海外で起業する働き方~多国籍でグローバルベンチャーを生む~【薛悠司×倉重公太朗】(海外独立編)
倉重:やはり、独立して自分の事業をやろうという、その頭はずっとあったということですね。
ソル:ずっとありました。
そのときに、結構、時を同じくして、うちは、父親が実家で事業をやっているのですけれども。
倉重:そうなのですか。何をやっているのですか。
ソル:プラント業をやっているのです。
倉重:もう本当に、ものづくりの。
ソル:そうです、製造業と工事業をやっていて、「継がない」とはずっと言っていたので、「何か話がある」と言われたときに、何の話かと思って、実家に帰ると、ベトナムに子会社をつくりたいというような話で。
倉重:何と。
ソル:「そうなのか」と言って、頑張ってという感じで思っていたら、行くやつがいない、やらないかとの話で。
倉重:継がなくてもいいから、子会社ならいいだろうと。
ソル:断っていたのですけれども、ちょうど、ですので、それが2010年の春ぐらいだったのですけれども、分かったと。もう自分でやりたいこと、もう起業したいのは分かったから、今後のために、2010年のゴールデンウイークに、旅費は全部出してやるから、ベトナムのホーチミンに、一緒に視察に行かないかと。予定がなかったので、行きますという感じで、2010年のゴールデンウイークに、初めてベトナムに行きました。
そうしたら、面白くて。これほどにも、未開拓の世界があるのだと。
倉重:やはり東京とは全然違いますか。
ソル:そうです。ですので、僕は旅行で、もちろん東南アジアなども行ったことはあったのですけれども、それは、言っても遊びなので。
倉重:そうですね。
ソル:リゾート地へ行ったりなどです。それは、でも今度は視察なのでいろいろな工業団地を見たり、夜も、そういう観点で街を見ているときに、とにかくこの未開拓の感じが、非常にワクワクすると。そのときのベトナムの平均年齢が、27歳などだったので、街も活気、喧騒(けんそう)が非常に満ちあふれていましたし、また、温度的に暑い国なので、その熱気も相まって、ワクワクすると。
ゴールデンウイークの最後にかかわったときに、いやもう面白そうだから、行ってもいいというので、ゴールデンウイークから帰ってきて、会社へ出社して、その日の朝に「リクルートを辞めることにしました」と言って。
倉重:早い。一気に、心が変わったのですね。
ソル:そうです、そうです。
そのときに、でも決めていたことは、子会社の立ち上げをやると。やるのですけれども、もともと自分で起業もやってやろうと思っていたから、それもやると。そこだけ、父親と合意をして、自分の事業と、その父親がやろうとしている子会社の代表の、二足のわらじをやるということにしました。
倉重:両方ですか。それは、また大変です。
ソル:それで、2011年から行くと決めて。
倉重:フェイスブックにも投稿されているのを見たことがあるのですが、リクルートは6年を超えたら退職金か何かが出るのでしたか。
ソル:そうです、そうです。当時のリクルートで言うと、試用期間終了後で6年間です。ですので、計6年半勤務すると、1年分の年棒を退職金に上増しする制度があったのです。だから、もともと5年すぎたぐらいから、もう3年のところがここまで伸びてしまったら、6年半を超えた方が得という考え方もあります。
倉重:大半の人はそう思いますのよね。
ソル:そうです、そうです。それで、事業資金を得ようかと。それプラス、リクルート株などを、当時、非上場だったのですけれども、持っていたものを売却などして。そうすると、ある程度、資本金もできるしと思っていたのですけれども。
倉重:そうですよね。
ソル:もう、そのようにちんたらしている場合ではないと。
倉重:我慢できなかったのですね。
ソル:そうです。逆にベトナムが、もう事業スケジュールを、少なくとも父親の会社は切ってしまっていますし、代表をやる人間が、当初の立ち上げからいないとは、本当にあり得ないので。もういいと思って、当時、多分、1,000万強ぐらいだったのですけれども。
倉重:結構な金額です。
ソル:「もう、それはいらないから辞めます」と言って。
倉重:やはりそれを捨ててでも、自分のやりたいことに、もう火が付いてしまったから。ベトナムの風がそうさせたわけですね(笑)
ソル:そうです(笑)。
あとは、もう単純に、損得で考えても、自分のその9カ月間いないことによるマイナスが、出張ベースなどで、兼務しながら行くこともできたのですけれども、そのマイナスの大きさが、1,000万どころではないように思いました。
