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感動の学校行事「2分の1成人式」 個別の家庭事情が教育に利用されつづけている

内田良名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授
(写真:イメージマート)

小学4年生の子をもつ家庭では、昨年末あたりに学校から、「お子様の幼少期の写真をもってきてほしい」「名前の由来を教えてほしい」といった宿題が課されたところも多いのではないだろうか。10歳の節目を祝う学校行事「2分の1成人式」に使うためである。個別の家庭事情に踏み込みすぎなど、一時期多くの批判が寄せられたが、現在も以前と同様の実践例や実践モデルが生み出されている。

■2分の1成人式とは?

「2分の1成人式」とは、10歳の節目を祝う小学校4年生の学校行事である。時期は1月から2月にかけて、保護者を招く盛大なイベントとして開催されることが多い。式では、2分の1成人証書の授与、合唱、呼びかけ、写真や作文の披露、手紙のプレゼント、記念撮影などがおこなわれる。感動をよぶ行事として、2000年代頃に各地に広がっていったと考えられる。

近年の全国的な実施状況としては、2018年の明光義塾による「子どもの学校行事に関する意識調査」が、一つの手がかりとなる。

同調査によると、小学校5・6年生の子をもつ保護者男女300名のうち、自分が式に参加した者の割合は42.7%(128名)で、そのうち満足したと回答したのは77.3%(99名)にのぼる。保護者の約4割が式を経験し、その満足度はとても高いと言える。

「2分の」成人式」における保護者の参加割合 ※明光義塾「子どもの学校行事に関する意識調査」の報告書より引用。
「2分の」成人式」における保護者の参加割合 ※明光義塾「子どもの学校行事に関する意識調査」の報告書より引用。

■家族の過去を掘り起こす、親への感謝を求める

「2分の1成人式」の問題点は、すでに2015年の2本の拙稿(下記)で指摘したとおり、大きく2つの問題がある。

 1) 「考え直してほしい『2分の1成人式』、『名前の由来』」

 2) 「『昔の写真』必要か?」

第一の問題は、家族の過去を引き出してくる点である。具体的には上述した「写真や作文の披露」に際して、家族の過去が活用される。0歳・3歳・6歳のときの写真を用意し、それぞれにおもしろエピソードを付すことを求められたとの報告もある(叶井俊太郎氏のコラム、2020年3月2日)。

離婚・再婚をはじめ個々の家庭にはさまざまな過去がある。過去の写真やエピソードが用意できなかったり、過去を思い出すことの心的な負荷が大きかったりする。それをわざわざ掘り起こし、行事の場に引き出してくる必要性はあるのだろうか。

第二の問題は、親への感謝を強要する点である。具体的には上述した「手紙のプレゼント」でおこなわれる。手紙は、親から子に渡されることもあれば、子から親に渡されることもある。後者において、親への感謝の言葉がつづられる。

虐待を受けてきたり、あるいはそこまでではないにしても親のことが好きになれなかったりと、感謝の物語では片付けられない親子関係がある。子供側の苦悩にフタをしてまで、感動を演出する必要はあるのだろうか。

写真:アフロ

■見えない、わからない

「2分の1成人式」や「生い立ちの授業」(小学校の「生活科」でおこなわれる授業)について、里親の体験談を聴き取った大塚玲子氏はその共通項として、「『つかなくてもいい嘘をつかざるを得ない痛み』や『子どもが思い出さなくてもいいことを思い出さざるを得ない痛み』」があるという(大塚玲子氏の記事、2017年7月25日)。

里親に限らず、私はとくに前者の「嘘をつかざるを得ない」ことに、重大な問題意識をもっている。家族の愛情物語が当の場で共有されるとき、そこから逸れる保護者や子供は、話をねつ造する。親の立場では、たとえば再婚で子の名前の由来がわからなくとも、適当に創作する。子の立場では、たとえば昔あったわずかばかりの楽しい記憶をふくらませて、感謝の言葉をつくりだす。その演出は、当事者以外のだれにもわからない。

