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平成の最後と令和の最初を海外で騎乗した武豊。彼にとっての海外遠征とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
5月1日、フランス・サンクルー競馬場での武豊騎手

この春だけでもドバイ、香港、フランスへ遠征

 ドバイ、香港、フランスと武豊騎手と一緒に回らせていただいた。

 1週間弱の滞在となったドバイはもちろん、香港でもクイーンエリザベス2世カップが終わった晩に話を伺い、その2日後の平成最後の夜から令和にかけてはフランスで。また、令和最初の夜もパリの凱旋門近くのレストランとバーでゆっくりと話を伺うと共に、それぞれの国の競馬場でも様子を見させていただいた。

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 旧聞に属するが、ドバイではドバイゴールデンシャヒーンに挑んだマテラスカイを見事に2着に好走させた。メイダン競馬場の前が止まらないダートコースの特性を完全に読み切った手綱捌きだった。

 香港のクイーンエリザべス2世カップに臨んだディアドラは残念ながら6着に敗れた。しかし、レース4日前には最終追い切りで騎乗し、一旦、帰国した後、再びレース前日に現地入り。初コンビとなるディアドラで健闘をみせた。

香港QE2でディアドラの手綱を取った武豊
香港QE2でディアドラの手綱を取った武豊

 その後、一旦、帰国するも翌日にはまたも機上の人となり、平成最後の4月30日にフランス入り。令和初日の5月1日にはサンクルー競馬場で騎乗した。

 サンクルー競馬場では毎年、5月1日にミュゲ賞が行われる。ミュゲはスズランの事であり、フランスでは5月1日が「スズランの日」。お世話になっている人にスズランを渡すと、受け取った人には幸運が訪れるという迷信がある。だから曜日に関係なく5月1日にミュゲ賞が行われる。

 今年はこのレースにジェニアルが出走を予定していた。日本馬として昨年、唯一海外で重賞を制したのがこの馬だった。当時、松永幹夫厩舎の管理馬としてメシドール賞(G3)を優勝。この時も鞍上は武豊だった。その後、2回、現地で使った後、かの地で開業する日本人調教師の小林智の下へ転厩。このミュゲ賞に出走を予定していた。

 今年の5月1日は水曜日という事で、日本の競馬に穴を開けずに騎乗が可能となった武豊は香港帰りという忙しい身にもかかわらず現地へ飛んだ。結果的にジェニアルは出走を取り消すのだが、それでも重賞を含む他の2レースで騎乗依頼が舞い込んだ。いずれも残念ながら勝利で飾る事は出来なかったが、エキストラで1日だけ参加した海外で乗り馬が集まるだけでも日本のジョッキーとしては抜けた存在である事が分かる。

5月1日のサンクルー競馬場、ペネロペ賞(G3)ではアグネスに騎乗
5月1日のサンクルー競馬場、ペネロペ賞(G3)ではアグネスに騎乗

これまでの海外と現在の海外が持つ意味

 今回の遠征で話している中で「また海外に腰を据えて乗ってみたい」という言葉が聞かれた。2000年にはアメリカ、01、02年にはいずれもフランスに居を構え、現地の競馬に挑戦した。当時もそれぞれ応援取材で生きる伝説のジョッキーの奮闘ぶりを目にしたが、決してその環境は恵まれてはいなかった。なかなか騎乗馬の集まらない日もあれば、片道3時間もかかるような地方の競馬場へ自ら車を運転して向かう事もあった。そうまでして到着した途端、騎乗予定の馬が出走を取り消すなどという事もあった。それでも彼の口から愚痴や弱音を聞いた事はなかった。言葉の壁もない日本にいれば賞金も生活もずっと恵まれている事は明白だったが、海の向こうでも笑顔で過ごしていた。

 「お陰で日本では出来ない様々な経験が出来ますからね」

 当時、そう語っていた。現在、こうやって少しの間の滞在でも騎乗馬が集まるのは、当時、撒いた種が実となった一つの形である。

 ちなみにフランスに長期滞在した時は、現地の名調教師であるジョン・ハモンドから厩舎の主戦騎手として招かれての遠征だった。武豊がアメリカで滞在している時に、エージェントを通しファクシミリで連絡があったのだ。

 「外国の調教師から『来てくれ』と誘われる日本人ジョッキーは、他に誰がいる?」

 そう語るのは日本のトップトレーナーである藤沢和雄だ。

 J・ハモンドも近年こそ元気がないが、当時はスワーヴダンサーやモンジューで凱旋門賞を勝つなど、トップトレーナーの一人だった。

 今回の遠征中も、こんな事があった。騎乗した5月1日、少し早目に競馬場に着いたため、武豊と共にカフェで時間を潰した。一旦、席を外した私はそこでバッタリとフランスの大調教師であるアンドレ・ファーブルと出くわした。以前、何度か取材をさせていただいた経緯があるため挨拶をし「あそこにユタカが座っています」と告げると、重鎮は自ら武豊へ歩み寄り、握手を求めた。思えば01年にはファーブル調教師からの騎乗依頼でサガシティの手綱を取って凱旋門賞に挑戦。日本人の息がかかっていないこの馬で3着と健闘した。ファーブルが騎手に対し自ら歩を進めて握手をする。そんな態度をとるのを見たのは初めてだった。

フランスの重鎮・アンドレ・ファーブル調教師は自ら武豊に歩み寄ってきた
フランスの重鎮・アンドレ・ファーブル調教師は自ら武豊に歩み寄ってきた

 平成の最後を香港で騎乗し、令和の最初をフランスで乗った。そんな武豊は、海の向こうだからといって特別、何をするわけではない。肩ひじを張る事無く、日本にいる時と全く同じ素振りで通す。何度も海をわたって得た経験が、彼から国境という概念を無くしたのだろう。令和の時代でも世界を股にかけた活躍を期待したい。

サンクルー競馬場で、ミュゲ賞の象徴であるスズランの花と
サンクルー競馬場で、ミュゲ賞の象徴であるスズランの花と

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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