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毛糸で結ばれた心の絆をつなぎ続けよう―宮城県七ヶ浜町に「ヤーン・アライブ・ハウス」完成

木村正人在英国際ジャーナリスト

[宮城県七ヶ浜町発]仮設住宅から災害公営住宅に引っ越しても、毛糸で結ばれた心の絆をつなぎ続けよう――。東日本大震災のあと、被災者の喪失感や孤独、苦悩、無常観を癒してきた編み物の集まりを続けようと、宮城県七ヶ浜町花渕浜に「ヤーン・アライブ(毛糸生き生き)・ハウス」が完成した。

ヤーン・アライブ・ハウスの完成を喜ぶテディ(右)さんとウェンディさん(筆者撮影)
ヤーン・アライブ・ハウスの完成を喜ぶテディ(右)さんとウェンディさん(筆者撮影)

引っ越しで再び壊れる絆

「あの震災で地域のコミュニティーは壊され、仮設住宅での暮らしを通じて培われた絆が災害公営住宅への引っ越しで再びバラバラになろうとしています。震災から4年5カ月、復興は新たなステージに移る段階になりましたが、こういうときに心に空白が生まれる恐れがあります。心のケアが大切です」

約40年前に宣教師の夫と来日し、8年前に七ヶ浜に移り住んだ米国オハイオ州出身のテディ・サーカさん(68)は、「ヤーン・アライブ・ハウス(正式名称は旧花渕浜集会所)」を建設した理由を語り出した。一目で見て分かるようにハウスの外観は赤色にした。「幸せの色です」とテディさんは言う。

日本国内や海外から送られてくる毛糸や約80人のメンバーがつくった編み物作品が増え、保管場所が必要になってきた。災害公営住宅への引っ越しが本格化すると仮設住宅の集会所は使えなくなる。震災後に発足した編み物クラブ「ヤーン・アライブ」を続けるには新しい場所を作らなければ――とテディさんは決心した。

ハウスの敷地面積は1650平方メートル、建築面積は198平方メートル。教室や集会室、台所、事務所、毛糸や編み物作品の倉庫、発送準備室が設けられている。室内の壁には明るい壁紙が貼られた。建設費用の3500万円は、台湾や日本国内などからの寄付で賄った。

建設予定地が「津波災害特別警戒区域」に位置していたため、なかなか建設の許可が下りなかったが、「旧花渕浜」の集会所として併用することで最終的にゴーサインが出た。「ヤーン・アライブ」に集った仲間たちが通いやすいよう巡回バスの停留所を設けてもらえるよう、テディさんは七ヶ浜町役場に掛け合っている。

編み物で不安を紛らす

七ヶ浜町で暮らすテディさんと友人の宮地ウェンディさん(69)は高台に住んでいたため、津波の被害を免れた。しかし、七ヶ浜町では海沿いの住宅は津波に流され、死者は66人、行方不明者は6人を数えた。震災のあった年の6月初め、テディさんとウェンディさんは仮設住宅を訪れ、「編み物をやってみませんか」と声をかけた。

毛糸を棒針やかぎ針で編み上げていく。手を使う作業をすると、自然と沈んだ気持ちや不安を紛らすことができる。「朝、起きて、することが何もないと困ります。起きる目的を作る必要があります。それで編み物を思いつきました」とテディさんは振り返る。

みんなで集まって編み物をすれば、言葉が広がり、心がつながる。独りでいるより、誰かといれば、塞ぎこんでいた気持ちが少しだけ軽くなる。仮設住宅に引っ越してきたばかりの渡辺守子さん(71)と星まゆみさん(54)は二つ返事で「やりましょう」とテディさんとウェンディさんに答えた。

ヤーン・アライブに集まった仲間たち(筆者撮影)
ヤーン・アライブに集まった仲間たち(筆者撮影)

守子さんもまゆみさんも津波で自宅を流された。4キロの道のりを歩いてヤーン・アライブにやってきた佐藤征子さん(72)が「編み物はいつまでやりますか」と尋ねると、テディさんは「永遠にやります」と宣言した。

小野みさをさん(78)も自宅を津波で流された。「津波は、映画の『十戒』で見たシーンのように海が壁のように切り立っていました」。みさをさんは学生時代、授業中に先生の目を盗んで編み物に熱中するほどの編み物好き。ヤーン・アライブの話を聞いて、居ても立っても居られなくなって活動に参加した。

ひとのために編む

大自然の猛威の前に人間の無力感、無常観を思い知らされたが、自分たちの手で丹念に編み上げたもので誰かの心を少しだけでも温かくすることができる。ヤーン・クラブのメンバーは、七ヶ浜町よりひどい被害を受けた気仙沼の被災者に小さ目のブランケットを編んでプレゼントすることにした。

米国にいるテディさんの家族やオーストラリア、スコットランド、韓国などから次々と送られてくる毛糸でブランケットや帽子、赤ちゃん用のセーターを編む。何時間もかぎ針や棒針を動かし続ける。コンサートの途中にひたすら編み物をしていた人もいる。夢中というより無心にみんな毛糸を編んだ。

ヤーン・アライブは「人から受ける場」であると同時に「人に与えていく場」になった。気仙沼や女川のお母さんたち、特別養護老人ホーム、老人ホーム、日赤病院、託児所に加えて、ネパール、モザンビーク、シリアからの難民を受け入れているヨルダン、フィリピンの台風被災者にヤーン・アライブの編み物作品は送られている。

お礼に笑顔の写真が返送されてくる。愛情を込めて編み上げた帽子を海外の被災者がかぶっている。こちらも心が温かくなる。

避難者23万人

今年1月時点で仮設住宅などで暮らす避難者数は約23万人。災害公営住宅は2万9925戸が計画され、9943戸が完成している。岩手県や宮城県では災害公営住宅の整備が遅れ、供与期間が5年間から6年間に延長された。

筆者作成
筆者作成

1995年の阪神淡路大震災では、5年間に仮設住宅で独り暮らしをしていた233人が亡くなっている。死後数日間、発見されなかった人もいる。

守子さんは編み物をしていると「落ち着く」という。「嫌なことを忘れて前向きな気持ちになれる。編み上げた作品をプレゼントして、ひとの笑顔が見られるのがうれしい」とまゆみさん。征子さんも「あの人にあれを編んであげようと思って編んでいます」と表情をほころばせる。

毛糸を一目ひと目編んでいくように、心をつないでいく必要がある。テディさんとウェンディさんはみんなと一緒に「ヤーン・アライブ(毛糸生き生き)」の物語を続けていくつもりだ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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