僕はこうしてバイクレースを好きになった(前編)〜4輪レースファンから2輪レースファンへ〜
2輪、4輪、両方のレースに関わっていると、両方ともに同じサーキットを舞台にしたレースであるのに、両者にはなぜか「壁」があると感じる。僕のように両方を見ている人間には壁の存在自体が曖昧なものであるが、どちらか片方にしか興味がなく、もう片方の情報は基本的に頭に全く入って来ない人が大多数を占めるということに最近改めて気づいた。
実はかくいう僕もかつては2輪のバイクレースについて全くの無知で、むしろバイクは危ない乗り物だと思っていたくらいで、完全に4輪一辺倒のレースファンだった。そんな僕がバイクレースを“ちゃんと”見るようになったのは、レース実況アナウンサーの仕事を始めてからのこと。今はレース実況12年目を迎えているが、ここ3年くらいは実況担当の8割がバイクレースになり、全日本ロードレースの最高峰JSB1000クラスや鈴鹿8耐の実況もさせていただいている。不思議なものだ。今では、レースファンという視点から見ると、2輪レースの方が感情移入して観ることが多くなっている。
2輪バイクレースは無知だった僕が、いかにして好きになったか。あくまで特種な個人的事情をベースにしたものだが、4輪レースファンが2輪レースに興味をもってもらうキッカケになれば良いと思うし、2輪レース界にとって何かのヒントになればと思い、書き綴ってみよう。
予備知識なしのインタビュー
僕のバイクレースの最初の関わりは2004年春の「鈴鹿2&4レース」。この年から鈴鹿サーキットの新人レースアナウンサーとして4輪のアマチュアレースの実況を先輩と一緒に担当することになっていた僕はこのレースを見学させてもらっていた。
「鈴鹿2&4レース」は4輪の国内最高峰レース「フォーミュラニッポン(現スーパーフォーミュラ)」と2輪の国内最高峰レース「全日本ロードレースJSB1000クラス」が同じ週末に開催される2輪、4輪の両方を一度に楽しめるレースで、長年にわたって、鈴鹿の春の恒例イベントになっている。
とはいえ、僕は「今年は4輪レースから勉強してもらう」と担当者から言われていたため、僕が気にして見ていたのは4輪レースの「フォーミュラニッポン」と「全日本F3」だった。
見学中の僕に突然の指示が飛ぶ。
「辻野、JSB1000のポールシッターインタビュー行けるか?」
バイクレースは無知な僕にあまりに唐突なオーダー。一瞬だけ戸惑ったが、観客が大勢居る中でマイクを握れるチャンスだったので、「はい、行きます」と即答し、JSB1000予選のポールインタビューを行うためにピットへと向かった。
その予選でトップタイムをマークしたのは山口辰也選手(ホンダドリームRT)。「ポールポジション獲得おめでとうございます!」とマイクを向けたら、「まだポールかどうかは分からないですけどね。。。」と山口選手は返答した。それもそのはず、当時のJSB1000クラスの予選は出場台数が61台も居たため、予選を2グループに分けて行う予選方式で、山口選手はその時点では単にA組の予選首位になっただけに過ぎなかった。何の勉強もしていない突然のオーダーではあったが、この失敗は当然、怒られた。
その後に行われたB組の予選。A組が走った後で、路面コンディションも良くなるため、B組の渡辺篤選手(ヨシムラ)がポールポジションを獲得。車検場から帰ってきた渡辺選手を呼び止め、マイクを向けた。ヘルメットを脱いだ渡辺選手は金髪で顔は興奮で真っ赤か。睨みつけるような鋭い視線に、先の失敗の精神的ダメージもあり、完全にビビってしまった。何を渡辺選手が言ったかは覚えていないくらい、僕の中は真っ白になってしまっていた。とりあえず、マイクを向けて声を聞くという任務は果たせたが、担当者が僕に与えた実践トライには充分に応えることができなかった。悔しかった。
ポールを獲得した渡辺選手がどんなライダーなのかも当然知らない。彼が所属した「ヨシムラ」というチームがどんな存在なのかも。「ヨシムラ」は第1回鈴鹿8耐でホンダワークスを打ち破って優勝した、日本のレース界の名門中の名門チーム。前年(2003年)の鈴鹿8耐では2周目にオイルに乗って転倒、リタイアしていただけに、2004年は「ヨシムラ」のリベンジにも大きな期待がかかっていた。そして、鈴鹿8耐を前にした春の全日本ロードレース開幕戦で幸先の良いポールポジション獲得。それが意味することを知っていれば、もう少しマシなインタビューができたはずだった。
(経験から学んだこと・1)
2輪レースを長年見ているファンなら常識として知っていることでも、4輪レースファンには全く分からない観点でしかない。予告編も予備知識もなく、いきなりドラマの第3話の最終シーンをパッと見せられてもその後の興味につながらいのと似ている。バイクレースには長い歴史があり、特に「ヨシムラ」のような歴史と実績のあるレーシングチームが持つ価値は大きい。だからこそ、全日本ロードレースや鈴鹿8耐の魅力としてプロモーターやメディアがその価値をもっと一般の人にもわかるように知らしめなくてはならないと思う。「ヨシムラ」に限らず、各レーシングチームには非常に長い歴史があり、自分たちの歩んできた足跡をホームページ等でわかりやすく示すことも大切だと思う。
台数が多すぎて、誰を見ていいか分からない
予選インタビューの失敗の影響もあり、2004年春の「鈴鹿2&4レース」JSB1000決勝レースの内容は、ほとんど記憶が飛んでいる。もちろん「勉強しなくてはいけない」という意思はあったが、知識の乏しい僕には「よく分からなかった」というのが正直な感想だった。
