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「神様がへし折ってくれた」ブラジルW杯。香川真司はロシアで新たな歴史を刻む

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
ロシアW杯初戦のコロンビア戦で先制のPKを決めて喜ぶ香川真司(写真:ロイター/アフロ)

■逃げずに、自分の弱さと向き合った

「今回はまだまだ自分のサッカーに対する思いが足りなかったということを、サッカーの神様が教えてくれたんじゃないかと思う。逆に言えば、これで満足していた自分をへし折ってくれた」

 2014年7月、ブラジルW杯を終えて日本に帰国していた香川真司にインタビューする機会があった。日本代表の最終戦だったコロンビア戦(1-4)から約2週間が過ぎ、マンチェスター・ユナイテッドでの3シーズン目に向けて気持ちを切り替えているタイミングでありながら、「正直、まだまだ心の隅に悔しさが残っています」と目元に陰りを見せていた。

 ブラジルからの帰国後は、あえて自問自答を繰り返したと言っていた。

「練習が足りなかったのではないかとか、厳しい戦いの中で勝つための情熱が足りなかったのではないか、とか。自分と向き合うのは難しいけれど、そういうところから逃げずにやることが、自分のメンタルを鍛える一つの方法だと思う」

 2008年5月、19歳で日本代表デビューを果たし、セレッソ大阪からドルトムント、そしてマンチェスター・ユナイテッドへと駆け上がっていった、日本のサッカー史を代表する選手が、これでもかというほど失意に打ちひしがれていた。

ベースキャンプ地カザンでトレーニングする香川真司(撮影:矢内由美子)
ベースキャンプ地カザンでトレーニングする香川真司(撮影:矢内由美子)

■苦しいことの多かった4年間を経て

 それからの4年間は、良いことはあまり続かず、苦しみを味わうことが多かった。2014年8月31日、古巣のドルトムントに電撃復帰。復帰初戦のフライブルク戦でゴールを決める大活躍を見せたが、以後のシーズンは監督交代が続き、先発から外れることも増えた。

 ハリルホジッチ前監督時代の終盤は招集されなくもなった。ケガも増えた。中でも今年2月の左足首負傷は深刻で、西野朗監督が就任してからもW杯メンバー入りはギリギリまで不透明だった。

 ただ、どんな状況でも、香川自身はW杯から逆算して調整を続けていた。5月31日に23人の日本代表メンバーが発表され、6月4日から始まったオーストリアでの事前合宿では、「一番は『香川真司として何が出来るか』。それを問いただしながらやっている」と言った。誇り高き29歳のフットボーラーの言葉だった。

事前キャンプ地のオーストリア・ゼーフェルトでのファンイベントでリラックス(撮影:矢内由美子)
事前キャンプ地のオーストリア・ゼーフェルトでのファンイベントでリラックス(撮影:矢内由美子)

■パラグアイ戦で1得点2アシスト

 W杯本大会前最後の親善試合となった6月12日のパラグアイ戦で、同8日のスイス戦からの“ターンオーバー11人”の一角としてトップ下で出場。1得点2アシストの大活躍で高評価を得た。

 そして迎えた2018年6月19日のグループリーグ第1戦コロンビア戦。4-2-3-1のトップ下には、自らの努力でスタメンの座をつかみ取った背番号10がいた。

 すると、緊迫のキックオフから間もない時間だった。前半3分、大迫勇也のファーストシュートを相手GKが弾いたところに詰め、勢いそのままに右足シュート。これが相手のハンドによる一発退場を誘発し、11人対10人という数的有利と、PKを獲得した。

 前半6分、香川がPKスポットにボールをセットする。見ている者でさえ、胸が張り裂けんばかりの重圧。ましてや本人のプレッシャーはいかばかりか。

 香川は冷静に相手GKとの間合いを外し、ほぼ真ん中に蹴り込んだ。日本代表史上でも何本かの指に入る緊迫のPKを決めた。右のコーナーフラッグへ駆け寄り、膝で滑りながら両拳を握りしめた。

「先制点がすごく大事だった。それしかなかったので、喜びの感情が出た。もうちょっと落ち着いた方が良かったと思うくらい喜びましたね」

 2-1での勝利。試合後の香川は一瞬だけ恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

子ども好きな香川。積極的に子ども中に入る(撮影:矢内由美子)
子ども好きな香川。積極的に子ども中に入る(撮影:矢内由美子)

■自分に勝った

 実はコロンビア戦前日の取材エリアではかなり緊張している様子だった。香川自身、「こういう地(W杯)でやるわけですから、気持ちの高ぶりがないと言ったら嘘になる」と素直に認めていた。

 心を鎮めるため、キックオフ前には「4年に1度なのでこのシチュエーションをどれにたとえられるのかなと考えた」という。

「(ドイツの)ポカール決勝だったり欧州チャンピオンズリーグだったり。ビッグクラブでやっていても初戦というのは違う雰囲気なんですが、ただ、自分はそれを自信に変える。いろいろな感情を抑えるのは難しかったが、ピッチではいつも通りやり続けることを言い聞かせていた」

 ブラジルW杯のころ、香川は「自分に勝つことがテーマです」と語っていた。だが、そこで「メンタルの弱さ」という現実を突きつけられ、それを認め、向き合った。

 それから4年、ロシアの地で、4年前ズタズタにされたコロンビアを相手に計り知れない重圧のかかったPKを決めたのだった。

「4年前の悔しい思いを4年間持ってきて、みんなで勝ちきることができた。本当に良かった。4年前の経験を生かせたと思う」

 香川の笑顔は文字通り輝いていた。

ストレッチする香川真司(撮影:矢内由美子)
ストレッチする香川真司(撮影:矢内由美子)

■メンタルと、情熱と

 2018年7月1日。強豪ベルギーとの決勝トーナメント1回戦を翌日に控えた公式練習を終え、取材エリアに現れた香川は、堂々としていた。

「冷静と言ったら変だけど、いつもの試合に入る感じでいる。もっと緊張感を持ったほうがいいのかな。やっぱり開幕前が一番イヤでしたね」

 口調にも表情にも武者震いのような鼓動が浮かんでいる。

 ベルギーといえば、ハリルホジッチ監督時代の昨年11月、日本代表がベルギー遠征で対戦した相手だ。当時、招集外となっていた香川は、住まいのあるドイツから約350キロ、東京ー名古屋間に相当する距離を自ら車のハンドルを握って訪れ、スタンドで見守った。招集外の屈辱に浸るつもりはさらさらなかった。W杯へ向かうための情熱が行動を起こさせた。

 4年間をかけて鍛えたメンタルと積み重ねた情熱でロシアW杯を戦う日本に反転攻勢をもたらした。今の香川なら、必ずやってくれる。背番号10は日本に新たな歴史をつくる決意でベルギー戦のピッチに立つ。

香川真司インタビュー「サッカーの神様が自分をへし折ってくれた」

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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