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【深掘り「どうする家康」】野村萬斎さん演じる今川義元の悲惨な最期を探る

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
今川義元を演じる野村萬斎さん。(写真:つのだよしお/アフロ)

 1月8日からNHK大河ドラマ「どうする家康」がはじまった。今回は今川義元の悲惨な最期について、詳しく解説することにしたい。

 永禄3年(1560)5月19日、雨が降りしきる桶狭間(愛知県名古屋市緑区と愛知県豊明市にまたがる地域)で、今川義元が織田軍に討ち取られた。

 今川氏は数万の大軍勢を率いており、少勢の織田信長率いる軍勢は圧倒的に不利であると予想された。しかし、信長は巧みな戦術により、義元の討伐に成功したのだ。信長の戦法については、改めて取り上げることにしよう。

 桶狭間の戦いで義元が討たれたのは、誰もが知っているが、その首を取った毛利良勝については、ほとんど知られていないだろう。良勝とは、いかなる人物なのか。

 良勝の生年は不詳。新介、新助ともいう。のちに新左衛門といった。出身地は尾張国であると考えられているが、その辺りも不明である。いつの頃からか信長に仕え、馬廻衆の1人に加えられた。

 馬廻衆とは主君の馬の周囲で警護を担当する職で、親衛隊と言い換えてもよいだろう。良勝は剣の腕が立つ武将として、信長から評価されていたと推測される。

 以下、織田信長の一代記『信長公記』の記述により、良勝が義元の首を取った場面を記しておこう。

 織田軍の急襲を受けた義元は、塗輿に乗って逃げようとした。当初、義元の周囲は300余の兵が守っていたが、だんだん減って50余人になってしまった。その間、織田軍と今川軍は激しい戦闘を繰り広げていた。

 逃げる義元に追いついたのは、良勝と同じ馬廻衆の服部一忠だった。一忠は義元に斬りかかったが、逆に膝を斬られてしまい、無念にも取り逃がしてしまった。ただし、一忠は義元に一番槍を付けたのだから、これは大きな戦功だったといえよう。

 そこに姿をあらわしたのが良勝だ。良勝は義元を組み伏すと、見事にその首を取った。義元の首は清須(愛知県清須市)で首実検が行われ、信長は大満足だったと伝わっている。その後、義元の首は、丁重にも駿河に送り返された。

 ドラマでは、信長を演じる岡田准一さんが槍に義元の兜首を刺して馬に乗っていた。たしかに梟首することもあったが、実際は首に敬意を払い、丁重に葬ったというのが事実と考えられる。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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