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どうなる!?『キングオブコント2016』

ラリー遠田作家・お笑い評論家

コント日本一を決める大会『キングオブコント2016』の準決勝が2016年9月8・9日に東京・赤坂BLITZにて行われた。2日にわたる予選で67組の芸人が出場。そして、9日に決勝進出者の発表が行われ、10組が決勝に駒を進めた。決勝に進んだ10組は、かまいたち、かもめんたる、ジグザグジギー、しずる、ジャングルポケット、だーりんず、タイムマシーン3号、ななまがり、ライス、ラブレターズ。決勝の模様は10月2日にTBS系全国ネットで放送される。

準決勝で67本のコントを見ながら、コントで勝ち負けを決めるとはどういうことだろうか、とふと考えた。もともと笑いの世界で優劣を決めるのは簡単なことではないのだが、コントというジャンルでは特にそれを実感させられることが多い。昨年の『キングオブコント』では、決勝に進んだ芸人の多くが、決勝の舞台で力を出し切れず、低い評価を受けてしまっていた。準決勝では会場を沸かせて大きな笑いを取り、満を持して決勝に進んだはずの芸人たちが、決勝ではなぜか持ち味を出せなかった。

『M-1グランプリ』『R-1ぐらんぷり』など、他の大会でも、予選会場と決勝会場では会場の雰囲気が全く違う。そして、審査の方法や地上波で放送されるかどうかにも違いがあるため、同じ芸人が同じネタをやっても同じような結果が出るわけではない。予選と決勝の空気のズレは、どの大会でも多かれ少なかれ見受けられることだ。

ただ、ここにはもうひとつ、審査システムの問題というのも潜んでいる。お笑いの大会では、勝敗を決めるためのシステムがその大会の空気を決めてしまうというところがある。そのため、新しいシステムを導入した1回目の大会では、荒れた結果になることが多い。2001年に行われた『M-1グランプリ』の第1回大会では、芸人審査員の評価に加えて、大阪・札幌・福岡の3会場で一般客が審査を行うシステムが導入されていたのだが、その点数がかなり偏って不自然に見えてしまうということがあった。第2回以降の『M-1グランプリ』では一般審査は二度と実施されることはなかった。

『キングオブコント』でも、2008年の第一回大会では決勝で最終決戦まで残った2組が「どちらが勝ったと思うか自分たち自身で決める(それでも決まらない場合は決勝で敗退した6組による評価で決める)」という独特の審査システムが導入されていた。これも第2回以降は行われていない。その後、第2回から第7回までは、準決勝で敗退した芸人たちが決勝の審査員を務めるという方式が取り入れられていた。いわば、『キングオブコント』とは、大会に挑んで敗れていった芸人たちが自分たちの手で自分たちのチャンピオンを決めるという「芸人民主主義」の大会として定着していた。

だが、昨年の第8回大会でこのシステムがまた変わった。敗退した芸人たちによる審査が廃止され、松本人志、さまぁ~ず、バナナマンという5人の芸人が審査員を務めることになったのだ。これが決勝の雰囲気を一変させたのではないだろうか。ライブの現場にいる芸人たちが自分たちの手で自分たちの代表を選ぶのではなく、テレビで活躍するレジェンド芸人たちが勝ち負けを決める。そこでは、テレビという大衆向けのメジャーな場に通用する作品かどうか、ということが現役選手の目でシビアに問われることになる。

ただ、このあたりの事情は、出場する芸人も予選の審査員も決勝で審査をする芸人も番組スタッフもみんなとっくに分かっていることだろう。それぞれが対策を講じることで、その分だけ昨年よりは温かい空気になるはず。今年の決勝でも松本人志、さまぁ~ず、バナナマンという5人の芸人審査員が審査をすることがすでに発表されている。今年、決勝に進む10組のうち、昨年も決勝に進んでいるのは1組のみ。ファイナリストの顔ぶれが入れ替わり、結果はますます予想がつかない。熱い戦いに期待したい。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行う。主な著書に『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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