瑛人「香水」はなぜ異例のヒットとなったのか? その成功が持つインパクトとは
無名の男性シンガーソングライター、瑛人による楽曲「香水」がヒットチャートを席巻している。
CDは発売されずデジタル配信のみで昨年4月にリリースされたこの曲は、今年4月からApple MusicやSpotify、LINE MUSICなどの各種音楽ストリーミングサービスで再生回数を伸ばしチャートを急上昇。5月25日付のBillboard JAPAN 総合ソング・チャート“JAPAN HOT 100”では、Official髭男dismなどの人気アーティストをおさえて1位となった。
6月29日付けの“JAPAN HOT 100”最新チャートでも同曲は4位にランクイン。8週連続でTOP5以内となり、YouTubeに投稿されたミュージックビデオの再生回数は4千万回を突破(6月25日現在)。さらなるロングヒットの兆しを見せている。
瑛人とは何者か? そして彼の成功は音楽シーンにどんなインパクトを与えているのか?
■インディペンデント(独立系)アーティスト初の国内チャート1位
瑛人は神奈川県横浜市出身の22歳。ハンバーガー屋でアルバイトをしながら音楽活動をしているというアーティストだ。彼の来歴については以下の記事に詳しい。
幼い頃からカラオケで歌うことが好きで、高校ではダンス部に所属、卒業後に音楽学校に通いながらシンガーを目指したという彼。音楽のルーツは兄の影響で聴いた清水翔太の「HOME」で、その後もJ-POPや日本語のラップミュージックを愛好してきたという。
(清水翔太「HOME」)
アコースティックギターに乗せて優しげな歌声を響かせる「香水」は、彼にとっての初リリースとなる3曲入りのEP『香水』に収録された一曲。ギターは友人でもあるシンガーソングライター/ギタリストの小野寺淳之介が担当している。横浜駅近くのライブバー&レストラン「横浜GRASSROOTS」にてたびたび行っていたライブでも披露されていた曲だ。
このEP『香水』がリリースされたのは2019年4月。今年1月には2曲入りのシングル『HIPHOPは歌えない』も配信されている。
『香水』 各配信ストア :https://linkco.re/13fY5myN
『HIPHOPは歌えない』 各配信ストア :https://linkco.re/XTyNQApm
特筆すべきは、瑛人が(少なくとも現時点では)レコード会社にも芸能事務所にも所属していないアーティストだということだろう。彼自身がラジオなどのメディアでそのことを公言している。
彼が用いたのが、デジタル・ディストリビューション・サービスの「TuneCore Japan」。誰でも一定の手数料を払えば各種音楽ストアでのダウンロード販売やApple MusicやSpotifyなどのストリーミングサービスに楽曲を配信することが可能になり、そこから得られる収益(ストリーミングの場合、プラットフォームによって異なるがだいたい1再生あたり0.5〜1円弱と言われている)を100%アーティスト側に還元するサービスだ。
つまり、瑛人はメジャーデビューもしておらず、この曲は既存のインディーズレーベルからのリリースでもない。完全なるインディペンデント(独立系)のアーティストが国内チャートで1位となるのは初のことだ。かなり異例のヒットと言っていい。
■アーティストの知名度によらずバズが広まるTikTok特有の仕組み
ブレイクに至る道程もかなり異例だ。この曲が昨年4月にリリースされてから約1年間、この「香水」という曲に注目が集まることは全くなかった。しかし今年4月に入ってからいきなりストリーミングでのチャートを駆け上がっている。グーグルトレンドの検索数の増加も同様の推移を示している。
瑛人はこの“現象”に一切の仕掛けや戦略がないことを公言している。どころか上記のインタビューなどでは純粋に驚き、不思議がっているさまもうかがえる。
タイアップやマスメディアへの露出も一切なく、昨年にリリースされてからプロモーションもほぼ皆無だったこの曲が、なぜ今年4月に入ってから突如ヒットしたのか?
ブレイクのきっかけになったのはTikTokだ。今年4月に入って、この曲をカバーした動画をTikTokに投稿するユーザーが増えはじめ、4月23日に中島颯太(FANTASTICS from EXILE TRIBE)が弾き語り動画を投稿したことで一気にブーム化。その後はYouTubeや各種SNSにもカバーやダンス動画が次々と投稿されてムーブメントが広がった。
ブームの理由の一つは、TikTokのプラットフォームとしての特性にあると言える。いまやTikTokには嵐など多くの著名なアーティストもアカウントを持ち発信をしているが、アーティストの知名度やファンの多さとは関係なく、ユーザーの自発的な参加によって自然発火的にバズが広がるのが特徴だ。中島颯太のカバーは大きな話題を呼んだが、その時点ですでにTikTok内ではかなりの認知度が生まれていた。その起爆剤となるのは楽曲そのものの魅力なのだが、ポイントは、ただ単に「いい曲」というだけでなく「動画にあわせて投稿し話題を共有したくなる曲」ということ。
TikTok発のヒットという意味では海外に先行事例もある。昨年に19週連続全米シングルチャート1位という記録を達成したアメリカのラッパー、Lil Nas Xの「Old Town Road」だ。
彼もブレイクのきっかけはTikTokで動画が拡散したこと。かつ注目を集めた当初は全く無名のインディペンデントなアーティストだった。オランダ在住の10代のトラックメイカーYoung Kioが作ったビートに自宅でラップを乗せ配信し、SNSに投稿。それがTikTok内で「#Yeehaw Challenge」というハッシュタグと共にカウボーイの格好をして踊るダンスチャレンジに結びついた。
(Lil Nas X、Young Kioらがニューヨーク・タイムズの取材に答える動画)
4月という時期もポイントの一つだろう。緊急事態宣言が発令され外出自粛の日々が続いた4月から5月にかけてはCDの発売や映画の公開も延期が相次ぎ、ドラマやバラエティ番組、音楽番組も過去の総集編が中心となった。スマホネイティブな若年層の“テレビ離れ”がさらに加速したことは間違いなく、エンターテインメントに飢えた若年層によってショートムービー&ストリーミング発の新たなヒットが生まれた形と言える。
■「香水」の楽曲としての魅力
では「香水」の楽曲としての魅力はどこにあるのか?
