Yahoo!ニュース

トランスジェンダー役を、そうでない俳優が演じてはダメな理由

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
トランスジェンダーの役をあきらめたハル・ベリー(写真:REX/アフロ)

 ヒラリー・スワンクは、「ボーイズ・ドント・クライ」でキャリア初のオスカー主演女優賞を受賞した。ジャレッド・レトを助演男優賞に導いたのも、男性に生まれながら女性として生きる人物を演じた「ダラス・バイヤーズクラブ」だ。エディ・レッドメインも「リリーのすべて」でキャリア2度目の候補入りをしたし、トランスジェンダーではないものの、グレン・クローズは「アルバート氏の人生」、ダスティン・ホフマンは「トッツィー」で、自分と違う性別になる人物を演じ、ノミネートされている。

 役者が最も望むのは、自分自身とかけ離れた、前に演じていない役を演じること。だから、彼らにとって、自分と違う性別になるキャラクターは、とてつもなく美味しい。観客や賞の投票者も、外見やふるまいからして大変身した彼らを見て、「すばらしい」と感動する。

 しかし、多様化、機会の平等への意識がハリウッドでも高まる中、こういったキャスティングは、急速に過去のものになりつつある。2年前、スカーレット・ヨハンソンは、実在のトランスジェンダー男性についての「Rub and Tug」に主演を決めるも、LGBTQコミュニティから大きな批判を受け、降板することになった。そして今週は、ハル・ベリーが、次に考えている役が男性になると決める女性と語ったことから大バッシングを受けて、やはり降板を余儀なくされている。

 降板を発表するにあたり、ヨハンソンは、「トランスジェンダーのコミュニティについての理解は、今、世の中で高まってきています。このキャスティングが発表されてから、私も、このコミュニティから多くを学び、自分がこの役を演じることがいかに無神経なのか、わかるようになりました」と声明を出した。ベリーも「トランスジェンダーの男性を演じようと思っていると発言したことについて、謝罪したいと思います。シスジェンダー(出生時に診断された性別のまま生きる人)である私がこの役を演じるべきではないということを、今の私は理解しました。トランスジェンダーの人たちが、自分たちの話を語るべきなのです」と、インスタグラムでメッセージを送っている。これを受けて、LGBTQの団体GLAADは、「ハル・ベリーが、トランスジェンダーの人たちの声を聞き、学んでくれたことに、喜びを感じます。ほかのパワフルな人たちも同じことをするべきです。まずは『トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして』を見ることから始めてください」とツイートした。

「トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして」は、トランスジェンダー俳優たちの声でハリウッドの偏見を語る(Netflix)
「トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして」は、トランスジェンダー俳優たちの声でハリウッドの偏見を語る(Netflix)

 彼らのメッセージにある「トランスジェンダーとハリウッド〜」は、先月、Netflixでデビューしたドキュメンタリーだ。映画やテレビがトランスジェンダーのキャラクターをどう扱ってきたのか、またトランスジェンダーの俳優にはどんな限られたチャンスが与えられてきたのかを、トランスジェンダーの男優、女優たちの目線で振り返るもので、ハリウッドが、そして観客が、いかに偏見をもってきたのかが強烈に語られる。同時に、トランスジェンダーの俳優がたくさんいたのだという事実を見せられ、目が覚める思いもする。

 彼らは年齢もルックスもさまざまで、経験も豊か。2017年のチリ映画「ナチュラルウーマン」がトランスジェンダーの歌手ダニエラ・ベラを主演に起用した時、これは例外的なケースで、毎回このようなキャスティングは無理だろうという雰囲気が強かったが(だからこそその後にもヨハンソンやベリーのようなケースが出たのだ)、実は、探していないだけだったのだと、このドキュメンタリーは教えてくれる。トランスジェンダーが出てくる映画を作るなら、まずはそのコミュニティの中で俳優探しをする。本気でやろうとするのなら、それは十分に可能なのだ。

多くの機会がある人が、ない人から奪ってはいけない

 トランスジェンダーの役はトランスジェンダーの俳優に、という動きは、やはり最近出てきた、アニメで黒人やアジア系の声を白人の役者がやらないようにという動きと、根本で一致している。これらは、「過剰反応」でも、単なる「ポリコレ」でもない。そうでなかった今までが不自然で、間違っていたのである。

 一番大きな理由は、すでにたくさんチャンスのある人が、もともとチャンスのない人から奪うべきではないということ。ヨハンソンは、わざわざこのトランスジェンダー男性を演じなくても、ほかにいくらでもオファーがある。一方でトランスジェンダーの男優にとっては、「自分のためにあるような役」と感じられる、生涯で一度来るか来ないかの役だ。だが、競争相手がヨハンソンでは、まず、かなわない。

 それに、作品のためにも、自ら経験している人が演じるほうが良いのだ。実際にその立場でないとわからないことが反映されるし、「ここは不自然」「ここはステレオタイプ」といったチェックも、まめにできる。また、「トランスジェンダーとハリウッド〜」でも指摘されるが、シスジェンダーがトランスジェンダーを演じると、そこの部分がすべてになってしまいがちなのである。トランスジェンダーという部分はそのキャラクターの一部であり、その人はあくまでひとりの人間なのに、演じる役者も、観客も、いかに男っぽく(あるいは女っぽく)見えるかに集中してしまうのだ。アニメの声の場合も同じで、黒人と白人は声の質もしゃべり方も違うのに、あえて白人にそれを真似させる理由はない。最初から黒人の声優を雇い、その人らしくのびのびとやってもらうほうがいい。それに、白人には、そもそも声をやれるキャラクターが、ずっとたくさんある。

「ナチュラルウーマン」では、トランスジェンダーの主人公をトランスジェンダーの女優が演じた(Sony Pictures Classics)
「ナチュラルウーマン」では、トランスジェンダーの主人公をトランスジェンダーの女優が演じた(Sony Pictures Classics)

 やっと始まったこの動きを常識にもっていくためには、しかし、製作にかかわるすべての人々の理解が必要だ。とりわけ、スタジオのトップやプロデューサー、投資家に、それが求められる。「Rub and Tug」は、監督も決まり、バイヤーも付いていたのに、ヨハンソンが降板してから止まったままだ。彼らにしてみれば、ヨハンソンだからお金を出そうと思ったわけで、そうでないなら「話が違う」のだろう。マイノリティの話を映画で語っていく上で、そこはいつも一番のハードル。お金を出してくれる人がいなければ、プロジェクトは前に進まない。

 だが、今、ハリウッドは変革を強要されている。コロナでエンタメ業界の経済状況は大きく変わったし、ジョージ・フロイド氏の死をきっかけに再燃した「Black Lives Matter」運動は、別の意味でハリウッドに水を浴びせることになった。すべての面で見直しがなされるべき時で、この件についても、変化が起きるのなら今だという気配はある。これが、ただの気配で終わるのか、それとも実際に結果を出すのか。それは、数年後、自分の目でスクリーンを見た時に確認できる。そこで見る顔ぶれが、昨年までとまるで同じでないよう、強く期待するばかりだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事