【京都市】江戸中期の尊王論者『藤井大和守直明(右門)』宅跡
江戸中期の尊王論者であった『藤井大和守直明(右門)』をご存知でしょうか?
右門は播磨赤穂藩の家臣の子で、享保5年(1720)富山県小杉町で生れました。京都に出てから、皇学所教授となって公家に尊王論を説いた人です。
明和3年(1766)に右門は東京で処刑されてしまいますが(明和事件)、彼の思想は、多くの志士の心をとらえ、「明治維新の思想の主流」になったと言われています。
烏丸通りを歩いていると、藤井右門宅跡という碑が見えてきます。かなり大きな石碑にびっしりと文字が刻まれています。
ここは、むかえにある現同志社大学の地に薩摩藩屋敷があった関係から、志士たちの会議連絡場所としても活用されたとされ、明治維新の史蹟が数多く残されているそうです。
明治維新の100年前から、藤井右門らの動きがこの地域から始まっていたと思うと感慨深いですね。
藤井右門宅跡
京都市上京区烏丸通上立売上ル柳ノ図子町