源平合戦の名場面を生んだ武将の子孫が全国へ 「熊谷」さんのルーツをたどる
源平合戦には数多くのエピソードがある。その中でも「扇の的」と並んで有名なのが、芝居などでよく上演される「敦盛の最期」という場面である。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では取り上げられなかったので、簡単にその内容を紹介しておこう。
平家の公達で、合戦当時弱冠16歳の平敦盛は笛の名手として知られていた。
一の谷合戦の際、源氏の武将熊谷直実は、馬で海上に逃れようとしていた平家の武将をみつけ、呼び戻したうえで組み敷いた。ところが、いざ首を取ろうとしたところで相手が自分の息子ほどの年齢と知って逃がそうとするも、後ろから50騎ほどの味方が駆けつけて来たために助けることを断念し、若武者の首を取った。
その後、討ち取った武将が持っていた笛から平敦盛であったと知り、これがきっかけで後に法然に弟子入りし出家するという話である。
熊谷のルーツ
この熊谷直実、現在に続く「熊谷」さんの祖にあたる人物で、埼玉県熊谷市をルーツとしており、熊谷駅前には馬に跨った銅像が建てられている。
源平合戦で源頼朝方に参戦していた武将の多くは、源氏ではなく坂東平氏と呼ばれる平氏の一族だった。熊谷氏も桓武平氏の出で、北面の武士だった平盛方が罪を得て誅せられ、その子直貞が武蔵国大里郡熊谷(現在の熊谷市)に逃れて熊谷氏を称したのが祖である。
直実は源頼朝に従って多くの功をあげ、鎌倉時代以降子孫は各地に所領を得て広がっていった。とくに気仙沼・安芸・近江・三河の熊谷氏が著名で、なかでも安芸の熊谷氏はのちに戦国大名にまで発展している。
「熊谷」をどう読むか
現在、「熊谷」という名字は、東北から北海道にかけて最も多く、次いで長野県と福岡県にも集中している。
ところで、名字としての「熊谷」は「くまがい」と読むことが多いのに対し、ルーツとなった埼玉県熊谷市は「くまがや」である。
そもそも「熊谷」という地名は、蛇行する荒川を指した「曲谷(くまがや)」に由来するという説が有力なようだが、他にもいろいろあってはっきりしない。少なくとも、地名はかなり古くから「くまがや」であったらしい。
一方、「平家物語」で熊谷直実は「くまがへ」(発音は「くまがえ」)と書かれているなど、名字としては「くまがえ」か「くまがい」であったとみられる。現在は全国の「熊谷」さんの9割以上が「くまがい」である。
ところが、「熊谷(くまがや)市」のある埼玉県では「くまがい」の比率は8割以下にさがり、2割は地名と同じく「くまがや」と読む。
一方、「~谷」という名字を「~たに」と読むことの多い関西や中国地方では、「熊谷」も「くまたに」と読むことも多く、鳥取県では「くまたに」が過半数となっている。
なかでも独特なのが福岡県で、ここでは「くまがい」に次いで「くまがえ」と読むことが多い。
いずれにしても、「熊谷」さんの多くは、この熊谷直実の末裔と伝えている。