「美味しい菓子をくれるおじちゃん」――。ボウズに柔和にさせられた、昭和を代表するコワモテ大作家
美味しい菓子をくれるおじちゃん
「清張先生がうちにお越しになったのは、いまから六七~六八年前でした。私が小学校から帰ると、先生のお部屋を覗きに行ったんです」
と話してくれたのはのは、千葉県千倉温泉「千倉館」鈴木俊一良社長だ。
松本清張は「離れ」の二室を使用し、一部屋は仕事部屋、もう一部屋は寝室にした。
「仕事部屋をノックして、ガラガラと引き戸を開けると、清張先生は部屋の真ん中に置かれた机に前のめりになって、原稿を書いていました。紙が散らかっていて、あまりきれい な部屋じゃなかったな。 寒い時期でしたので、清張先生は宿の浴衣の上にどてらを着ていて大きく見えました。 髪はぼさぼさで、分厚い眼鏡をして、真剣な表情でしたので、最初は『怖い人』と思った のを覚えています」
それでも鈴木少年には清張の部屋に行く理由があった。
「千倉のあたりでは見たことがないような美味しいキャンディーやチョコレートをくれたんですよ。そのうちに『おい、ボウズ』と私を呼んで、可愛がってくれるようになりまし た」 鈴木社長が微笑む清張先生から『今日は何人くらい泊まってい るの』と尋ねられたこともありましたし、『ポ ットのお湯がなくなったから持ってきて』と言 われれば、フロントに伝えに行きました」 そうした雑用は、ポットのお湯だけに留まら ず─ ─。
清張が当初の予定より長い滞在となったため、 鈴木社長の父親(当時の社長)が追加の宿代を 請求すると、 「清張先生が、『これ、お父さんに渡して』と 小切手を私に託したんです。すぐに父に持って いきましたが、その小切手は手書きで押印もな かったので、父は心配になり、すぐに銀行に行 き確認すると、無事に現金化できて、父はほっとしていました」 これほど清張の部屋に出入りしていた鈴木少年だったが、行ってはいけない時間帯があ った。
「父から『夕食を食べる頃からは、絶対に部屋に行ってはいけない』と、きつく言われて いました。 当時、部屋には岡持ちで料理を運んでいました。清張先生は料理をつまみに部屋で酒を 嗜んでいたようですが、その酒の相手に芸者を呼んでいたんです」 この辺りは漁業が盛んで、同時に置屋や花柳界もある花街だった。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。