叱られても心の健康を保ちつつ謝罪できる方法:うるさい上司や客のクレーム、人間関係に悩む人の心理学
■クレーム受けた理の男性が放火未遂
このニュースに次のようなコメントをしました。
これまでの事例を見ると、殺人のような重罪をごまかすための放火ではなく、もっと小さなことをごまかし避けるために放火のような重罪を犯してしまう人は、むしろ真面目で融通の利かないタイプの人です。
家電修理は365日対応で、山奥の家も訪問します。顧客に感謝され信頼され、良い人間関係も生まれます。しかし故障の中には、製造元に問い合わせても原因がよくわからないものもあるそうです。
そのような中で、クレームも生まれるのでしょう。今回は大きなクレームだったのでしょうか。謝り慣れた中年社員にとっては日常的なことでも、若い社員にとっては、かなりのストレスだったのでしょうか。
修理や工事などで個人宅を訪問する人々は、理系的技術と同時にやわらかな接客態度も求められるので、大変です。
決して犯罪行為を認めるわけではなく被害者保護が第一ですが、顧客との関係で悩む青年を支えることも組織の役割とは言えるでしょう。
■謝ることは何が辛いのか
顧客や取引先からクレームが来て、取引停止とか、慰謝料などが必要になれば、大変なことです。でも、今回の逮捕された男性(20)個人は、金を要求されているわけでもなく、殴られるわけでもないでしょう。
「申し訳ございませんでした」と何度も頭を下げることにはなったでしょうが、その身体的苦痛が問題なのではありません。
謝罪の辛さは、心の辛さです。
相手から文句を言われ、いやみや皮肉を言われ、ひどい悪口を言われること、侮辱されることが辛いのでしょう。理解されず、頭下げる自分がみじめで、辛いのでしょう。
でも実は、「心は私たち自身が許さなければ、人がかってに傷つけることはできないのです」(心の傷の予防法:人から心を傷つけられないための心理学:Yahoo!ニュース個人有料)。
ナイフで体を刺されれば、いやおうなしに傷つきます。でも、「ばか!」と言われて、何とも思わないときもあれば、傷つくこともあります。「ばか!」と言われて、「ああ、ほんとうに自分はばかなのだ」と感じてしまうと、心が傷つくのです。
自分の料理をまずいと言われれば普通は傷つきますが、イカ刺しや梅干をたべた外国の人が「こんなの食べられない」と言っても傷つかないでしょう。こんな最高のイカや梅干なのに、「この人には味がわからないのね」と思えれば、傷つきません。
■叱られて落ち込みすぎないために
叱られれば、みじめに感じるのは当然です。黙ってうつむいて、ぽろぽろ涙を流すこともあるかもしれません。でもこれでは、ますます心が傷つきます。
前を向きましょう。口を開きましょう。「誠に申し和ございませんでした」「以後、気をつけます」。
下手に反論するとますます叱られますが、謝罪の言葉なら大丈夫です。そしてふしぎなことに、どんな言葉であれ、目を上げて口を開くと心は元気になるのです。
それにしっかり謝った方が、普通は説教が早く終わります。
■オーナーマインド、大義、自己決定
謝るのがずいぶん上手なオーナーや管理職がいます。国会議員のような人だって、散々文句を言われながら、けっこう平気で答弁している人たちもいます。ドラマや小説で有名な半沢直樹が、憎い相手に土下座した場面で、「これで時間がかせげたなら安いもの」といったセリフがあります。
謝罪の辛さは、無理やり謝される辛さなのです。店を守るとか、自分の思念を貫くとか、大きな目的、大義があって、オーナーのように自己決定して謝る時、それは楽ではありませんが、耐えることができるのです。辛くても、心の健康は失いません。
態度や見た目は、ぺこぺこ頭を下げ最大限の謝罪をしていても、自己決定しているときには、大丈夫なのです。
■それでも傷つくとき
本当に悪いことをしてしまったときは、傷つくことも必要です。ただし、理不尽な文句に傷つく必要はありません。
そしてオーナーのような心を持つと、堂々と謝れるのですが、現実のオーナーは孤独に陥ることがあります。
店長、社長、校長。長と名のつく人は、みんな孤独です。図太い人は良いのですが、自分を責めるタイプの人は大変です。一般の人もそうですが、上に立つ人ほど、孤独にならず、たった一人でも理解者を作っておくことが大切です。