米国の日本隷属化のプロセスが米中戦争を激しくする?
フーテン老人世直し録(455)
葉月某日
米中貿易戦争が抜き差しならない状態になってきた。G20大阪サミットで米中両首脳は一時休戦を演出したが、その後トランプ大統領が中国に不満を表明、8月1日、中国からの輸入品3000億ドル分に10%の追加関税を上乗せする第4弾の制裁措置を発表した。
これに対し中国はすぐさま米国からの農産物輸入を一時停止、さらに人民元安を容認して米国の関税から中国の輸出業者を守る措置に出た。すると米国の方も、財務省が5日に中国を「為替操作国」に認定して反撃する。米中の報復合戦はエスカレートするばかりである。
この報復合戦に嫌気がさして世界の株式市場は先週末から下落に転じ、世界同時株安の様相を呈している。日経平均も先週末から3日連続で落ち込み、6日には2万円台を割り込む一歩手前まで行った。為替も円高水準で推移しているため景気の先行きは不透明である。
しかも米中の対立は単なる貿易戦争というより、経済力、軍事力、技術力の覇権をめぐり、どちらが世界を制するかを決する戦いになっている。中国は持久戦を覚悟しているので簡単に終わらない。短期的にはトランプの再選問題と絡めて判断する必要があるが、中長期的には戦後世界の構造変化の中で考える必要がある。
そしてフーテンには戦後日本が経済的に米国を凌駕しようとして逆襲され、米国の言うままに隷属化させられたプロセスが、米国と中国の双方に影響を与えていると思う。米国にとって日本隷属化は誇らしい成功体験であり、中国にとっては反面教師でしかない。それが米中対立を一層激しくしているのである。
そもそも日米中の三角関係をみてくると、第二次大戦中の米中は仲間で日本は敵であった。日本が中国を侵略しなければ日米戦争はなかったと思う。フランクリン・ルーズベルトの母親は貿易商人の娘で中国で育った。子供の頃から中国の話を聞かされたルーズベルトは中国を侵略した日本を嫌悪する。
マッカーサーも戦後のアジアの中心を中国と考え、日本は非武装化して無力化する対象でしかなかった。ところが冷戦が始まり、米ソが対立する中で中国に共産党政権が誕生し、米国は日本を「反共の防波堤」としてドイツと共に重視するようになった。
しかしソ連の力が強くなり、米国がベトナム戦争で泥沼に陥ると、ソ連に対抗する一点で米国は共産中国と手を組む。日本を敵視する中国に、米国は日米安保は日本の力を抑えるための「ビンの蓋」だと説明し、日本より中国を重視する姿勢を見せた。
戦後の日本はケインズ経済学のいう「大きな政府」で格差の少ない経済大国を目指した。しかも政権交代をせずに政治と官僚と財界が一体となって市場経済を進める日本独特の資本主義は、1985年に日本を「世界一の金貸し国」に導く。
ケインズ経済学を否定し「小さな政府」を信奉する米国は、これに脅威を感じて日本を敵視し、一方の中国は日本の真似をして政権交代のない市場経済モデル、つまり改革開放路線を取り入れる。それが国家資本主義と呼ばれる体制である。
ソ連が崩壊すると、米国の最大の敵は日本になる。米国は「政官財」の癒着を攻撃し、政権交代なき政治を批判し、日本経済の解体作業に取り掛かる。しかし日本の製造業の勢いは止まらず、米国は製造業を諦め情報産業にシフトした。
その時に米国は日本の半導体産業を抑える必要があった。1985年のプラザ合意で円高誘導を行った翌年、日米半導体協定が結ばれて、日本は半導体産業分野を米国に譲った。この体験が米国のファーウェイ攻撃に見て取れる。一方の中国は日本の失敗を見ているから一歩も引かない。中国は国産化と独自開発の道を模索する。
クリントン政権の時代が最も激しく日米が経済で衝突した。その時にクリントンは中国と「戦略的パートナーシップ」を結んで日本に対抗し、一方で年次改革要望書によって日本に米国流の価値観を植え付けながら、「日本パッシング(無視)」の姿勢を取った。
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