野口聡一宇宙飛行士「原点」の思いを胸に退職会見
2022年5月25日、野口聡一宇宙飛行士は6月1日をもって宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職すると発表した。「3 回の宇宙飛行を無事成功させた今、搭乗機会を待っている後輩宇宙飛行士、そして新たに選抜される新人宇宙飛行士に道を譲るべきと考え退職を決断いたしました」との意思を表明した。
野口聡一さんは、1996年に宇宙飛行士として選抜され、2005年に米国でスペースシャトルに搭乗して国際宇宙ステーション(ISS)組み立てミッションで初の宇宙飛行を果たした。2009年からはロシアのソユーズ宇宙船に搭乗して約半年間のISS長期滞在ミッションを経験、2020年には米スペースXが開発した民間開発の宇宙船クルードラゴンで初の国際宇宙ステーションへの宇宙飛行士輸送ミッションである「クルー1」に参加した。米国人以外では初となるクルードラゴン搭乗になるとともに、2カ国、3種類の宇宙船搭乗を経験した。
2012年にはJAXAの宇宙飛行士グループ長に就任しベテラン宇宙飛行士として日本の有人宇宙飛行を支えてきた。2021年12月には東京大学先端科学技術研究センター特任教授として着任。困難を抱えた人々が仲間と共に自分の苦労の特徴を語り合い、自らの苦労の規則性や自己対処法などを研究・実践していく「当事者研究」分野の研究者となった。
今後は研究活動とともに、「海外宇宙機関などでの26年に渡る業務経験を活かした宇宙関連事業への助言」も行っていくという。
野口聡一さんコメント
1996年の6月に宇宙飛行士として選抜されて以来、あっという間の26年間だったかと思います。3回目のミッションを終えたころから、そろそろ後進の宇宙飛行士、新たに選抜される新人宇宙飛行士に道を譲りたいと考えるようになりました。
功遂げ身退くは、天の道なり。(老子の言葉)
これから一民間人として宇宙を盛り上げる活動に関わって行きたい。新しい未来を作る子どもたちの育成をお手伝いしていきたい。26年間、まずは家族に感謝したい。またNASA、JAXAに感謝したい。
JAXA宇宙飛行士の中で私ほどメディアを愛し、愛されていたものはいない。その向こうに国民のみなさまがいる。26年間暖かく育てていただいた。これまでどうもありがとうございました。
常に新しい挑戦を続けてきた野口聡一さんだが、長い経験の中で忘れずにいたのは初飛行を迎える前に起きた、2003年のスペースシャトル・コロンビアと7名のクルーを事故で失ったことだった。「25年間で一番つらいことは2003年のコロンビア事故。亡くなった7名の見た景色を伝えるために、何が何でも帰還すると思っていた」振り返った。
今後の活動予定としては、6月以降に徐々に具体的なことを決めていきたいとし、民間企業などへの転身については明らかにしなかったものの「宇宙に行く機会がもうないとは思っていない」「民間人として行く機会は半々くらい」「宇宙をこれから目指していく企業、ベンチャーなど、JAXAに残るよりは民間に出て助言、一緒にものを作って行くほうが日本にとっても有益ではないか。聞きたいというところがあれば発信していきたい」と述べた。明言は避けたものの、宇宙飛行士としての経験をもとに民間宇宙開発分野への参加もありうる方向性を示した。
2020年の著書『宇宙に行くことは地球を知ること』(野口聡一・矢野顕子 光文社新書)では、「宇宙飛行士候補者に選ばれた直後に入ったNASA宇宙飛行士養成クラスの同級生44人のほとんどは、民間企業に転職し、生き生きと仕事をして成果を上げています」と述べている。そうした新たな道で活躍する元NASAの宇宙飛行士として会見で名前が上がったのは、野口さんが「同期」と呼ぶペギー・ウィットソンさんだ。
ペギー・ウィットソンさんは、22年にわたるNASA宇宙飛行士としてのキャリアと665日の宇宙滞在経験(2021年5月時点での最長記録)を持つベテラン宇宙飛行士。元NASA宇宙飛行士のマイケル・ロペス=アレグリアさんに続いて、民間宇宙ステーション開発企業「アクシオム・スペース」が計画した民間宇宙飛行士だけの宇宙滞在ミッションを予定している。計画中のミッション「Ax-2」ではコマンダーを努め、宇宙でのライフサイエンス研究をサポートする。
野口さんは「3回目のミッションが無事に終わった。NASAでも25年、四半世紀経った。若干燃え尽き症候群もあったかもしれないが、ここからもうひとつ新しい場面を作っていけば、もう1サイクル回せるのではないか。NASAの宇宙飛行士室はずっといて心地よい空間ではあったが、そのまま終わるよりも厳しい民間の世界でもう一度揉まれるのもよいと思った」として、新たな道への希望を述べた。