ゆったりとしたビートとアコースティックギターの響きには、ジャック・ジョンソンなどアメリカのサーフミュージックからの影響もうかがえるこの曲。素朴なメロディとつい口ずさんでしまう歌詞の親しみやすさから、彼自身がルーツにあげる清水翔太や、平井大などの系譜に位置づけることもできる。
そのうえで強力なフックになったのは「別に君を求めてないけど 横にいられると思い出す 君のドルチェ&ガッバーナの その香水のせいだよ」というサビのフレーズだろう。特に「♪ド〜ルチェ・ア〜ンド・ガッバーナーの〜」という箇所のカタカナ英語的な譜割りが不思議な中毒性を持っている。
歌詞に描かれるのは、別れた恋人に対しての未練や、惹かれつつも離れてしまった心の距離を歌うセンチメンタルなストーリー。こうしたテーマへの共感がTikTokからのバイラルヒットにつながる現象は、実は瑛人「香水」だけではない。
たとえば男性シンガーソングライターの落合渉による楽曲「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」もこうしたタイプの楽曲だ。
2019年5月にCDリリース、10月に配信リリースされたアルバム『ノンフィクション』収録のこの曲は、リリース後しばらくは大きな反響が広まらなかったものの、今年1月11日にSpoptifyのチャート「日本バイラルトップ50」の2位に突如チャートイン。
落合渉『ノンフィクション』各配信ストア :https://linkco.re/7prb3u1g
曲名の「君が隣にいることいつか当たり前になってさ」や、歌詞にある「君が僕以外の人をいつか選んでしまってさ」というフレーズがハッシュタグとして使われ10代の「カップル動画」のBGMとして用いられたのがそのきっかけとなった。
今年5月22日に配信リリースされた女性シンガーソングライター、りりあ。の「浮気されたけどまだ好きって曲。」も大きな反響を呼んでいる。
りりあ。はTikTokやYouTubeに弾き語りのカバー動画を投稿し、その透明感ある歌声で注目を集めてきたシンガーソングライター。この曲は3月27日にYouTubeに公開された彼女にとって初のオリジナル楽曲。反響をうけて5月22日には各種ストリーミングサービスで公開され、LINE MUSICのデイリーランキングで初登場1位、5月の月間ランキングでも7位にランクインしている。
りりあ。「浮気されたけどまだ好きって曲。」各配信ストア :https://linkco.re/4C3AEQv5
タイトルにある通り浮気された恋愛相手への嫌悪感や未練の思いをストレートに綴るこの曲。「汚れた君は嫌いだ。 君を汚したあいつも嫌いだ。」という歌いだしの言葉が大きなフックになっている。
これらの曲に共通するのは、素朴でフォーキーなメロディ、シンプルなサウンド、そして恋しい気持ちや切なさの心情をてらいなく綴った歌詞という要素だ。
ダンスチャレンジやユーモラスなネタ動画だけでなく、こうした“共感系ラブソング”が日本のTikTokユーザーのあいだでミームを生んでいるという現象はとても興味深い。
■インディペンデントアーティストの躍進がもたらす音楽業界の地殻変動
そして大きなポイントは、りりあ。も落合渉も、瑛人と同じくインディペンデントアーティストとして活動している、ということだ。
様々な活動形態があるので一括りにはできないが、多くのインディペンデントアーティストの特徴は、制作した音源の原盤権を自ら保持していること。リリース元はアーティスト自身が運営する自主レーベルとなる。そのうえで、配信手続きをサポートするデジタル・ディストリビューション・サービスを用いて各種音楽ストアやストリーミングサービスに音源を配信する。
こうしたデジタル・ディストリビューション・サービスの日本最大手が瑛人、りりあ。、落合渉らの用いるTuneCore Japanだ。TuneCore Japanは、先日にはアーティストへの累計還元額100億円を突破したことを発表。昨年だけでも還元額が前年比170%の42億円となるなど急成長を遂げている。
従来のCD中心の音楽市場ではパッケージを全国に流通させるためにメジャーもしくはインディーズのレコード会社に所属する必要があったが、デジタル時代になり音源制作が個人で完結できるようになったこと、それを配信するプラットフォームが整備されたことで、誰でも音源を発表しそこから収益を得ることができるようになったことが、こうした変化の背景にある。
そうした視点を含めて考えれば、瑛人が達成した「インディペンデントアーティスト初の国内チャート1位」という快挙は、今後の音楽業界全体の仕組みにも影響を与えるような大きなインパクトを持った出来事だと言えるだろう。