しつこく、しつこく、穏やかに。名将・小磯監督がバレー界に残したもの
あまりにも急な訃報だった。
11月16日、早朝。
前日に東洋高校との激戦を制し、開催地代表として春高バレーへの出場を決めた東亜学園の小磯靖紀監督が逝去した。
53歳だった。
同じ日に、春高の東京予選と、Vプレミアリーグの開幕。どちらも見たいのに、と思いながらも体は1つしかない。高校バレーに後ろ髪を引かれながらVプレミアリーグの開幕戦を取材、終了後に、激戦の末、開催地代表として春高出場を決めた小磯監督に電話でお祝いを伝えると、いつもと変わらぬ明るい声で、「いやー、疲れた。血圧が上がっちゃったよ」と笑っていた。
またお正月にどんなチームができるか、楽しみにしていてね。
それが最後の会話になるなど、思いもしなかった。
基本にこだわり、誰よりしつこく
全国大会の常連で、春高だけでも三度、全国制覇に導いた名将だ。
だがその風貌は、世間がイメージするような「強豪校の監督」には程遠い。メガネの奥の細い目はいつも穏やかで優しく、怒鳴る声など聞いたことがない。体育教諭が多い指導者の中では、異色の英語教諭。動よりも静の人だった。
練習中も、声を荒げるようなことは一度もなかった。
ただ、他の監督よりも群を抜いていたことがある。
何しろしつこい。
特にパスの基本、レシーブの基本。基本中の基本とされるプレーに関しては、徹底的にこだわっていた。
ボウズ頭の選手が多い全国大会でも、オシャレな髪型で、テレビカメラを向けられても動じない。
そんな都会っ子の選手たちが多く、東亜学園といえば派手なイメージが先行するが、バレースタイルは決して派手ではなく、むしろ複雑なコンビネーションを武器とする九州勢や関西勢と比べて、オープントスとサーブ&ブロックで戦う東亜学園のスタイルは実にオーソドックスなものだった。
1つ1つのプレーを見ていると、器用にこなす選手も決して少なくない。もっといろいろなことができるのではないか、と聞くと「何でもできる選手が12人いればいいけどね」と笑いながらこう言った。
「勝つことも大事だけど、高校時代までにきちんと備えなきゃならない基礎がたくさんあるんだよ。本当は小学校や中学校でできていなければならないことも、勝つことだけを重視するとどうしても疎かになる。そりゃあもちろん勝ちたいし、勝つためのチームをつくっているけれど、それだけじゃ決して先にはつながらない。だから、しつこいなぁ、と思われてもパスの基本ができない選手は絶対コートに入れない。大事な時に勝敗の差になって、自分の力になってくれるのは基本だからね」
小磯監督に監修していただいたバレーボールの実技本の作成時も、まさにその言葉通り。
1本のパス、ほんのわずかな膝の角度や肘の角度、姿勢の違いがあればOKは出さず、基本のアンダーパスやオーバーパスの撮影に何時間もの時間を費やした。
基本こそ絶対に妥協しない。
あのしつこさこそが、東亜学園の強さと、卒業後も活躍する選手たちを育てる源だった。
これからへ、受け継ぐべきこと
バレーボールが好きで、いつも楽しそうだった。
たとえ負けても、相手校の優れたプレーを「今の高校生はあんなことまでできるんだよね、すごいよなぁ」と賞賛し、「ウチも頑張らなきゃ」と笑っていた。
国際試合で男女の日本代表が負けたり、勝っても不甲斐ない試合をした後は「何で代表選手なのに基本もできていないんだろうね」と笑いながらも辛辣に、敗因分析はいつも的確だった。
いろいろな媒体で取材をさせていただくたび、繰り広げられるバレー談義が本当に楽しかった。
激戦を制して出場権を決めた春高を、どんなチームで、どんなふうに戦いたかったのだろう。
3月から1月に開催時期が移行され、初代王者となった選手たちは大学4年生になり、来春にはVリーガーになる選手もいる。社会へと羽ばたいていく姿を、誰よりも心待ちにしていたことだろう。
あまりにも突然すぎる別れ。
来春の春高、東亜学園のベンチに小磯監督がいないという現実を、筆者もまだ、受け止めきれずにいる。
とはいえ、春の高校バレーは来春の1月5日に開幕し、東亜学園は開催地代表として出場する。
春高は、日本一をめざし、その場に立つ高校生だけでなく、その場を目指してきたすべての高校生たちにとって特別で、大切な場所だ。
小磯監督のために勝ちたい、と言っても、喜ぶどころか怒るのではないか。
「もっとやるべきことがあるだろう」と。
何しろしつこく、「どんな時でも基本を忘れるな」と言い続けて来たのだから。
東亜学園の選手たちや共に指導をしてきた教え子でもある佐藤コーチ、そして練習試合や公式戦で対戦してきた選手たちや指導者。多くの人たちに、たくさんの、数えきれないほどの財産を残し、小磯監督は旅立った。
今はまだ寂しく、悲しいけれど、いつも近くで大好きだったバレーボールを見続けているはずだ。
最後に。
小磯先生、これまでのように私の取材や文章も見ていて下さい。
ちゃんとバレーボールを伝えていなかったら、どうか叱って下さい。
バレーボールに関わる1人として、たくさんのことを教えられた1人として、心からの哀悼の意を捧げます。