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志村けんさんの父親も被害【交通事故】見えない後遺障害の苦しみ

柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト
一瞬の交通事故。脳や神経への見えないダメージが重篤な後遺障害を引き起こすことも(ペイレスイメージズ/アフロ)

交通事故から3年後に重い脳障害

 5月28日の夜、NHKで放送された志村けんさんの『ファミリーヒストリー』を見ました。

 その中で、志村さんのお父さまが、1962年、42歳のときに交通事故に遭い、3年後、脳出血の固まりが原因で記憶喪失など重度の脳障害を発症された、ということを知りました。

 事故の状況は、お父さまがバイクで通勤途中、後ろから別のバイクに追突されるというもので、おそらく被害者の立場だったのでしょう。

 苦労して教職に就き、教頭まで務めていた働き盛りの大黒柱が、突然、重い障害を負って仕事を失い、家族のことすら認識できなくなるという過酷な現実……。

 事故から10年後、お父さまは53歳の若さでお亡くなりになったそうですが、志村さんがドリフターズに入ったことも認識できなかったそうです。

 ご家族はきっと大変なご苦労をされたことでしょう。

 私はこの放送を見ながら、これまでに取材させていただいた交通事故被害者とそのご家族のことを改めて思い返していました。

 交通事故などで強い衝撃を受けた場合、ある程度時間が経ってから、重い障害が現れるというケースがあります。

 また、事故直後の誤診や見逃しで、大変な思いをされている事故当事者は少なくないのです。

日本自動車研究所で行われたバイク事故の検証(筆者撮影)
日本自動車研究所で行われたバイク事故の検証(筆者撮影)

救急病院での見逃しも

 実際にこんなケースがありました。

 自転車に乗っていて車と衝突した30代男性・Aさんは、事故の衝撃で地面にたたきつけられたものの、流血するような外傷はありませんでした。搬送先の病院では「打撲」と判断され、入院はせずに自宅に帰りました。

 ところが翌日、意識不明になって倒れ、再び救急搬送されたのです。前日の事故の衝撃で頭部を強打しており、脳の中で出血が起こっていたとのことで、現在も高次脳機能障害という後遺症と闘っておられます。

 また、つい先日、私の友人Bさんのご主人がご自身で車を運転中、対向車に正面衝突されるという事故に遭われました。

 車は大破しましたが、奇跡的に命に別状はなく、救急搬送された病院でも「特に異常なし」とのことでそのまま自宅に帰されたそうです。

 ところが、あまりに痛みがあるので別の病院を受診したところ、なんと、肋骨と胸骨が折れていたことがわかったのです。脳に異常がなかったのが不幸中の幸いでしたが、本当に怖いことです。

「軽症」が、半年後に下半身麻痺……

 上記のケースのように、事故から数日以内に受傷部位が発見できればまだよいのですが、ある程度の時間が経過してしまうと、「事故との因果関係がはっきりしない」ということで、自賠責保険や任意保険の支払いを拒否されることもあるので注意が必要です。

 過去に取材した事件からひとつのケースをご紹介したいと思います。

筆者が取材して執筆したCさんのケース(『週刊朝日』1997.10.27号)
筆者が取材して執筆したCさんのケース(『週刊朝日』1997.10.27号)

 被害者のCさんは46歳の女性でした(写真の記事中では実名)。彼女は、知人の車の助手席に乗っているとき、対向車線をオーバーしてきた車に正面衝突されたのです。

 すぐに病院へ運ばれましたが、身体の表面には目立ったけがや骨折はなく「外傷性頸部症候群、左足捻挫」との診断。入院の必要はないと判断され、自宅に帰されました。

 ところが、その後、Cさんの全身状態は悪化の一途をたどっていったのです。

 Cさんを介護し続けた高齢のお母さまは、私にこう訴えられました。

「事故直後、娘は担当の医師から『調子が悪いのは気のせいだから、どんどん動きなさい』と言われていました。それで、プールに行ったり、車を運転したり、普段以上に動くよう努力をしていたのです。でも、本人はなぜこんなに調子が悪いのかわからず、本当に辛そうでした」

