思います。経営の価値観なのか、人と人が関わるということにおける組織の価値観なのかはさておき、その組織の価値観を具現化する形について常に問い直しながら、人事制度を微修正していくのです。

■労働組合の秘めたポテンシャル

倉重:最後のテーマなのですが、集団的労使関係はどうなるでしょうか。今、労働組合の組織率が今かなり減少しています。若い人たちに聞いてみますと、「組合に入る意味が分からない」と答えるそうです。一方で、「会社と争うときに1対1だときつかろう」という労働組合法の根本の発想は、いまだ生きているのではないかと思います。多くの働く人を連帯させるという意味での労働組合のあり方や役割は、どのようになっていくのがよいと思いますか。

江夏:企業別の労働組合が日本的な労使関係の基本的な単位になるわけですが、企業のカウンターパートが職種別の労働組合になるかといいますと、すぐにはならないと思います。なぜなら、企業と従業員の雇用契約が、とりわけ新卒も含めた組合員層の場合には、職務や職種を単位としたものになっていないからです。ジョブ型を目指す日本企業の多くも、少なくとも現時点では新卒定期採用も含め、企業主導的な人事管理の色彩が強いですし、従業員側も雇用保障とのセットになるそれらを受け入れている部分もあります。そういう雇用関係になっている以上、企業別組合の方が労使協議を進めやすくなります。

企業別組合がしばらくは存続するという前提に立った上で、今倉重さんがおっしゃったことを考えますと、キャリア自律というのは別に職を転々とするということだけではありませんよね。

会社の中で自分の機会を見つける。あるいは自分の機会というものを作り出し、一つひとつの仕事に関して自分なりの成長目標を持ちながら、時に「このような仕事をしたいのです」と会社に交渉することも十分にキャリア自律です。

そのようなところを支援することが労働組合にもできると思います。企業側、人事担当者が撮りこぼしている従業員情報を活かし、「ここにこんなふうに活躍している人がいますよ」として更なる活躍の場を組合員間の公正性・公平性を担保する範囲で模索することは、従来的な意味での連帯とは少し違う部分もあるのかもしれませんが、労働組合、ひいては組合員のメリットになる可能性はあります。

倉重:ギルドのような感じですね。それはとてもいい指摘です。

江夏:労使関係には集団的な部分と同時に個別的な部分があります。集団的労使関係から個別的労使関係に移るという単純な話ではないと思います。待遇のベースや方針は、集団的労使関係の中で作りつつ、その中で一人ひとりがやりたいことをやれるための支援をすることは、労働組合でもできるのではないかと思います。働き方のベストプラクティスを全組合員に共有することも含めて。

倉重:労働組合が、社内の人事や経営側に相談できないことも話せる立ち位置だとすると、すごく存在意義があり得るのではないかと思います。

 その前提として、やはり働く側もある種自律 している必要があります。「どのように働いていきたいのか」ということは自分で見つけていかなければなりません。

先ほど話に出ました高年齢者雇用を考えると、法改正で65歳以降は業務委託してもよくなりました。ただ、65歳になってからいきなり業務委託と言われてもできるわけがないのです。

もっと若い段階、定年前の段階から考えなければいけません。例えば定年直前の研修は、せいぜいお金の使い方セミナー程度のことしかしていません。その他の能力開発はあまりしていないので、労働組合も一緒にしたら面白いではないかと思いました。

江夏:できるところから少しずつやっていくしかないと思います。高年齢者のキャリア研修にはあまり効果はないのかもしれませんが、やらなくてもいい理由にはなりません。そのようなことをやっていく中で、会社の姿勢が見えてきてほかの世代にも波及していくところはあります。高年齢時の働き方の研修を受講できる対象を高年齢者やその一歩手前だけに絞るのは、もったいないことかもしれません。

倉重:多様なニーズに対して一つひとつ対処していくことが求められていきそうです。当然労働組合を頼る理由、ニーズも多様化していきますよね。労働組合側も相当能力が求められます。組合に求められていることは、昔とかなり違いますか?

