韓国に隠匿したとされる「日本埋蔵金」騒動 金塊2トン(時価1200億ウォン)は出るか!?
韓国の西南に位置する全羅北道は料理自慢で知られている。何といっても、コメが美味しい。韓国の有数の穀倉地帯であるからだ。その全羅北道の益山(イッサン)市で戦前に日本人が隠匿したとされる金塊2トン(時価1200億ウォン相当)の「埋蔵金騒動」が持ち上がっている。
人口32万人を有する益山市は日本統治時代から物流の中心地として知られていた。観光名所となっている春浦(チュンポ)駅舎は韓国に現存する最古の鉄道駅舎である。日本統治時代には大場(テジャン)駅と呼ばれていた春浦駅舎は2005年11月に国の文化財に指定されている。今も駅周辺には日本式建物が数多く見られる。
春浦駅舎と並んで観光コースとなっているのが精米所と旧日本人家屋である。精米所は全羅道全土から運ばれてきた稲を精米し、鉄道で隣の郡山市に運び、そこから船で日本に輸出されていた。
「埋蔵金騒動」の現場は珠峴洞(チュウヒョンドン)にある大橋(テギョ)農場の家屋(事務所と倉庫)である。この家屋は益山市が日本統治時代の収奪の象徴として2020年10月に4億5千万ウォンで土地を購入し、現在は国家登録文化財に指定されている。
大橋農場は1907年に「大橋」という性の日本人が移民として韓国に渡り、開拓した農場である。大橋農場は東裡里(トンイリ)駅を拠点に農業に従事していた。他にも細川農場などがあったが、大橋農場は米蔵としては当時全羅道では最大規模だった。
問題の埋蔵金は大橋農場が事務所として使用していた2階建ての建物(建築面積約157平方メートル、床面積約266平方メートル)もしくは隣接の倉庫の地下に眠っていると言われている。
事の発端は今春頃から「日本人農場主が所有していた農場の事務所か、倉庫の地下に金塊が埋蔵されている」との噂がどこからともなく出回ったことにある。噂が噂を呼び、「その日本人は敗戦時に日本に持ち出すことができず倉庫の地下を6メートル掘り、そこに金塊を2トン埋めていった」「農場主だった祖父から埋蔵の話を聞いた孫が金塊を掘り出す手続きを行っている」等の尾鰭が付いて回った。
当時地元の警察は9年前にあった大邱市の「桐華寺金塊埋蔵騒動」や鬱陵島での「ロシア宝船騒動」に関わった「A」なる人物が背後にいることから投資家から金を巻き上げるための詐欺的行為との見方を強め、噂の払拭に努めていた。
「A」は「桐華寺金塊埋蔵騒動」の時は「桐華寺の下に金塊40kgが埋蔵されている」として発掘のため文化財庁に国家指定文化財現状変更許可を申請し、条件付きで許可を得ていた。しかし、発掘作業は行われず、いつの間にか手を引いてしまった。
しかし、今回は事もあろうに「親日財産」の探索と没収を行っている独立運動家及びその遺族らの団体である「光復会」が乗り出し、市及び文化財庁に対して発掘許可と事前探査許可を申請したことから「本当に金塊が埋蔵されているのでは」と地元では真剣に囁かれ始めている。それもこれも「大邱の埋蔵金を知った日本人の孫が『A』氏に発掘を依頼した」とか「A氏一行は別途の探査班を動員し、埋蔵されている事実を掴み、該当土地の購入や賃貸方法を模索している」、「事務所の地下が盗掘されている形跡がある」などの噂が飛び交っていることにある。
「光復会」は一昨日(3日)、「最近、日本人の農場主が埋め隠したと疑われる事務所の奥の階段下部分のコンクリート床が掘られているのを発見した」として市に金塊などが盗掘されていないか捜査を依頼していた。
益山市では「荒らされた床は2階に上る階段を修復するため市が工事した部分である。浅く掘られているため、盗掘の痕跡とみなすことはできない」と説明したものの「光復会」は納得せず、調査の必要性を行政審判委員会に要請するなど引く気配を見せていない。
戦前に金塊を埋めたと噂されている日本人農場主について韓国では「日本では自らの苗字を付けた銀行を所有するぐらいの富豪である」と伝えられているが、日本には「大橋」という名称の銀行は存在しない。