倉重:なかなか、そうは決断できない人も多いのではないかと思うのですけれども、そこの見切りがすごいです。
ソル:そうです。そういう意味では、やはりすべてがつながっていて。大学時代などに、事業をかじっていたのは、非常に良かったと思います。
倉重:まさに経営判断ですね。
ソル:そうです。
倉重:大体、目先の1,000万などにしがみついてしまうものですけれども、もっと、大きなものがあると判断した訳ですよね。
ソル:そうです。実際、立ち上げをやり始めて、行って2カ月で、進出支援の事業をやり始めて。
倉重:そうなのですね。
ソル:日本の会社さんが、ベトナムに出るという。それも、工場の立ち上げをやっていて、キャッシュインは、やはり工場ができるまでなかなか出ないと。一部、受注して、アウトソーシングで、ほかの会社に出してなどもやっていたのですけれども。
倉重:最初のキャッシュが回るまでは大変ですね。
ソル:そうです、そうです。自分の給料分ぐらいは、自分で稼ごうかというので、紙とペンだけがあればできることで、コンサルだったらできるかと。
倉重:お父さんだって、ベトナムへの進出で、実際苦労したわけだから、同じように苦労する人が結構いるだろうと思いまして。
ソル:そうです。それで、進出支援のコンサルをやり始めました。
倉重:さすがです。いくつかお客さんもつきましたか?
ソル:はい。それは。だからすぐ、すぐ黒字化しました。
倉重:そうですよね。経費は自分の時間だけですものね。
ソル:自分の労働力なので。とはいえ、そのようなことをやりに来ている話ではないので、何か、事業を見つけなければと、その父親の会社の子会社の事業をやり始めつつ、自分の事業を何しようかと考えていました。
倉重:そう、そう、ベトナムに行った時点ではまだ何をやるかは、決まっていないのですね。
ソル:決まっていなかったです。とにかく決めていたのは、資金側としては、投資金額として、自分の自己資本で出せる範囲です。なので、数億円かかるものは無理だと。
倉重:そうですね。
ソル:かつ、キャッシュフローが良いもので、収益性も高い、成長性がある、そんな都合の良い案件はあるのかと。
倉重:それは都合が良い。
ソル:思っていたら、当時、通勤時間が、工場用地まで行くのに2時間ぐらいかかっていたのです。なので、よく通勤のときなどに、ネットを見たりなどしていたのです。いろいろな、ベトナムに住んでいる日系、日本人の人などもフォローしたりなどをして。
ある日、ツイッターでフォローしている人が、ラーメン屋さんにいると。「ラーメン屋なう」のような感じで、この人は面白そうだと思っていたから、一回、話を聞いてみたいと思って、「そのラーメン屋に行って、いいですか」と送ったんですね。
倉重:いきなり?
ソル:そうです。そしたら「いいですよ」と言われまして。行ったら、その人はベトナムで、ITのオフショアの開発をやっている会社の社長だったのです。「オフショアをITでやっているのですね、ITは良いですか」と言ったら、「いや、ITは良いよ」と言って。「何が良いか、すべて教えてください」と言ったら、面白がって、全部、教えてくれて。「これを、明日から、今言っていたことを、僕は、全部パクってやっていいですか」と言ったら、「どうぞ、どうぞ」と。
倉重:ええ? だって、まったくあれですよね。学生時代に、その旅行サイトはあったけれども、そのオフショア開発などに関しては、何の知識もないというか。
ソル:そうなのです。ただ、それで言うと、もうプラントもほぼ知らないのにやっているので。
倉重:できると判断した訳ですか。
ソル:そうなのです。だから、知らないことに対しての恐怖はあまりなくて。もう振り返ってみれば、最初の缶コーヒーの時もまったく知らないし。
倉重:それはそうですね。
ソル:はい。旅行もまったく知りませんでしたし、住宅もまったく知らないところからやっているので。なので、まったく知らないことは、全然大丈夫です。
倉重:そういうものなのですね。
ソル:やろうと決めて。とはいえ、これはどう考えても、最初の仕事と、日本側のセールスマーケティングを並行してやるのは、無理だと。
倉重:無理ですね。
ソル:そこで、誰かと組まなきゃいけないと思ったときに吉村の顔がパッと浮かんで。
倉重:なんと、これで繋がるつながるわけですね。
ソル:ベトナムから国際電話をかけて、「こういうことをやろうと思っているのだけれども、興味はある?」と。半分出資してもらって、やってもらえることは2つで、1つは、今、オンライン旅行サイトをやっている開発の一部を、ベトナムで発注してほしいと。
倉重:なるほど。それは確実な営業ですね。