江夏:組合は、管理職になったら外れるケースがほとんどです。キャリアパスの中でいずれ非組合員になることがイメージされる場合、「どうせ組合から外れるのだから」と社員側もそれほど乗り気ではなかったところもありました。

最近は皆が皆管理職になれるわけではないですし、なりたいと思っている人も少ないです。その状況は実は組合にとってはチャンスなのではないかと思っています。管理職になるというキャリアを想定していない人といい関係を築いたら、組合にとっても影響力が上がりますし、社員にとっても自分のキャリアをより良くする機会になります。経営側も全員を管理職にするわけにはいかないのですけれども、「選抜に漏れた」とは思ってほしくないはずです。

三者のニーズというのは実はマッチしている部分があります。つまり、「管理職に上がるのがゴールではない」という人の人生を、いかに豊かにしていくのかということは、労使で考える必要があるのです。例えば管理職になるという待遇は得られなくても、ワークライフバランスは充実しているということであれば、働く側にとっては選択が生まれます。

倉重:そのようなキャリアコースがあるということも入社したての人は知らないので、選択肢を教えてあげるところから始めてもいいですよね。

江夏:もちろんプレーヤーでもマネージャーとは違う形でインパクトを与えることもできます。非管理職の貢献や働き方もいろいろあるべきです。労働組合はそこをきちんとモデル化して、会社に対して「マネージャーに上がっていないのですけれども、すごく成果を出している人がいますので、その人には一時金を払うべきです」とか、あるいは「ワークライフバランスを充実させるべきです」と提案できるといいと思います。

倉重:ハチマキ巻いて、「ベースアップの交渉を頑張ろう」「オー」というだけの時代ではなくなりました。だからといって、組合の役目がなくなったとは決して思いません。

江夏:これはあまり言わないほうがいいのかもしれないのですが、多くの従業員は、人事のことが怖がっていますし、それほど好意的にはとらえていないでしょう。私は人事部の人に仲間が多いので、ディスっているわけではないのですが、そこは労働組合にとってはチャンスだと思います。つまり、人事部よりも人事部らしいことをするということです。

人事部に対して「この従業員がこういう強みがあるなんていう情報、そちらには上がってこないでしょう」と働きかけて、個々の従業員の最適なキャリア、彼らが自律性を発揮できる道筋を一緒に考えることができるはずなのです。そこは企業別組合のポテンシャルだと思います。産業別や職種別の組合にそこまでやるメリットはありませんから。

倉重:企業別組合にはポテンシャルしかないですね。

■VUCAの時代だからこそ、人事がやるべきこと

倉重:今回のお話をまとめると、誰かに答えを教えてもらうのではなく、まず自分の立ち位置を鑑みて、その会社 や組織、ひいては働く人自身がどうしたいのかを考えるというお話だったと思います。

改めて、このような時代だからこそ人事の人にはどうあってほしいのかというメッセージをお願いします。

江夏:自社の制度の成り立ちに関して、なぜこのような姿を取っているのかということを、その是非も含めて理解、経営者やマネジャー、社員に説明できることが大事なのではないかと思います。本当に制度を変えないといけないのか、運用の改善でどうにかなるのではないかということも考える余地があると思います。

私の目から見ると、新しいものに飛びつき過ぎて、既にあるものを大事に使い切るというところが弱いかなと思う部分があります。看板を変えたら社内の気風も一新されるという「くせ球」に頼っていては、腰の据えた運用、制度の定着に向けた現場への支援が難しくなるのではないでしょうか。社内全体で熟慮した結果として変えるということでしたらいいと思います。

 過去にも同じようなことをしてきた人たちが大勢います。歴史の中で作られてきたものや、今の立ち位置を知っておくと、だいぶ変わってくると思います。

倉重:日本型雇用の歴史を知ったり、昔の人事のOBに話を聞きに行ったりするのも面白いですよね。

江夏:日本の雇用の特徴とは何ですかと聞くと、全く答えられなかったり、「三種の神器」のような感じで、判で押した回答が出てきます。もう少し立ち入った理解といいますか、そうなった背景も含めて腹に落としておくだけで、現状の理解や、将来こうあるべきだという展望の仕方が変わってくると思います。

(おわり)

対談協力:江夏 幾多郎(えなつ いくたろう)

神戸大学経済経営研究所准教授

1979年生まれ。一橋大学商学部卒業,同大学にて博士(商学)取得。名古屋大学大学院経済学研究科を経て2019年より現職。専門は人的資源管理論,雇用システム論。主著に『人事評価における「曖昧」と「納得」』(NHK出版),『コロナショックと就労』(ミネルヴァ書房)。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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