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高橋慶彦の連続試合安打記録は、40年以上破られていない(その2)

楊順行スポーツライター
ロッテ・コーチ時代の高橋慶彦(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 1979年7月13日、甲子園。阪神の先発は、江川卓とのトレードで巨人から移ったこの年に22勝をあげ、オトコを上げる小林繁である。左打席なら、ボールが見やすいはずのサイドハンドだが、高橋慶彦(広島)は苦手にしていた。内角のボールを引っかけることが多いのだ。さらに、連続試合安打が24まで延びていたから、ひたひたとプレッシャーが忍び寄っている。意識しないつもりでも、新聞やニュースが騒ぎ立てるから、ヒットが打てずにもがき、セーフティバントを試みる夢を見たりもした。そしてその夢のごとく、小林から一塁ゴロ、左飛、四球、一塁ゴロ……ともがいて、4打席ヒットが出ない。ここまで、か。試合も劣勢だ。だが……。

「ベンチが”ヨシヒコまで回そうや!“というムードになってね。当時の広島というのは、僕からしたら10歳も上のベテランぞろいです。山本浩二さん、水谷(実雄)さん、衣笠(祥雄)さん、水沼(四郎)さん……みんなごつくて広島弁で、しかもパンチパーマですから(笑)、入団当初はホントに怖かったですよ。そういう先輩たちが、実際に僕まで回してくれ、打席に入れば1球ごとに応援してくれる。うれしかったですね」

 そうやって回ってきた9回の第5打席である。スライダーをとらえた執念の打球が、しぶとくセンター前に抜けていく。25試合連続安打……。記録はさらに延びる。26、27、28、29試合。7月21日からのオールスター戦をはさみ、27日にはセ・リーグ記録・張本勲(巨人・76年)の30に並び、28日には31とし、29日には長池徳二(阪急・71年)の日本記録に並ぶ32試合連続安打だ。この試合、初回に早くも二塁打を配給した大洋(現横浜DeNA)・野村収は、こう評している。赤ヘルは、高橋に引っぱられて調子づき、手がつけられん……。そう。高橋の連続試合安打がスタートした6月上旬には、勝率5割に届かずに4位だった広島は、気がつけば2位に浮上していた。

バントヒットは狙わない

 1日はさんだ31日の巨人戦、広島球場。左腕・新浦壽夫の先発を予想した高橋は試合前、いつもと違い、8割方右打席で打撃練習をこなした。新浦は苦手だ。ストライクの高さから出てきたらボール、とわかっていても、大きなカーブをつい、振ってしまう。もうひとつ、気がかりがあった。この年の高橋は、右ヒザの痛みに悩まされていた。相手のスライディングに削られ、ひねり、じん帯がいかれている。週に1回たまった血と水を抜き、痛み止めを打たないとやっていられないほどだ。ただ対戦相手に知られると楽にしてしまうから、何食わぬ顔で試合に出続けるしかない。

 それでも、記録達成はあっけなかった。初回、ワンボールからの外角シュートを右打席からはじき返した打球が、レフト前に糸を引く。33試合連続安打。右打席では、33試合で5本目となるヒットだった。2万9000人、超満員のスタンドから大歓声が降りそそぎ、一塁ベースでは雲の上の人だった王貞治が声をかける。「おめでとう。すごい記録だね」。実は……この試合の高橋は、2回表の守備で、すべり込んできた山本功児に左足をスパイクされ、3回から退場している。記録達成はあっさりに見えるが、終わってみればぎりぎりの綱渡りだったわけだ。相手は苦手な新浦、右ヒザの痛み、そして退場……もし吉兆があったとするならこの日、母校の城西高が東東京大会を制し、甲子園出場を決めたことぐらいか。

 記録がスタートした6月6日から数えて55日、その間139打数57安打、21盗塁で32得点。なかなかヒットが出ずにじりじりした試合でも高橋は、夢でこそ見たにしても、実際にセーフティバントを考えたことは一度もなかったという。頭をかすめた時点で逃げるような気がしたからだ。いつも攻撃的な姿勢で戦い、それでアウトならしようがない。現に、連続試合安打中バントヒットは皆無である。

 そして……記録を達成したあとの高橋は、ケガのおさまった8月8日に復帰。江本孟紀(阪神)の2安打ピッチングに沈黙し、記録は33でピリオドを打つことになる。7日間のオールスター休みがなかったら、あるいは山本功児のスライディングでヒザを痛めなければ、記録はさらに延びたのかもしれないが、まあ、いいだろう。なにしろ、入団当初は「1年でクビか……」と思った若者が、5年目にして日本プロ野球史上に名を連ねたのだから。いま、高橋は振り返る。

「ふつう、2カ月近くも好調が続くことはないでしょうが、それが若さ、勢い……ということでしょうね。余計なことを考える余裕がなく、1試合1試合がいっぱいいっぱい。逆に、それがよかったんじゃないですか。なまじ実績や、経験がある選手だったら、いろんなことを考えて押しつぶされていたかもしれません」

 その、高橋の記録から40年以上。新記録どころか、30に達したのも31試合の秋山翔吾(現レッズ・当時西武、2015年)、30試合のマートン(阪神、11年)のみ。高橋がいう。

「記録は破られるためにある、とはいいますが、保持している側からしたら、抜いてほしくないというのがホンネですよ」。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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