ドーピング「けん責」処分のショートトラック齋藤慧選手 北京五輪にかける思いと周囲への感謝
2018年に行われた平昌五輪のドーピング検査で陽性反応を示したものの「重大な過誤、または過失がなかった」として出場資格停止期間を伴わない「けん責」処分となったショートトラックの齋藤慧選手(25)=栃木県スポーツ協会、宇都宮市在住=が、来年2月の北京五輪出場を目指している。まずは9月下旬に開催される選考会でワールドカップ(W杯)の出場権を得ることが目標である。
「重大な過誤、または過失がなかった」
齋藤選手は平昌五輪では男子5000メートルリレーの補欠として日本代表入りしていたが、開幕直前に行われたドーピング検査で利尿作用のある禁止物質に陽性反応を示し、暫定的な資格停止処分を受けた。その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)で審理され、国際スケート連盟は「重大な過誤、または過失がなかった」と判断。資格停止期間を伴わない「けん責」とされた。出場停止処分こそ受けなかったもののスポーツ仲裁裁判などのために実戦を離れざるを得ず、約1年後に復帰した。今だから話せる思いや、北京五輪出場を目指す意気込みなどを聞いた。
齋藤選手がスケートを始めたのは3歳のころ。ショートトラック競技に取り組んだのは小学2年生からである。神奈川県相模原市にあるスポーツ施設「銀河アリーナ」を練習拠点とする「相模原スピードスケートクラブ(SSC)」に姉(仁美さん)、長兄(悠さん)が所属し、自然な流れで競技に打ち込むようになった。弟(駿さん)も、このクラブの出身である。
代表入りは2014-15シーズンから
「五輪に出たい」と思ったのは中学1年の時に初めて出場したノービスのアジア大会の3000メートルリレーで銀メダルを獲得した時である。憧れの存在はソチ五輪の1500メートルで金メダリストになったチャールズ・ハメリン選手(カナダ)。高校時代は2年と3年の時に世界ジュニア選手権に出場し、3000メートルリレーで銅メダルを獲得した。初の日本代表入りは神奈川大学1年の時で、2014-15シーズンからだった。
「当時、海外を転戦して感じたのはスピードが足りないという点です。トップ選手についていくスピードが足りず、駆け引きするに至らない。これが強豪国との差だと感じました。スピードを上げるには筋力が必要ですが、ショートトラックにおいては筋力アップするだけではスピードアップの効果は薄いのです。鍛えた筋力を自身のフォームに落とし込めるかが鍵。氷をとらえるのが下手だと加速につながりません」
こういった課題と向き合いながら4シーズン連続でW杯に出場し、力を付けて平昌五輪の代表に選ばれたのが2017-18シーズンだった。姉の仁美選手も代表入りを果たし、地元を上げて「齋藤きょうだい」の活躍を期待していた。
平昌に到着した日に抜き打ち検査
2018年2月4日に日本を発って平昌に到着、競技会場に直行して練習をした後、選手村に戻った夜にドーピングの抜き打ちの検査が行われた。就寝しようとしたところ、検査官が来たそうだ。齋藤選手がその日、摂取したのはリンクサイドでの軽食などほかの選手が口にしたものと同じで、選手村では水を飲んだ程度だった。
「2月6日に練習が終わり、選手村で休んでいた時に急に呼ばれ、『陽性反応が出た』と告げられました。びっくりして声も出ませんでした。サプリなどは摂取していませんでしたし、体調不良などで薬を使ったこともありません。また、そういうケースがあれば医師などに相談すべきであると十分、配慮していました」
ドーピング検査では通常、複数の検体を採取する。後日、もう一つの検体からの結果も判明したが、また陽性反応が出てしまい、チームを離れることになった。当時の心境を次のように話す。
「チームに迷惑を掛けないため、帰国を決意しました。とはいえ、やっと五輪の出場権を獲得したのに、平昌からすぐに帰ることになるなんて信じられない気持ちでいっぱいでした。『送り出してくれた方に申し訳ない』『自分は、これから競技を続けられるのだろうか』と思うと悔しかったです」
陽性反応が出た後の対応については「真相が分からないのに推測や憶測で発言することはできない。何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう」という思いがあり、沈黙した。一方で苦しい胸の内を誰かに聞いてほしくもあった。そんな時、きょうだいの存在は救いになった。
「姉の仁美は競技に集中せねばならない時期にもかかわらず、何度もメールをくれました。そのやりとりの中で、誰にも言えない本音を聞いてくれました。とても心配し、自分を信じてくれたのです」
疑う声が全くなかったことは救い
潔白であることを示すため、CASに訴えた。CASの裁定が出るまでのおよそ1年間は、自分を信じて練習に打ち込むしかなかった。意外にも周囲に疑いの声はなく、齋藤選手は「信じてくれて、ありがたかった」と振り返る。
「周囲の人は『(禁止物質の摂取を)やっていない』と信じ、寄り添ってくれました。また親しい人は仲が良いからこそドーピングに関するかなりきわどいジョークを言ってきて、それに笑って返すこともできるようになりました。これまで通りの人間関係が続いたことで、心が折れずに済みました」
平昌五輪のシーズン後、大学を卒業して就職するはずだったがスポーツ仲裁裁判を抱えていたために内定を辞退し、神奈川大学の支援を得てコーチを務めながら練習を続行した。
「神奈川大学はドーピングの陽性反応が出た後も学長名で『(齋藤選手が禁止物質の摂取を)故意にやるような選手ではない』という趣旨の声明を出してくれました。あの時の母校の支援がなければ今、競技を続けられていなかったと思います」
国際スケート連盟は「重大な過誤、または過失がなかった」と判断し、最終的には資格停止期間を伴わない「けん責」となった。2019年3月に開催されたジャパントロフィー選手権が復帰戦となり、齋藤選手は同年4月から栃木県スポーツ協会の所属となり競技を続けている。
コンタクトレンズの洗浄液に混入か?