ソル:でも、実績づくりだから、原価で良いと。もう一つは、それが成功してノウハウをつくって、外部に対して、アウトソーシングで受けていきたいから、日本側で営業をしてほしいと。その2つをやってくれるのだったら、持分の50%を渡しますと。渡しますといいますか、同時出資で会社をつくるだけなのですけれども。
倉重:そうですよね。
ソル:渡すも何も、まだ始まっていないのですけれども。彼との信頼値があるので。
倉重:学生時代からですものね。
ソル:その事業が良いという見立てで、ベトナムで現地のオペレーションをやってくれるのだったら、やると。ちょうど日本側でも、非常に開発に困っていたということでした。
倉重:ちょうど良かったのですね。
ソル:そうなのです。これはトライしてみたいと、その電話で、3分で、会社をつくろうと決まりました。
倉重:早い。
ソル:最初は、資本金を2万ドルずつ出して、4万ドルで会社をつくり、家賃が5万円ぐらいのところを借りて、人を集めてきてやるのが、一番初めです。
倉重:最初はプログラミングのスキルがある人ですよね。
ソル:そうです。中途で。
倉重:そうですね、いきなりは育てられないですものね。
ソル:その採用の方法などはどうしたらいいのかは、先行して、そのプラントの事業をやっていましたので。ある程度は、分かっていて。シンプルに、あまり難しいことを考えなくても、結構、当時は来てくれて。
倉重:10円でも高ければ、来るしと。
ソル:そうです。なので、それで最初の初期のメンバーを募って、オフィスを契約して。そこなども、工場側の立ち上げをしているメンバーなども、バックオフィスなどでリソースを兼務させて、自分も兼務なので、とやっていたら、結果、初年度に、3事業をやっている状態になって。
倉重:プラントと、コンサルと、システム開発ですね。
ソル:はい、その中でもプラントが壊滅的に大変な状態で。プラントならプラントで、工場はできたけれども、仕事がないような状態でした。
倉重:そうなのですか。
ソル:受注予定案件があったわけではないので。提案に行くのですけれども、「実績は」と言われるのです。
倉重:ないですよね。
ソル:あるはずがないという。今できたのに、実績あるはずがないではないですかと。
倉重:それはそうです、それはそうです。
ソル:というようなところから、結構、本当に1万円や2万円の仕事を取りに、2時間かけて、営業に行くようなことをやりながら、最初は、実績をつくり。
倉重:退職金1,000万を捨てた男が、1万円のために、駆けずり回る時期もあったのですね。その中で、不安になることなどはなかったですか。
ソル:いや、もうつぶれるのではないかと思って。特に、僕の事業などは、言っても、資本金をそれほど積んでいるわけではないし、良かったのですけれども、父親側の事業は、5億円を借り入れしてまして。
倉重:5億もですか。結構、借りていますね。
ソル:そうなのです。当時、日本側もリーマンショックの影響を、もろに受けていたので、売上が半分になっていて。利益水準も、当時、多分5,000万円あるか、ないか、という状態で。
倉重:ヤバイではないですか。
ソル:だから、返せないのです。これはベトナムが失敗したら、日本もろとも吹っ飛ぶという。なので、何とかしなければいけないと。
倉重:そうですね。これはもう、家族も巻き込んでしまうといいますか。
ソル:それが、一番のプレッシャーで、にもかかわらず、自分の事業を並行して始めているという謎な状態でした。
倉重:ソルさんは忙しくないと、駄目なのですか(笑)
ソル:いやぁ、そんなことはないのですが。でも、本当に、1年目は死ぬかと思いました。
倉重:それほど。
ソル:本当に死ぬかと。
倉重:普通の人だったら、もう倒れています。
ソル:1年目、何とか、はいずり回って、受注をかき集めてきたのですが、今度は納品がきちんとした製品にならないという。
倉重:契約取れたは良いけれどもと。
ソル:はい。日本から応援を入れてもらったりなどして、やるのですが。
倉重:どうしても、技術が追い付かない訳ですね。
ソル:追い付かないですし、そのワークフローも固まっていないので、それでもうシンガポールに送った製品などが、漏れたなどが、当時あったりして。取ってきたら、今度またそういう事件が起こってなどをやっていて。
そして、その年の年末に、一番後、会社の金庫が、内部犯行で破られ金を持ち逃げされることで、年の瀬を終え。
倉重:何と!なけなしの売上を持っていかれたのですか。
ソル:そうなのです、そうです。だから、もうこれだけ会社が大変で、何をモチベーションにやっているかと、採用した従業員の、僕は一人、一人面談をしてやっていましたし。
