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硫酸事件、後輩の男性が狙いか 巻き添えとなった女性の被害に対する罪名は?

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:アフロ)

 東京・白金高輪駅の硫酸事件で指名手配されていた男が逮捕された。後輩の男性を狙ったとされる傷害罪の容疑だ。では、その後ろにいて巻き添えとなり、右ひざにやけどを負った女性の被害に対する罪名はどうなるか。

故意の有無がポイント

 これは、故意と過失の分かれ目が問題となるケースだ。「男性の後ろに女性がいたことは分かっていた。男性に硫酸をかけることで、女性にも付着するかもしれなかったが、それでも構わないと思って実行した」といった、女性に対する「未必の故意」が認められれば、傷害罪が成立する。

 しかし、その点の自白がなく、そのほかの証拠でも立証できなければ、次のような主張が考えられる。

「憎き男性だけに危害を加えようと思い、男性だけを狙って硫酸をかけたら、たまたま後ろにいた無関係の女性にも少し硫酸が付着してしまった。女性に危害を加えることまでは全く考えていなかった」

「危害を加えようと考えた『人』の数は1人であり、2人ではないから、2つの傷害罪が成立するのはおかしい。したがって、男性に対する傷害罪と、女性に対する過失傷害罪が成立する」

 最高刑は傷害罪が懲役15年、過失傷害罪が罰金30万円だから、雲泥の差だ。

 もっとも、刑法は傷害罪について「人の身体を傷害した者は…」と規定している。「人」を負傷させてはならないのに、「やっぱりやめよう」とは思わず、そのまま実行に移した。

 そうすると、「人」に危害を加えようと考えていたことに変わりはなく、AとかBといった「人」の食い違いやその人数は犯罪の成否というレベルでは関係ない。この理屈を突き詰め、それぞれに対する2つの傷害罪が成立するというのが裁判所の立場だ。

 ただ、女性の場合、硫酸が直接かかったのではなく、転倒したことで床の硫酸に触れたという偶発性がある。この事実を重視すると、女性に対する暴行があったとは言いがたいということで、過失傷害罪にとどまることになる。

 たとえ女性に対する傷害罪が成立するとしても、硫酸をかけるという1つの行為が2つの罪名に触れる場合なので、刑法の規定により、最も重い刑、すなわち両目の角膜損傷など全治6ヶ月の重傷を負った男性に対する傷害罪の刑で処罰される。

殺人未遂罪の成否は?

 では、傷害罪ではなく、殺人未遂罪は成立しないだろうか。遺体を樽入りの硫酸に浸けて溶解させた事件もあり、その量によっては硫酸も殺害の手段となり得るからだ。

 しかし、事件に使われた硫酸は必ずしも多くない。男性の顔面に一生消えない傷をつけるのが狙いだとすると、未必的な限度でも殺意は認められない。

 1957年に19歳の少女が公演中の美空ひばりに瓶入りの塩酸を投げつけ、顔などにやけどを負わせた事件があったが、これも傷害罪で処理されている。同い年なのに国民的スター歌手になった美空ひばりへの嫉妬心があったという。(了)

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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