専門家が教える「自己啓発書に書いていない」自己肯定感を上げる思考法6選
自己肯定感とはいつも明るく元気な心のことではありません。そういう人は病気です。そうではなくて「まあこの自分でもいいか」と思える安定した地味な納得感のことです。
さて、今回は、2000年以上続く哲学の中からいくつかの考え方を参考に、自己啓発書に書いていない自己肯定感を上げる考え方を6つご紹介します。天才中の天才が「ここまで考えて、ここから先は考えることができない」とした考え方、すなわち偉人たちの哲学をもとにお届けします。ちなみに、私の心理学アカデミーにおけるセッションでは、この6つの考え方を積極的に採用していますが、分かる人にはものすごく分かる考え方のようです。
モヤモヤを言語化する
モヤモヤはそれとずっと関わるうちに問いに形を変えます。問いとは「〇〇とは何か」という疑問文で表すことができます。その問いと関わるうちにやがて、問いそれ自体が消滅します。その時、あなたの自己肯定感は上がります。
祖父母の失敗のパターンを知る
2つ前の出来事が繰り返される、すなわち、例えば性格は、いわゆる隔世遺伝的に出てくる。ラカンの主張をこのように解釈する精神科医がいます。
あなたの「変えたくても変えられない性格」は、もしかすれば4人いる祖父母のうちの誰かの「血」が濃く出ているからかもしれません。ちなみに私は、父方の祖父の血が濃く出ているように思います。変えたくても変えられないものを変えられない理由がわかるだけで、自己肯定感は上がります。
親と自分のちがいを言語化する
親子関係は凸凹関係です。別の言い方をするなら、親が黒なら子は白です。親のことを毒親と呼ぶのは子の自由かもしれませんが、自分とは正反対のものをもっている他者として親を俯瞰したとき、なんらか違った見方が生まれるはずです。その瞬間、あなたの自己肯定感は上がります。
失敗のパターンを言語化する
あなたの人生における失敗や挫折をよく眺め渡したとき、それらがある法則を持っていることに気づくでしょう。夏目漱石は『こころ』にその法則を書きました。無論、直接的には書いていません。小説の構造に「法則」を潜り込ませています。自分がどのような法則に操られているのか、すなわち「こんな」自分になった理由がわかると、自己肯定感は上がります。
自分の行為の意味を知る
あなたの何らかの行為について、あなたはそれを100%自分の意思でやっているのか、それとも誰かの目を気にしてやっているのか、そのいずれなのかを知りましょう。
例えば、「絶対に早稲田大学にしか行かない」と決めている人は、世間の評判ゆえにそう思い込んでいるのか、そうではなくてそこで勉強したい何かがあるからなのか、よく考えてみることをおすすめします。たいていの場合、前者でしょう。
しかし私たちはそれを、己の人生から拭い去ることができません。そこに人生の悲哀があります。しかし、不思議なことに、それを知ることでおのずと、自己肯定感は上がります。
因果関係を疑ってみる
親が毒親「だから」私はこうなった。私は不器用な性格「だから」あれができない。果たして本当にそうでしょうか。と書くと怒り出す人がいるのは承知しています。
私たちは自分が信じて疑わない因果関係を「それ、ちがくない?」と指摘されたらイラっとします。その事実がすでに、私たちが思い込みの世界に住んでいることを物語っています。
思い込みを外すために必要なことは、高額かつドS講師のいる自己啓発セミナーにドMに徹して参加することではありません。因果関係を疑うことのできる強靭な理性と柔軟な感性です。自分がどのような思い込みの世界、すなわち因果関係の世界に住んでいるのかがわかれば、自己肯定感はおのずと上がります。
いかがでしょうか。
自己啓発というものは、「こうすれば、ああなる」という閉じられた因果関係の世界を形成しています。それが分かりやすければ分かりやすいほど、人びとの支持を集め、流行ります。
しかし、私たちの心はじつは、因果関係の外にあります。つまり、「なぜかは分からないけれど」何かを感じるものがあり、それを私たちは心と呼んでいます。
理由の分からないものを分かろうとするしなやかな意志がじつは、自己肯定感を上げるのです。(ひとみしょう/哲学者)