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NBA選手の遺体が発見されてから、間もなく10年……

林壮一ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
ロレンゼン・ライトは、34歳でその短い生涯を閉じた(写真:ロイター/アフロ)

 2010年7月19日、早朝のことだった。911(日本の110)に掛かって来た電話を交換手がとると、立て続けに11発の銃声が聞こえた。電話の向こうの相手は、一言も言葉を発しなかった。

 現在、その電話をかけて来たのはロレンゼン・ライト(34)本人で、直後に射殺されたという説が有力である。地元警察の認識も同様だ。発信源がライトの携帯であることが判明しているからだ。

 

 件の911コールから9日後、13シーズンNBAでプレーしたロレンゼン・ライトの遺体がメンフィスの森で発見される。

 生前、ライトはテネシー州メンフィスのホームタウン・ヒーローだった。1994年から1996年まではメンフィス大学のエースとして活躍。1995年に福岡で開催されたユニバーシアードでは、アメリカ代表チームの一員として優勝を飾っている。

 1996年にドラフト1巡目7位で指名され、ロスアンジェルス・クリッパーズに入団。1999年にアトランタ・ホークス、そして2001年には慣れ親しんだメンフィスに戻り、グリズリーズのユニフォームを着た。当地では、若者のためにバスケットボールレッスンを開いたり、恵まれない少年少女を対象としたチャリティー活動を催すなど、社会貢献も忘れなかった。

 2008ー2009シーズンはクリーブランド・キャバリアーズに在籍し、レブロンと共にプレーする。が、契約更新はなされず、他のチームからもお呼びは掛からずで”浪人”生活を送っていた。

 とはいえ、6人の子供をもうけ、優しいパパとして過ごしていたという。

 遺体の発見が7月下旬という夏場であり、死後9日が経過していたことも手伝って、211センチ、118キロのライトの体は腐敗が激しかった。解剖の結果、5発の銃弾を浴びていたことが分かる。

 3日前の2月11日(アメリカ時間)、ビリー・レイ・ターナーという48歳が出廷を命じられた。ライト殺害時に2丁の銃を所持していた容疑である。この男は別の罪を犯し、16年の禁固刑を食らっている。ターナーの審理は2020年10月26日と決まった。メンフィス史上、最も関心を集めている殺人事件だが、かなりの時間を要している。

 ライトの母親の「早く決着してほしい」というコメントが、哀しく胸に突き刺さる(後編に続く)。

ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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