 下の子がまだ保育園のときに離婚し、5人の子どもを女手一つで育てていたCさんは、朝から夜まで二つの仕事を掛け持ちしながら事故後も懸命に働いていたのです。

 事故から半年後、全身状態が悪化していたCさんは、中心性脊髄損傷と診断され頸椎固定の手術を受けました。しかし、障害は改善されず、間もなく車いすの生活に。事故から1年9カ月後には、3級の身体障害者として認定されます。

 さらに四肢不全麻痺の症状は進み、腸の麻痺も起こってきたため、最終的には人工肛門が必要となり、ついに寝たきりのままの要介護生活を強いられました。

 そして事故から7年後、Cさんは育ち盛りの子供たちを残し、53歳で亡くなったのです。

損保会社は「事故との因果関係」を否定

 Cさんの遺族は、交通事故を境に全身状態が悪化していったことが明らかだったため、自賠責保険や任意保険に保険金の請求を行いました。

 しかし、損保会社から返ってきたのは、「交通事故との因果関係はない」「全身状態の悪化は精神的なもの」という回答でした。

 事故後の初期症状や生活状況、稼働状況を尾行し、カメラに収めており、それらを証拠に、「日常の暮らしは十分にできていた、現在の症状は事故が原因とは考えられない」と主張してきたのです。

 Cさんは医師の指示に従い、辛い中、リハビリのつもりで懸命に身体を動かしてきたのに、損保会社はそうした状況を逆手にとってきたのです。

 Cさんが亡くなる直前に主治医を務めた外科医は、私の取材に対してこうコメントされていました。

「損保会社が作成してきた根拠のない一方的な文書には驚きました。最初に診た医師が外傷性頸部症候群と診断したのは仕方ありませんが、症状が進行した状態での診断は頚髄損傷です。頚髄損傷は顕著な初期症状が出ず、時間が経つにつれどんどん麻痺が進み、膀胱や直腸まで動かなくなることもあるのですが」

 しかし結局、裁判でも、交通事故と体の麻痺や死亡との因果関係を立証することはできませんでした。

日本自動車研究所で行われたバイク事故の検証(筆者撮影)
日本自動車研究所で行われたバイク事故の検証(筆者撮影)

事故で大きな衝撃を受けたら十分注意を

 交通事故で頭や首に大きな衝撃を受けた場合は、脳や神経系統に損傷を受けていることがあります。しかし、医療機関は骨折や出血がなければ、意外に簡単に処置することがあります。被害者本人も、外からは見えないので油断しがちですし、忙しい人ほど早く日常に戻ろうとするため無理をしがちです。

 万一、事故に遭って病院に運ばれたとき、車の損傷状態や衝突された角度、飛ばされた距離などの聞き取りを詳しく行わない医師や医療機関には疑問を持ってください。

 納得できない場合は別の病院を受診するなど、慎重な対応が必要です。

 被害者本人と家族のその後の人生のためにも、事故直後にしっかりと検査を受け、万一に備えていただきたいと思います。

ノンフィクション作家・ジャーナリスト

交通事故、冤罪、死因究明制度等をテーマに執筆。著書に「真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち」「開成をつくった男、佐野鼎」「コレラを防いだ男 関寛斉」「私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群」「コレラを防いだ男 関寛斎」「自動車保険の落とし穴」「柴犬マイちゃんへの手紙」「泥だらけのカルテ」「焼かれる前に語れ」「家族のもとへ、あなたを帰す」「交通事故被害者は二度泣かされる」「遺品 あなたを失った代わりに」「死因究明」「裁判官を信じるな」など多数。「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」はNHKで、「示談交渉人裏ファイル」はTBSでドラマ化。書道師範。趣味が高じて自宅に古民家を移築。

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