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有終の美まであと1勝、ラストバトルの堀江翔太「一片の悔い無し」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
スクラムをリードするフッカー堀江翔太(中央)=18日・秩父宮(写真:つのだよしお/アフロ)

 ラストバトルのカウントダウンが始まった。ラグビーのリーグワンのプレーオフ準決勝で、今季全勝の埼玉(旧パナソニック)が横浜(旧キャノン)に20―17で競り勝った。ノーサイドの瞬間、今季限りの引退を表明しているフッカー堀江翔太は両手を思い切り突き上げた。そして、右人差し指を空に向けた。

 試合終了の瞬間の心境は?とストレートに聞いた。埼玉の象徴、38歳の“ラスボス”は少し笑って、「危なかったですから」と振り返った。「ホッとしました。そりゃ、うれしかったですよ」

 18日の東京・秩父宮ラグビー場。初夏を思わせる強い日差しの元、スタンドには1万5千人余のラグビーファンが駆け付けた。あちこちで小さなうちわがはためく。横浜応援の赤色Tシャツより、埼玉応援の青色Tシャツの方が目についた。

 堀江の述懐。

 「キャノンさん(横浜)のホームみたいな雰囲気になるだろうと思っていたんですけど、スタンドを見ると、青い色がすごく多くて。それが、僕たちが最後の最後まで走ることができた力になったのだと思います」

 ◆堀江が窮地で発した「ブルー」

 背番号16の堀江は後半6分、交代でピッチに入った。横浜にトライを奪われ、3点差に追い上げられたところだった。ゲームの流れは横浜。百戦錬磨のベテランは、トレードマークのドレッドを振り乱し、口を開けて叫んでいた。「ブルー、ブルー」と。埼玉のチームカラーは、今週のキーワードだった。色に例えて、主導権を握る時はブルーと言うそうだ。

 声が流れを変える、コミュニケーションがチームを勢いづかせると堀江は説明した。

 「それまでは、(ゲーム中の)コミュニケーションが少なかったので。暑いし、何とか自分でせなあかんということで、一人になって静かになっていたんです。会話が少なかった。だから、無駄なおしゃべりでもいいのでトークを多くしました」

 チーム間のトークが増えると、不思議なことにチームには落ち着きがが戻ってきた。1トライを奪われたものの、慌てず、焦らず、後半19分、埼玉のSO松田力也がラインブレイクした。真っ先にこれをサポートしたのは堀江だった。FWがポイントに殺到し、ダミアン・デアレンデが逆転トライを挙げた。SO松田が確実にゴールを蹴り込んだ。

 ◆勝負どころのスクラムで反則を誘発

 堀江が円熟した味を見せたのは、終了直前のマイボールのスクラムだった。自陣10メートルラインあたりの真ん中地点だった。両プロップとのバインドを締め、ステップアウト気味の横浜プロップの押しを巧みにかわした。これで、相手のコラプシング(故意に崩す行為)の反則を誘発したのだった。もしも、埼玉が反則をとられていたら、同点PGにつながる危険性もあった。

 堀江がほくそ笑む。

 「相手がステップアウトしてきていると(レフリーに)言おうとしたら、向こうのペナルティーをとってくれました。レフリーもちゃんと勉強してくれていたんです」

 結局は、チームとしての経験値の差、ラグビーナレッジ、勝負強さの差だった。

 ◆ラグビーのために全力の日々

 堀江はチャレンジングなラグビー人生を歩んできた。座右の銘が『勇気なくして栄光なし』。帝京大を卒業して、2008年、三洋電機(現パナソニック)に進むと、ナンバー8からフッカーに転向した。直後、ニュージーランドにラグビー留学。かつて、こう漏らしたことがある。「常に成長したかった。僕は、自分の選ぶ道に後悔したくないんです」

 2009年に初めて日本代表に選ばれ、2011年、15年、19年、23年の4大会のラグビーワールドカップに出場した。途中、首や右足首の手術をしたこともある。全幅の信頼を寄せる京都の名トレーナー、佐藤義人氏の存在もあっただろうが、自己管理の厳しさがなければ、ここまで日本代表のトップで活躍することはできなかっただろう。堀江は、食生活やからだのことに細心の注意をはらい、ラグビーのために日々を送ってきたのだった。

 ◆堀江「もう十分です」

 決勝の会場は国立競技場だから、秩父宮ラグビー場でのプレーはこの日が最後となった。「思い出をイチから話すと長くなるので」と苦笑いを浮かべた。

 「大学1年生から、ここにはお世話になってきました。え~と、ここでもう試合ができないのかと思うとちょっとさみしいです」

 また、ここで試合をしたいですか、と聞かれると、「もう十分です」と即答した。「ここでの1試合1試合、日本代表の時も、三洋の時も、パナソニックの時も、死ぬほど嫌なプレッシャーを抱えながら、チームのロッカールームに入って、グラウンドに出てきました。だから、もう十分、もう十分です」

 そして、こう言葉を足した。

 「僕のラグビー人生、後悔なく進んできたので、もう十分です」

 そういえば、この日のある埼玉ファンが着ていた青色の応援Tシャツの背中にはこう、金色の字が描かれていた。

 <生涯に一片の悔い無し 堀江翔太>

 ◆最後も勝ちたい

 これで残るはあとひとつ。

 BL東京(旧東芝)との決勝戦(26日・国立競技場)だけである。昨年は、ミスを続発してクボタスピアーズ船橋・東京ベイに敗れた。堀江は言葉に実感をこめた。

 「去年はむちゃくちゃ悔しい思いをしたので…。最後も勝ちたい。優勝をとりたい。(試合に)出れば、自分の役割をまっとうするだけです」

 繰り返すが、38歳。自身の境遇に最善を尽くす人生。願いは、ただひとつ、有終の美を飾ることだろう。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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