五つの系統がある、和菓子の歴史
お菓子が好きな人は老若男女問わず多いです。
その中でも和菓子はユニークな歴史をたどっていき、江戸時代にその花が開きました。
この記事では和菓子の歴史について紹介していきます。
五つの系統がある和菓子
和菓子の歴史を辿ると、その起源は驚くほど多様な系統に分かれています。
果物や木の実、唐菓子、餅や団子、点心、そして南蛮菓子、この五つの流れがそれぞれ異なる道をたどりながら、17世紀後半の京都で見事に融合を果たし、和菓子文化が花開いたのです。
特に「水菓子」と呼ばれる果物や木の実が、菓子の始まりとして重要な役割を果たしました。
垂仁天皇の命で、田道間守が遠い常世の国から10年かけて持ち帰った橘の実の話は、和菓子の深い歴史を物語る一端です。
やがて時代が進むにつれ、果実と人工的に作られた菓子は区別され、江戸中期には果実を「水菓子」、手を加えたものを「菓子」と呼ぶようになります。
京都の菓子屋たちが、この分化を広めた立役者だったのです。
また水菓子いう名は、どうやら外国から渡来した「唐菓子」と区別するために生まれたとのこと。
7世紀頃、唐から伝わった菓子は、材料や形が水菓子に似ていたものの、加工が施されている点が異なっていました。
平安時代の大饗の席では、水菓子と唐菓子が並んでいたといいます。
唐菓子には梅の枝や桃の枝、虫の形をした揚げ菓子、餅や団子などが含まれていたものの、その多くは今や失われ、想像の中でのみ語られています。
どこか幻のような菓子たちです。
餅や団子は、米や麦などの穀物を使い、人の手で加工された菓子の原型です。
唐菓子の伝統を受け継ぎ、今も和菓子の基本として広く親しまれています。
興味深いことに、かつては餅と団子の区別が曖昧だったらしいが、今では形状で明確に区別されています。
餅はその形や材料によってさらに細分化され、草木の葉で包んだものや果実を混ぜたものまで、地方ごとに様々な種類が存在します。
一方、団子は米粉を丸めて蒸すシンプルな菓子でありながら、焼いたり小麦粉や栗粉を使ったりと、多彩なバリエーションがあるのです。
これらの菓子が点心や南蛮菓子とともに和菓子文化を豊かに彩っています。
参考文献
並松信久(2021)「和菓子の変遷と菓子屋の展開」京都産業大学『日本文化研究所紀要』第26号