星稜監督が指導自粛 高校野球「真のフェアプレー」とは?
まだ、すっきりしない。例の「サイン盗み」疑惑である。星稜(石川)の林和成監督(43)がとった一連の行動は、決してほめられたことではない。しかし、林監督の性格からして、「どうしても許せない」という思い、優勝候補と言われながら2回戦で敗退した選手たちを、懸命にかばおうとする気持ちは十分に理解できる。そして、彼なりの「正義」を貫いた結果が、現在の彼の立場を危うくしている。
突然出た「サイン盗み」発言
当日、筆者は林監督の話を聞いた。インタビュー台で20人以上の報道関係者に囲まれ、淡々と敗戦の弁を述べていた。「消化不良のゲーム。出したらダメなところでミスが出た。最後まで向こうの思い通りの展開だった」。この部分はおそらく、ほとんど報道されていない。5分くらい経過したころだっただろうか。突然、問題の発言が飛び出した。「走者がサインを出していた。守りに集中できなかった。フェアじゃない」。
「フェアじゃない」を繰り返す林監督
記者たちが突っ込まないはずはない。「途中、パスボールがあったが、それはサインを複雑にしたり、投手にサインを出させていたから。私がこだわりすぎていた。守りで落ち着かせられなかったのが反省点」。次々に関連質問が飛ぶ。「(初戦の)日章学園(宮崎)の試合をネット裏から見ていたが、ずっとやっていた。球種だ。(今日も)試合中に審判が集まったあともやっていた。最後までやっていた」。徐々に、林監督の言葉が怒気をはらんできた。「フェアじゃないですよね」。この言葉を何度も繰り返した。筆者は林監督を労うつもりだったが、とてもそんな雰囲気ではなく、13分の取材割り当て時間が経過すると、すべての取材が終わるのを待たず引き揚げた。したがって、そのあとは目撃していない。
直接抗議に赴く
林監督は、相手の習志野(千葉)の控室へ赴き、直接抗議に打って出た。詳細は見ていないので割愛するが、あとを追った記者も含め、大混乱になったようである。林監督の性格からして、当初からこのような行動をとるつもりだったとは考えにくい。会見でも、初めは穏やかに話していたが、興奮していく様子が見て取れた。選手をかばう気持ちから、徐々に義憤の念に駆られてしまい、思わず、相手方に足が向いてしまったのではないか。
当面、指導を自粛
そして、その余波は春季大会にも及んでいる。
この公式戦を前に、林監督が指導を自粛しているというのだ。これは学校側の処分で、自粛(厳密には指導禁止)は北信越大会までという期限付きではあるが、夏の選手権での監督復帰が確実かどうかはわからない。当日の発言と習志野への直接抗議、さらに大会中、学校の許可なく週刊誌の取材に応じたことが問題視された。個人的にも、週刊誌の取材を受けたのは軽率だったかもしれないとは感じるが、当日の行動には同情を禁じ得ない。普段、冷静な林監督からは、到底考えられないような行動で、このセンバツに懸ける思いが、いかに強かったかがうかがい知れるからだ。
フェアプレーに警鐘鳴らす
今大会に限らず、多くのチームで「サイン盗み」が横行しているという噂は耳にする。今回の林監督の行動は、今一度、フェアプレーとは何かを見つめなおす意味で、警鐘を鳴らしたと言っていい。実際に思い当たる節があるなら、後ろめたい気持ちがあるはずだ。20年以上前、この「サイン盗み」は、国際大会で日本チームがやって非難されたことから、禁止しようということになった。もっとも、「盗み」などという姑息な手段ではなく、投手が投げる瞬間に、走者が打者にコースなどを動作で教えるというもので、甲子園でも普通に行われていた。バレないようにやろうとするので、「盗み」と呼ばれる。
フェアプレーは心の問題
この「盗み」は、証拠がない限り、罰することはできない。高野連も、当日、「なかった」と結論付けた。これが林監督の怒りに火をつけたと察するが、黒白をはっきりさせる必要はない。これは「フェアプレー」の範疇だからだ。フェアプレーは、「フェアプレー精神」という言葉通り、心の問題である。その気持ちがあれば、おのずと行動も変わる。ルールに反していなければ罰することはできない。だからと言って、相手に対するリスペクトが感じられなかったり、敗者を鞭打つような行動があれば、外国の選手は必ず報復する。ルールで罰することができないからだ。昨今のタイブレークや球数制限などは、合理的な米国野球ならではの発想で、日本の野球では受け入れがたい。筆者は、米国の野球と日本の野球は「文化が違う」とこれまでから力説してきたが、心に起因する部分だけは、日本が劣っている。もし、今後も「サイン盗み」が続き、それによって正常な精神状態で試合ができないなら、日本の高校野球文化は心の面で未熟だと言わざるを得ない。
高校野球を支えるのはフェアプレー
林監督の行動は正しくなかったかもしれないが、そこには彼の信念も垣間見える。松井秀喜氏の1年後輩で、例の「連続5敬遠」の試合にもレギュラー選手として出場していた。物が投げ込まれ、「帰れ」コールが響き渡った、あの異常とも言える甲子園の雰囲気を、肌で感じた人である。高校野球がフェアプレーによって支えられているということを、身をもって示したかったに違いない。そうでなければ、正義を貫こうとした林監督の勇気ある行動が、水泡に帰してしまう。