倉重:1on1をやっていたわけでしょう。
ソル:何なら、結構、休日などに従業員の家などで、一緒に飯を、「バーベキューをやろう」と集めてやったりなどで、どういうところに住んでいるか、どういう生活環境かなどを、非常に分かっているのです。本当に非常に大変で、もうバラックのようなところで、電気も通っていないところに住んでいたりなどです。
そういう環境から、何とか仕事をして、豊かになって脱していくようなところを、一緒に事業としてやれるのは、非常にありがたいと、やる意義がある事業で、僕、個人で言えば、もうリクルート時代の半分も給料を取っていないですし、何なら、その給料は、コンサルで稼いだところから出していますから。
倉重:そうか、EVOLABLEから支払う余裕はまだ無かったのですね。
ソル:別に、何か、EVOLABLEや、おやじのSoltecという会社からも、実質上は、もちろん給料として取っていますけれども、それ以上に売っているので、とやっていたのですけれども、年の瀬にそれが起こり、「うわ、もう最悪」という感じでした。
ただ、そのとき気づいたのです。海外でやるときに、非常に陥りやすい罠は、全体を一つのカテゴリーとしてとらえてしまうことです。
倉重:と言いますと?
ソル:ベトナム人を、ベトナム人でカテゴライズしている人が、非常に多いのです。
倉重:「ベトナムの人」として接していたのですね。「Aさん」ではなくて。
ソル:そうです、そうです。僕はそれを嫌だと思って、事業をやっていたのですが、横領事件で激高した瞬間は、「こいつら」と思ってしまったのです。でも、冷静に考えれば、それは全員でやっているわけではないのです。
倉重:それは、全くその通りですね。
ソル:当時、50~60人ぐらい社員がいて、それにかかわったのは、せいぜい2名や、3名などだったのです。よく見ると、それに対して、一緒に、もう非常に憤慨しているやつらがいて。といいますか、そちらのほうがマジョリティーなわけなのです。
倉重:そうですよね。
ソル:でも、こいつらという感情が、こういう瞬間に芽生えるのだと。だから、自分でそれだけ気を付けても、芽生えるのだと原体験でできたので、それで、そのときに冷静になれました。
倉重:よく、自分でそこに気付きましたね。
ソル:そうですね。逆に言うと、今事業をやっていて、それほどにつらいことはないのです。例えばそのベトナム人のメンバーが、ある日、辞めたといって、次の日から来ないと怒る人もいるんですが、まったく、そういうこともあるとしか思わなくなりました。偶然、そいつがうちの会社に合わなかったのか、偶然、そいつがそういうタイプの人間だったのかという話であって、ベトナム人はみんなそうだとは、一瞬も思いませんし。
倉重:本当によく、自分でそこに気付きましたね。
ソル:それを1年目に経験できたのは、自分的にプラスだったのと。
倉重:そこから飛躍につながっていく感じになる訳ですね。
ソル:そうです。だから、1年目は本当につらい思い出しかないのですけれども、逆に言うと、今、多少事業やっていてつらくても、あのときのつらさに比べたら、もう100分の1です。
倉重:でも、1年目がそれだけつらくて、どこが転機になったのですか。
ソル:それで一生懸命頑張っていたら、日本で取引がある、日本の取引先が、結構、大型の案件をベトナムで受注したようなことがあって。
倉重:それは良かったですね。
ソル:一つは日本での実績に救われたのですが、一方で、それを出してくれるはいいけれども、中身もない状態だったので。
倉重:そうですね。受けたは良いが、できるのかと。
ソル:できるのかという話があるのですけれども、もう、これを取らないと終わると思いました。
倉重:もうラストチャンスのような感じですね。
ソル:はい。もう飛躍のチャンスはないと思って、「もう、絶対大丈夫です」とプレゼンをやり、もう、いかに大丈夫かを、とうとうとロジックで説明して、契約が取れました。
倉重:それほど大型な案件なのですね。
ソル:そうです。また、日本からも、人を派遣してもらって、ベトナムのメンバーと何回もディスカッションもやりつつ、絶対、これを納めると。これを完璧に近いかたちで納められたら、一気に、うちはもう飛躍できるといって。実際、それは何とか納まったのです。
倉重:すごいです。
ソル:、その後プレゼンで実績を言えるようになりました。
倉重:実績があると、その後は言いやすくなりますね。「じゃあ」と言って。
ソル:そうなのです。うちも出してみようと。1年目の売上は3,000万円ぐらいだったのですけれども、2年目に、まさかの10億円いって。
倉重:ええ?
