英国ジェームス・バルガー事件に思う 少年事件の実名報道と更生
ジェームス・バルガー事件をご存じだろうか。英国史上最も残忍な幼児殺人とされるが、当時10歳だった犯人の一人が、仮釈放、児童ポルノ配信で服役、再度の仮釈放を経て、また児童ポルノ所持で起訴されたという。
【事件の概要と報道】
この事件は、当時、公権力のお墨付きを得て、犯人である少年らの実名や顔写真、経歴が堂々と報道されたことで有名だ。
1993年、リバプールのショッピングセンターで、10歳の少年2人が2歳のジェームス・バルガー君を誘拐した。
その上で、陰部をもてあそび、顔に青い塗料をぶちまけ、口に乾電池を詰め、レンガや鉄の棒で殴打して殺害し、事故死に見せかけるために遺体を線路上に置いて列車で切断させた。
わが国だと14歳以上だが、英国では10歳以上から成人同様に刑事責任を問うことができるとされている。
18歳未満であれば原則として特別な裁判所で非公開の裁判を受けるが、殺人罪は例外とされ、たとえ10歳でも成人と同じく公開の法廷で陪審による正式裁判を受ける。
報道も過熱したが、英国における少年犯罪の通例に従って裁判所の報道禁止命令が出され、報道規制が行われた結果、犯人の少年らも「子どもA」「子どもB」と報じられた。
その後、有罪評決を経て裁判所自らこの規制を解き、彼らの実名や顔写真、経歴の公表を条件つきで許可した。
例えば、逮捕直後に警察で撮影された写真1枚に限る、居場所の報道を禁止する、といったものだ。
過去に類を見ない特異重大な事件であり、国民の知る権利に応える必要があるし、犯人として別人の名前が挙げられるなど、誤った情報の拡散による弊害も大きかったからだ。
この結果、少年らの家族も転居などを余儀なくされた。
その後、英国政府は、2001年に18歳で少年らを仮釈放する際、保護観察を義務づける一方、新たな氏名や社会保険番号、出生証明、パスポートなどを与えた。
円滑な社会復帰を促進するとともに、遺族や社会からの報復措置を防ぐためだった。
むしろ、彼らの身元を突き止める行為に及べば、その者に刑罰が科されるようにするほどの手厚さだった。
にもかかわらず、うち1名は2010年に児童ポルノの配信などで逮捕されて服役する事態となり、甘すぎた政府の対応に批判が起こった。
2013年に仮釈放となるも、2017年11月に再び児童ポルノの所持で逮捕され、その後、起訴された。
違う名前で別人としての人生を歩まざるを得なくなったことが大きなストレス要因となったと指摘されている。
しかし、もう1名の元少年は特に大きな問題を起こしておらず、更生や再犯可能性に個人差があるということを改めて示す事態ともなっている。
【少年犯罪に対するわが国の報道規制】
他方、わが国の少年法には、次のような規定がある。
「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」(61条)
事件を起こした少年の社会復帰や更生を促進するためだ。
審判や起訴前の捜査段階についても、言わずもがなのこととして含まれる。
また、条文では「新聞紙その他の出版物」とされているものの、テレビやラジオ、ホームページやブログ、SNSなども含む趣旨だと考えられている。
ただ、違反に対する罰則規定はない。
少年側がプライバシー侵害や名誉毀損などを理由に民事・刑事の責任を問いたい場合でも、捜査当局はまともに取り上げないし、裁判にも時間や費用がかかる。
そこで、凄惨な少年事件が起きるたびに、逮捕された少年らの実名や顔写真、経歴などがゲリラ的に報じられ、ネット上でも拡散されてきた。
記憶に新しい2015年の川崎中1殺害事件でも、逮捕された少年らの実名や顔写真がネット上に流され、一部雑誌でも克明に報じられた。
この点、少年犯罪における実名報道の可否が正面から裁判で争われたケースとして、堺市通り魔殺傷事件が挙げられる。
1998年、当時19歳の少年がシンナー吸引中に幻覚状態となり、通行中の女子高生を包丁で刺して重傷を負わせた。
逃げまどい転倒した5歳の幼女に馬乗りになって背中を突き刺し、殺害した上で、娘を守ろうと娘に覆いかぶさった母親の背中にも包丁を突き立てて重傷を負わせた。
一部雑誌が少年の実名などを報じたが、少年は出版社などを相手に損害賠償を求める民事裁判を起こした。
一審は少年の勝訴となったが、2000年の控訴審判決では、社会の正当な関心事で凶悪重大な事案であれば実名報道が認められる場合もあるなどとされ、少年の敗訴となった(確定済み)。
【旧少年法と児童の権利条約】
ところで、少年法と聞くと、戦後の混乱の中で貧困の末に盗みを働いたような少年を保護するため、GHQの影響で初めてできた法律だと思っている人も多いかもしれない。
しかし、わが国には既に1922年(大正11年)に少年法という名前の法律があった。
今と違って18歳未満の者が「少年」とされていたが、成人と別扱いにして保護しようという趣旨は同様だった。
この旧少年法にも、今の少年法と同じく報道規制に関する規定があった。
しかも、当時は発行人や著作者といった違反者に対し、最高で禁錮1年の刑罰を科すとされており、今以上に少年の匿名性が保護されていた。
今の少年法が報道規制に対して罰則規定を置かなかったのは、表現の自由を重んじる憲法に配慮したからだ。
堺市通り魔殺傷事件の控訴審判決も、事案の特異重大性を踏まえた上で、少年のプライバシー保護と出版社の表現の自由とを天秤にかけ、後者に軍配を上げている。
これを更に推し進め、少年法の報道規制そのものを撤廃すべきだといった議論も活発だ。
ただ、旧少年法から現在の少年法に移行した時期と違い、今は「児童の権利条約」を考慮する必要がある。
わが国も1994年に批准しているこの条約では、「児童とは、18歳未満のすべての者をいう」とされ、「手続のすべての段階において当該児童の私生活(privacy)が十分に尊重されること」を締約国に求めている。
条約は法律よりも上位の法規範であり、少年法による報道規制を撤廃しさえすれば、直ちにいかなる年齢の少年犯罪でも実名報道が可能となるわけではないので、注意を要する。
なお、英国は世界有数の監視カメラ大国であり、街頭や駅などいたるところに多数のカメラが設置されている。
ジェームス・バルガー事件でショッピングセンターのカメラ映像が犯人検挙に結びついたこともあり、政府が設置を推進した結果、一気に広まったからだ。
こうした点も、わが国の防犯や犯人の早期検挙に向けた方策を考える際、参考となるだろう。(了)