小学校教諭の「めがね旦那」氏(@megane654321)は、「2分の1成人式」に関連して、「我々は子どもたちの家庭環境について、実はほとんど知りません。そして知るすべもほとんどありません。『虐待』まではいかなくても『保護者への感謝の気持ち』をもてない子どもならどうでしょうか」(めがね旦那『その指導は、しない』東洋館出版社、2021年)と問いかける。

虐待の事案はすでに発覚していれば前の学年から引き継がれるが、そうではない限り、すぐにはわからない。ましてや、微妙な親子関係ともなると、もはや知りうる方法がない。

■2015年頃から「家庭環境に配慮」とされたはずが…

先に述べたとおり、私は2015年に2本の記事で「2分の1成人式」を批判的に論じた。2023年に入ったいま、改めて「2分の1成人式」を取り上げるのには理由がある。

じつは今日、影響力の大きい教育系メディアで、個々の家庭に踏み込むような「2分の1成人式」を推奨するケースは数少ない。かつては、感謝の手紙などを推奨していたとしても、その問題点が指摘されるや迅速に対応して「家庭環境に配慮した」式を提案するようになっている。

その具体的な内容は次項で紹介するとして、私はそうした教育系メディアの転換をもって、学校の考え方も大きく変わりうると勝手に期待していた。ところがいざ調べを進めてみると、まるで何事もなかったかのように、従来どおり個別の家庭背景を式に取り入れているケースが多く目に入ってきた。学校のブログなどに、堂々とその様子が紹介されている。また、実践の一つのモデルとして、式の具体的な実施方法などが広く情報提供されていることもある。それらの現状に対する危機感から、私はいま筆をとっている。

写真:イメージマート

■未来志向の新たな「2分の1成人式」

小学館の月刊誌『小四 教育技術』の2016年1月号では、「多様化する家庭環境に配慮した『2分の1成人式』演出アイディアと成功のコツ」と題する特集が組まれ、その一例として、未来志向を意識した内容が紹介されている(横田経一郞「『過去志向』ではなく『未来志向』の『2分の1成人式』をつくろう」)。具体的にはA3サイズの丈夫な紙に、自分自身のキャッチフレーズ、自分のロールモデルとなるようなあこがれの人、自分が将来手に入れたいものなどを書き込むという。

2分の1成人証書の授与や合唱などは従来のままとして、個別の家庭に踏み込む内容を、子供一人ひとりを主役にした未来志向の内容に置き換えれば、式として十分に成り立つはずである。

家族の過去への介入について、同論考はこう訴えている――「安易に家族の過去を掘り返す行為には慎重になるべきです。子どもたちの過去を、わたしたち教師は全て把握できません。善意に潜む悪意ほど、残酷なものはありません」。

■家庭背景を問わないはずの学校教育で

学校教育とは、子供の家庭背景の影響が最小限になるよう設計されている。

江戸時代は、身分(武士/庶民)によって、受ける教育が異なっていた。その身分制度を廃して、明治時代に今日につながる学校教育制度がつくられた。親が裕福だろうが貧しかろうが、都市に生活していようが地方に生活していようが、子供には生まれ(家庭背景)に関係なく平等に学べる機会が保障されなければならない。

子供自身は、家庭背景を選べない。「2分の1成人式」は、学校教育制度が回避しようとしたはずの家庭背景を、再び教育活動のなかに取り込みかねない。だからこそ、式の中身は、慎重に検討されるべきである。

成人年齢が18歳に引き下げられたことで、今後は9歳(3年生)で実施されるのか、「10歳の集い」のように名称が変更されて4年生で実施されるのかは不透明ではある。だが、4年生の行事として定着してきたことをふまえると、後者の方向でつづいていくと考えられる。

式の中身を再考すれば、「2分の1成人式」は子供に前向きな活力を与えうる行事となるはずだ。家庭の過去10年を振り返るのではない。子供のこれから先10年を、見つめていこう。

名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

学校リスク(校則、スポーツ傷害、組み体操事故、体罰、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net

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