その理由の一つが、当時61台というバイクレースのエントリー台数の多さ。今も出場台数は50台を超えることもあり、4輪レース専門のメディア関係者には「台数が多いね〜」と驚かれる。4輪レースでは20台以下の出場台数がほとんどであるし、バイクレースの出場台数の多さはかなり特異に写るようだ。
各レース会場で販売される公式プログラムでは見開き2ページにわたって紹介されることもあるバイクレースのエントリーリスト。ズラリと並んだライダー&バイクの名前と実際のコースを走るマシンを一致させるのは初心者にはとても難しい。4輪のレーシングカーに比べるとバイクは車体が小さく、バイク自体に興味がないと、走りを見てホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのバイクを判別するのは至難の技となる。つまりはバイクレース初心者ファンの観点からすると、あまりに多いライダーやバイクの中からお気に入りを見つけるのはなかなか大変なことのように感じた。
(経験から学んだこと・2)
全日本ロードレース最高峰クラスJSB1000は4大バイクメーカーのトップチームが参戦するレース。60台のエントリーがあっても、優勝を狙えるチームはそのうちの5台程度で、トップ争いに絡めるのは多くても10台程度である。同じメーカーの同じ形式のバイクであるのに、ラップタイムの差が5秒、6秒も開きがあるのは、バイク、パーツ、タイヤにも大きな違いがあるためだが、判別するものがないため、初心者にはこの部分が難しい。例えば、4輪レースのWTCC(世界ツーリングカー選手権)のように、JSB1000クラスでもプライベート参戦チーム向けの選手権を作るか、あるいはメーカーが力を入れるチームには「ファクトリークラス」などの名称を付けるなどして差別化を図ると、プロチームとプライベートチームの区別がつき、初心者には注目どころを見出しやすくなるのではないだろうか。
バイクを知らないと分からないこともある
2004年の「鈴鹿2&4レース」での失敗から、僕はいろんなことを考えた。まず、本気で勉強しなくてはならないということ。そして、バイクレースファンの人たちの気持ちを理解しなければ、この仕事はつとまらないと思ったことだ。
僕は意を決して、今までそれほど興味がなかったオートバイの免許を取ることにした。すでに僕は28歳になっていた。教習所「阪神ライディングスクール」(兵庫県)に通ったが、毎回のレッスンはちょっと苦痛だった。仕事のためとはいえ、元々それほどバイクが好きではなかっただけに、恐怖心が先行し、ハンドルにしがみつくような乗り方が直らなかった。ニーグリップ(太ももでタンクを押さえて、オートバイのバランスを取る重要な操作)もなかなか理解できず、どうしてこんな乗り物と向き合わなければいけないのか、自問自答していた日々を今でも思い出す。
しかし、自分の中で日々、変化もあった。「バイクの免許を取りに教習所に通っています」と言うだけで、話をする人が増えた。当時、僕は京都のラジオ局でDJをしていたが、それまで関わりの薄かったレコード会社のプロモーターさんがそれを聞いて急に心を開いてくれるようになった。そこから一気にバイクの話ができる人が増え、日々の教習が楽しくなったのだ。最初は免許を取得するだけのつもりだったが、のちに250ccのバイクを購入し、ツーリングにも出かけるようになった。オートバイは新たな友達を生み、人生が豊かになった。
また、「阪神ライディングスクール」はかつて全日本ロードレースや鈴鹿8耐に参戦するレーシングチームを持っていた。僕が教習に通う数年前まで参戦していたため、教習所にはレースで使用したバイクが展示されていた。しかし、当時でも「こういうバイクを展示しても、若い教習生が興味を示すことが少なくなった」と話してくれた人が居た。教習車のメンテナンスを担当していたレーシングライダー、今井伸一朗選手だった。そして、隣接するバイクショップに教習の合間に足を運ぶと、当時の店長、渡邊健心さんがいろいろとバイクの話を教えてくださった。渡邊さんは今もロードレースアジア選手権に参戦する「BEET KAWASAKI RACING」のチーフメカニックを務めており、サーキットではいろんな事を教えて頂いている。
そんな方々との出会いと並行するかのように、先輩のピンチヒッターから始まり、いつの間にやら2輪レースを多く実況するようになり、僕はバイクレースに完全にのめり込んでいった。
(経験から学んだこと・3)
オートバイ自体を毛嫌いしていた僕がバイク乗りになった。そこにはいろんな発見と出会いがあり、世界が大きく広がった気がした。30代近くになって免許を取った同世代はほとんど居なかったが、免許を取ること、オートバイに乗ることは大人になっても大きな「学び」だと感じた。オートバイに興味を持つキッカケは人ぞれぞれだと思う。僕のように必要性にかられてという人もいれば、漫画だったり、誘われたりなど。もし、レースを通じてバイクに興味を持ったならば、展示されているバイクに跨って写真を撮るだけでなく、免許を取ってバイク乗りになってみることをお勧めする。自分で体感することでライダーの凄さ、大変さを理解できるようになり、さらにレース観戦が楽しくなるはずだ。ひとつ提案としては、レースの会場で大人向けにちょっとだけでもバイクの試乗ができるアトラクションを業界全体で実施するのも良いかもしれない。乗った後に、現役選手や有名ライダーがアドバイスをくれたり、魅力を伝えたりしたら、きっと新たなバイク乗り人口拡大につながると思う。
(次回へ続く)