齋藤選手を巡る一連の報道や、その後のドーピング検査などについて専門家はどう見ていたのだろうか。日本アンチ・ドーピング機構(JADA)が認定する薬剤師「スポーツファーマシスト」の宮林紀子さん=富山県薬剤師会常任理事、富山市在住=に話を聞くと、「ドーピング違反第1号は日本人選手!」というインパクトのある見出しを思い出したそうだ。後日、「禁止物質はコンタクトレンズの洗浄液に混入か?」という報道もあったが当時、薬剤師の立場ではその説には疑問を抱かざるを得なかったという。
その後、2019年11月にレスリングの選手が、医薬品において禁止物質のコンタミネーション(混入)を巡る問題で、損害賠償を求めて製薬会社2社を東京地裁に起訴した。本来含まれない禁止物質が、海外工場での原薬製造段階で混入したことが分かり、選手の処分は取り消されたが、所属チームの練習に参加できず、精神的な被害を受けたことから提訴に踏み切った。この事案から宮林さんは衝撃を受けたと話す。
「『医薬品の製造管理及び品質管理の基準(GMP)』によって製造ラインの安全は担保されていますが、ドーピングの検査レベルが、GMPにおける製造ラインの洗浄バリデーション(医薬品製造における品質確保のために製造設備や器具を洗浄した後の残留物を測り、その量が予め設定した許容限度以下であると検証すること)の検査レベルより約1000倍も厳しいのです。例えば禁止物質配合の医薬品は明確に分かりますが、そうでない医薬品が禁止物質を配合した製品と同一製造ラインで製造されているかどうかは、まず分かりません」
クリーンである証明は「陰性」以外にない
このような難しい現実がありながらも宮林さんは、アンチ・ドーピングの講習会で必ず次のように語るという。
「アスリートは、自分が口にするものには自己責任が伴います。ドーピング違反(陽性)は本人の意思で口にしたかどうかではなく、検査により禁止物質が検出されたという結果によるのです。アスリートがクリーンであることの証明はドーピング検査(陰性)以外にありません」
アスリートは服用したものについて、医薬品・サプリメントは「お薬手帳」に製造ロットも含めて詳細に記録しておくなど、個人の努力が求められると強調する。
「リスクマネジメントでは、性悪説を考慮しなくてはなりません。これまでの性善説から性悪説への転換には、抵抗もあると思いますが、競争相手を貶めるドーピング違反事件もあります。アスリートが自分の身を守り、クリーンであるためには自分の周りのリスクを知り、その上でさまざまなスキルやサポート体制を持つことが、これからもっと重要になってくると思います」
JADAと積極的に協力する医薬品製造会社も現われている。宮林さんらスポーツファーマシストは都道府県の体育協会や競技団体と連携し、ジュニア年代のアスリートや指導者、家族を対象とした講習会などを実施している。「エビデンスに基づいた助言ができる支援者」としてスポーツファーマシストと日ごろから連携することを強く勧めている。最終的に身の潔白が証明されたとしても、「ドーピング違反」の報道だけで活動が難しくなったり、スポーツ仲裁裁判によって練習ができなくなったりすることを未然に防ぎたいという思いからである。
競技力向上を支援しスポンサー探し
齋藤選手へのインタビューは上野理絵さん(35)=富山県スケート連盟理事、富山市在住=の支援を得て行われた。上野さんは群馬県出身で、結婚を機に富山市へ移り住み、「イエロー・テイル」というチームを立ち上げて富山スケートセンターを拠点にショートトラックの普及と選手強化に励んでいる。
齋藤選手の専属コーチが上野さんの故郷の後輩であり、2020年から富山県スケート連盟の所属となった選手が齋藤選手と同郷だったことで2人の縁はつながった。齋藤選手から苦しかったころの胸の内を聞けたのは、上野さんとの信頼関係によるところが大きい。さらなる競技力向上に向けてスポンサー探しも買って出ており、友人・知人のつてを頼って支援を依頼、大阪シーリング印刷(大阪市)、設計事務所のプラスチックアーキテクツ(東京都)の2社から協力を得ている。