ソル:そうなのです。
倉重:ハンパないです。
ソル:そこが転機です。オフショア側も、時を同じくして、だんだん、まずそのディベロップ側で、分かった、こうして作ればいけるとなりました。
当時、リクルートの同期で「じげん」という会社の平尾という人間が、結構、ベンチャー界で有名で。「発注する」と言ってやってくれたりなど、何社さんか、紹介された会社さんなどで、受注している内に、気づけば100人ぐらいの規模になっていました。
倉重:システム開発のほうがですか。すごいです。いつの間に。
ソル: 2年目は、地獄と天国が入れ替わったような。
倉重:一気にもう、来ましたね。
ソル:これが新興国かと。
倉重:システムのほうは、なぜ、転機が訪れたのですか。
ソル:一つは、そのEVOLABLE ASIA側では、当時の旅キャピタルです、旅キャピタルのシステムをやっていて、何でつまずくのかを洗い出せたことです。
あと、もともと10万円ぐらいの家賃のところから、その3倍、4倍ぐらいの広さのところに、移すか、移さないかのような話があって。「アウトソーシングで拡大するなら、もう移さないと無理だ」と言って、取れるかどうかは分からなかったのですけれども、「もう、いいや、やろう」と言って、移転しました。
逆に、そこでハードルが上がっているので、とにかく埋めなければいけないと。営業としては、その実績を持って、日本に出張に行ったときなどに、行けるつてというつては、もう全部回るような感じで。それは吉村も同じようなトーンで。結構、共同のファウンダー2人が、死ぬほど営業にコミットして。
倉重:そうか、吉村さんも、営業にかなり回ってくれていたわけですか。
ソル:そうです、そうです。その中の何社かは、実際に発注までたどり着いて。
倉重:種が、花を咲かせ始めたということですね。
ソル:そうです。あと、もうとにかく激安にしました。
倉重:もう日本でつくるより、圧倒的に。
ソル:はい、もう業界最安値ぐらいで。
倉重:日本のエンジニアと、人件費はどれぐらい違うのですか。相当、今は上がっているでしょうけれども。
ソル:当時で言うと、まだ、下手したら5分の1ぐらいだったのではないですか。
倉重:確かに、それは全然違いますね。
ソル:そうです、そうです。もう、粗利が黒だったら、行くぐらいの感じです。
倉重:もう粗で良いと。
ソル:もうそれぐらいで、とにかく取りに行って。
倉重:そうですね。実績をどんどんつくって、キャッシュを回さなければいけないですし。
ソル:そうです、そうです。追加で資本なども増資をして、始めは、それで補てんする感じで、とにかく、というので伸ばしていった感じはあるのです。
倉重:2年目で、だんだんうまく回り始めて、今、何年目でしたか。
ソル:今が9年目です。
倉重:今、そのシステムのほうでは、従業員は何人ぐらいなのですか。
ソル:システムが、今、1,000名で、プラントは、400名です。あと、東京などにも拠点をつくって、100人ぐらいは、東京で採用しています。
倉重:それほどいるのですか。
対談協力:薛悠司(ソル・ユサ)
慶應義塾大学法学部卒。
大学在学中に有限会社Valcomの創業メンバーとして参加。
2005年株式会社リクルート入社。
2011年ベトナムに移住し、Soltec Vietnam Companyを創業。
同年Evolable Asia Co.,Ltd.を創業。
2015年シンガポールにSoltec Investment Pte.,Ltd.を設立。
アエラ紙の「アジアを代表する日本人起業家100人」に選出される。
2018年シンガポールにC2C Pte.,Ltd.を創業。
現在約1500名の事業統括をしながら、C2Cシステムプラットフォーム事業でのスタートアップを手がける。
また自己資金でのベンチャー投資も行っている。