「(ドーピング検査の一件で)精神的にダメージを受けたことでしょう。きょうだい全員がスケート選手だからこそ支えられたと思いますが、だからこそしんどい部分もあったのではないでしょうか。私も苦しかった時期のことを本人に正面切っては、なかなか聞けませんでした」
競技の魅力を存分に伝えてくれる存在
上野さんによると齋藤選手は、積極的なレースを身上とする選手であり、試練を経ても前向きな姿勢は変わっていない。ジュニア選手を指導する立場から「ショートトラックという競技の魅力を存分に伝えてくれる存在」なのだという。「時にやんちゃな一面もあるけれど、正々堂々と戦う姿は、とにかく格好いい」と話す。
「齋藤選手についてネットで検索をすると真っ先に『平昌五輪のドーピング検査で陽性』という記事が出てきますが『これから彼に出会う人が過去の事実にとらわれてほしくない』と願い、応援しています。北京五輪に出場して結果を出し、ネガティブな情報を打ち消して人生の次のステップに進むことができると信じています」
今、真っ直ぐ北京五輪を見据える齋藤選手。望み続けた舞台で戦う姿を、上野さんら支える人たちが心待ちにしている。
齋藤選手は現在、25歳。平昌五輪を目指していた4年前とは体の動きや疲れ方が違い「思うような結果につながらず、それはそれで苦しい思いをしている」と話す。今もある種、張りつめた気持ちで競技を続けているが、スポーツ仲裁裁判によって試合に出られなかった時の切実さとは全く違う。目標を定め、それに向かって真っ直ぐ頑張ることができている。
9月のW杯派遣選手選考会へ闘志
9月下旬に選考会が行われ、W杯の派遣選手6人が選ばれる。まずはこの6人に入らねばならない。W杯の結果により日本が5000メートルリレーの出場権を獲得することができれば5人、できなければ3人が北京五輪に派遣されることになる見通しである。
練習拠点の銀河アリーナは、老朽化などから閉鎖を検討する計画も出ている。「再整備し、何とか存続してほしい」という声が多く、齋藤選手には「自分が活躍すればホームリンクの閉鎖は免れるかもしれない」という思いもある。
「平昌五輪のドーピング検査で陽性反応が出る前と後では、競技に対する思いの強さがグッと強くなりました。助けてくれるのは人のつながりがあってこそ。今は頑張る力になっています。一方で、どうにか立ち上がることができたのは自分の中に湧いてきた力のおかげでもありました」
初出場となるはずだった平昌五輪出場の道が目前で絶たれ、北京五輪を初出場の舞台に定めて練習し、チャレンジするタイミングを迎えた。「五輪に出たい」という気持ちはもちろんあるが、それ以上に「応援してくれた人や心配してくれた人に恩返ししたい」という思いが大きい。仁美選手は引退したが、駿選手が日本代表入りを目指して頑張っているので、平昌ではかなわなかった兄弟出場を狙う。
齋藤 慧(さいとう・けい) 1996年2月生まれ、神奈川県相模原市出身。25歳。光明学園相模原高卒、2018年3月に神奈川大を卒業し、同大のコーチを経て19年4月からは栃木県スポーツ協会所属。5000メートルリレーは17年ユニバーシアード冬季競技4位、17/18年W杯6位、20年四大陸選手権4位。同年距離別選手権500メートル3位、1500メートル5位。20/21年全日本選手権は総合2位、500メートル5位、1500メートル5位、3000メートルSF1位。161センチ、63キロ。
※参考文献など
・日刊スポーツ2018年2月13日「ショートトラック齋藤慧がドーピング陽性反応」
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/shorttrack/news/201802130000039.html
・健康産業流通新聞2019年11月21日「問われる『アスリートの安全性』」